大学章句:伝首章

投稿者: | 2017年7月2日
大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。
細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。
小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。
《読み下し》
康誥(こうこう)に曰(いわ)く、克(よ)く德を明(あきら)かにす、と。
康誥は、周書(しゅうしょ)なり。克は能なり。
大甲(たいこう)に曰く、諟(こ)の天の明命(めいめい)を顧(かえり)みる、と。
大は讀(よ)んで泰(たい)と作(な)す。諟は、古(いにしえ)の是(し)の字なり。
大甲は、商書(しょうしょ)なり。顧は、常目(じょうもく)之に在るを謂(い)うなり。諟は、猶(な)お此(し)のごときなり。或(あるい)は曰く、審(つまびら)かにするなり。天の明命は、卽(すなわ)ち天の我に與(あた)うる所以(ゆえん)にして、我の德たる所以の者なり。常目之に在れば、則ち時として明かならざるは無し。

帝典(ていてん)に曰く、克(よ)く峻德(しゅんとく)を明かにす、と。
峻は、書には俊に作る。
帝典は堯典(ぎょうてん)にして、虞書(ぐしょ)なり。峻は大なり。

皆自(みずか)ら明かにするなり。
引く所の書を結ぶ。皆自ら己の德を明かにするの意を言う。

右は傳(でん)の首章(しゅしょう)。明德を明かにするを釋(と)く。
此(これ)より下の三章の「止於信」に至るまでを通じて、舊本(きゅうほん)は誤りて「沒世不忘」の下に在り。


《用語解説・本文》
康誥『書経』周書、康誥篇のこと。『書経』は五経の一で、歴史上の帝王が発布したとされる詔勅法令を集めた歴史書である。時代の順に虞書・夏書・商書・周書に分類される。周書は、文王(ぶんおう)・武王(ぶおう)から始まる周王朝、さらに時代が下った春秋時代の諸侯までを含む。康誥篇のこの言葉は、周の開祖である文王を称えたものである。
大甲商書、太甲篇のこと。ただし後世に伝わる太甲篇は、東晋代(AD317-420)に現れた『偽古文尚書』と呼ばれる偽書の一篇である。真の太甲篇は、散逸して後世に伝わっていない。『書経』は前漢代に口承から復元された『今文尚書』と、同じ前漢代に孔子旧宅の壁から出土したという『古文尚書』があった。『古文尚書』は『今文尚書』より篇数がおよそ半数多かった。しかし『古文尚書』に特有の約半数の篇は、後漢末から魏晋代の戦乱で散逸してしまった。『偽古文尚書』は、その後に各書に見える『書経』散逸篇の言葉を抜き出し、先秦時代の諸書からの引用語句を貼り合わせ、古代の帝王たちの歴史書であるかのごとく構成された偽書である。偽太甲篇は、『大学』にある「諟の天の明命を顧みる」の句から始まり、今文尚書・孟子・礼記・左伝などから文と語句を引用し、孟子などで言及されている「伊尹太甲を桐に放つ」の故事に沿って構成されたものである。よって、後世に伝わる太甲篇の全体は信用できないが、この『大学』にあらわれた一文は偽書のもととなった真正の逸文である。朱子は『偽古文尚書』を真書として取り扱ったが、『偽古文尚書』に属する各篇と『今文尚書』に属する各篇の文体が違い過ぎることに疑念を持った。なおかつ『偽古文尚書』に付けられた孔安国注と称する注釈については、これを魏晋代の作であると断じた(孔安国は前漢代の儒者)。進んで『偽古文尚書』そのものが偽書であろうという疑いは元代の呉臨川(ごりんせん)・明代の梅鷟(ばいさく)によって提出され、ついに清代の閻若璩(えんじゃくきょ)が決定的な批判研究(『尚書古文疏証』)を提出した。またわが国の伊藤仁斎も、清代考証学とは別個に『偽古文尚書』はいにしえの時代の記録ではなく後世の思想によって書かれたものであると断じた。
帝典(堯典)虞書、堯典篇のこと。この言葉は、いにしえの聖王である堯を称えたもの。

《用語解説・朱子注》
此より下の三章の「止於信」に至るまでを通じて、舊本は誤りて「沒世不忘」の下に在り朱子は原テキストの礼記大学篇の順序を入れ替えて、経と伝とが整然と対応するように章句を書いた。新旧相違表を参照。

《現代語訳》
『康誥(こうこう)』には、「(文王は)よく徳を明らかにする」とある。
康誥とは、書経周書の篇である。「克」とはよくできる、ということである。
『大甲(たいこう)』には、「(天から受けたまわった、)この明らかなる命令(つまり、天命)を思う」とある。
「大」は泰(たい)のように読む。「諟」は、いにしえの是(これ)の字である。
大甲とは、書経商書の篇である。「顧」とは、いつもはっきりと目で見据えることを言う。「諟」は、此(これ)と同じである。また別に、「審(つまびら)かにする」という説も言われている。「天の明命」とは、天が我に与えたものであり、我に徳がある原因となるものである(つまり、天が人に与えて人に命ずることであり、天命である)。いつもはっきりと目で見据えていれば、いつなんどきでも天の命ずるところは明らかなものである。

『帝典(ていてん)』には、「(堯は)よく大いなる徳を明かにする」とある。
「峻」は、書経では「俊」となっている。
帝典とは堯典のことで、書経虞書の篇である。「峻」とは大きなことである。

これらの言葉はすべて、自らの徳を自ら世に明らかに示すことを説いているのだ。
上の書経からの引用を結ぶ言葉である。すべて、自らの徳を明らかにすることを説いているのだ。

以上は、伝(でん)の首章である。人が天から与えられた輝かしい徳を、磨いて明らかにするべきことを説いている。
ここから続く「止於信」(伝三章の前半)に至るまでの三章は、旧本(礼記大学篇)では誤って「沒世不忘」(伝三章の後半)の後に置かれていた。

《原文》
康誥曰、克明德。
康誥、周書。克能也。
大甲曰、顧諟天之明命。
大讀作泰。諟、古是字。
大甲、商書。顧、謂常目在之也。諟、猶此也。或曰、審也。天之明命、卽天之所以與我、而我之所以爲德者也。常目在之、則無時不明矣。

帝典曰、克明峻德。
峻、書作俊。
帝典堯典、虞書。峻大也。

皆自明也。
結所引書。皆言自明己德之意。

右傳之首章。釋明明德。
此通下三章至止於信、舊本誤在沒世不忘之下。

以上は、朱子が「明明徳」の伝であるとみなして首章に置き換えたものである。以降、朱子は経と伝との順序が一致するように原テキストの礼記大学篇を並び替えて、章句を進めていく。その作業には、疑問も多い。漢文大系の底本を著した安井息軒(幕末時代)、新釈漢文大系の著者赤塚忠氏(昭和時代)の両者ともに、礼記大学篇を真正本とみなして注釈を行っている。じっさい、礼記大学篇の順序のとおり読み進めていっても、意味は十分に通る。そもそも、古代のテキストは論語・孟子もそうであるが、論じる点が章ごとに前後飛躍することが通常であった。私が思うに礼記大学篇などは、古代文献の中では『孫子』と並んで比較的論を進める順序に秩序が見られるテキストである。朱子が切り取った上の箇所は、「明明徳」という重要な論点を解説したにしては、短すぎる。朱子の並べ替えの作業は、蛇足であったと私は思う。

ともあれ、朱子は「明徳を明らかにする」の意味を、天から人に与えられたものを自ら明らかに示していくことだ、と言うのである。天から与えられたもの、とは人間の善なる性質(性)であり、人間は命の続く限りこれを伸ばしていくことが、天が人に与えた命令(天命)なのである。

孟子は言う。
「自らの心を伸ばし尽くす者は、自らの本性を知る者だ。自らの本性を知る者は、天から降された意味を知る者だ。よき心を保ち、本性を養うことこそ、天に仕える道である。寿命の長い短いなど気にするな。ひたすら自分自身を修めて命尽きるのを待て。それが、天命を損なわずにまっとうするということなのだ。」(孟子、盡心章句より)


この孟子の言葉が、天命の意味を指し示している。堯や文王はそれを行ったゆえに、天下を治める善政をなしとげることができた、というのである。そして孟子は、人は誰でも堯や文王のような聖人になれる素質がある、とも言う。すべての人は天から無限の善をなしうる可能性を与えられているのであって、人として生まれたからには世のためにその素質を磨いて生かしなさい。それが天からもらった命(いのち)を腐らせない道であり、天の命(めい)を実現する道である。漢字の「命」に日本人が「いのち」と「みことのり=命令」のダブルミーニングを持たせているのは、古代中国思想の意味を取ってのことだ。命は自分で勝手に消費してよいものではなく、最初からこの世の中で世の人のためになすべきことがあって与えられているのだ。そのように、儒学は教えるのである。

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