大学章句序(1)

投稿者: | 2016年9月18日
《現代語訳》
『大学(だいがく)』の書は、いにしえの時代にあった大学校において、人を教えるための方針の書であった。思うに天が人類を創生したとき以来、その最初からすべての人に仁・義・礼・智の善なる「性」を与えた。しかしながら人というものは同時に「気質」もまた天から与えられて生まれるのであって、その「気質」の稟(ひん)は、あるいは人によって等しくない。それゆえに、すべての人がその天から与えられた善なる「性」を知ってこれを全うさせることができないのである。だが一たび聡明(そうめい)・叡智(えいち)を用いてその「性」を発揮し尽す者が人々の間から現れたならば、すなわち天は必ずこの者に命じて億兆の民の指導者に立てて、この者に民を治めさせ教化させて、人々がその持てる善なる「性」に気づき返らせる仕事をさせるであろう。伏羲(ふくき)・神農(しんのう)・黄帝(こうてい)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)といったいにしえの偉大なる君主たちは、この原理によって天の命ずるところを代々継承して極致なる倫理の法を打ち立て、司徒(しと)・典楽(てんがく)の官制を定めたのであった。

《用語》
『大学』朱子は原文の「大学(大學)」を、この序で述べるように子弟に高等教育を行う大学校の教育方針の書であるという見立てで読む。朱子の見解に従えば、日本語の音読みとしてはこの書を「だいがく」と読むべきである。しかしながら漢代の鄭玄は「大学とは、その博く学んで以て政を為(おさ)むべきを記せるを以てなり」と注していて、「大学」の意味をより一般的な意味での「治世のための進んだ学問」という解釈を与えるにとどまっている。現在では古い解釈を支持する見解が主流であり、この場合日本語の音読みとしては「たいがく」と読むべきである。本サイトは朱子の見解に沿って読むので、以降も「だいがく」と訓ずる。
仁・義・礼・智の善なる「性」原文読み下し「仁・義・禮・智の性」。『孟子』にあらわれる概念。孟子は人間は誰でも生まれつき惻隠(他人を助けたいと願う心)・羞悪(不正を嫌う心)・恭敬あるいは辞讓(目上の他人に譲る心)・是非(理性を用いて判断する能力)の四端がある、と言う。四端の本源は心中の仁・義・礼・智であり、これらは人間の心中に生来備わっている善なる「性」である、と説いた(公丑章句上、六および告子章句上、六)。朱子は、孟子のこのような性善説を、孔子の説にも共通している時代を越えた真理であると信じるのである。ところで近年出土した戦国時代の竹簡から考証されるところに従えば、孟子の性善説は孔子の孫の子思(しし)の時代ごろに始まった、比較的新しい儒家の主張である。孟子の次世代の儒家である荀子は、子思・孟子の性善説を孔子本来の教えではないと徹底的に批判し、自らは性悪説を唱えた。荀子の性悪説とは、人間の生まれつきの「性」は欲望によって互いに争う動物的な本能であり、よって人間はそのままの存在ではカオスの集団でしかない。そこから志を持って学び社会を善導する役割を果たすのが、君子である。凡人と偉大な君子を隔てるのは、人為的な「礼」を学習して人間本来の「性」を自ら作り変えるところにある。荀子の性悪説については性悪篇を、子思・孟子批判については非十二子篇を、学習によって君子となるプロセスについては勧学篇以下の諸篇を参照。だが朱子をはじめとした宋代の学者たちは、荀子の性悪説を異端とみなして決して取り上げることはなかった。
「気質」の稟原文読み下し「氣質の稟」。稟とは「うける」の意で、上の者から下の者が受け取ること。すなわち天から各人に与えられる個別の性質。朱子は天はすべての人に等しく善なる「性」を与える、と言うのであるが、天はそれと並行して各人に異なった「気質」を与えるとも言うのである。気質の稟が異なるために、人によっては私欲が勝って自分の「性」を全うさせることができない。なので人は私欲を滅却して気質をコントロールし「性」を発揮させる努力をしなければならない。これが朱子学の人間存在に対する二元論的特徴となっている。「性」と「気質」の二元論は朱子に先行する二程子ら宋代儒学者の唱えるところであって、これが本当に聖賢の本意であるのか、という疑問が朱子の同時代から後世に至るまで中国でも日本でも数多く提出された。陸象山・王陽明の心即理論は、その一大批判である。
伏羲・神農・黄帝・堯・舜これらは、いずれも中国の歴史書の中で中華文明のはじまりの時期に即位した聖王たちである。伏羲・神農は三皇(さんこう)の中に数えられ、黄帝・堯・舜は五帝(ごてい)の中に数えられる。ただし、『論語』『中庸』『孟子』の中で言及されるいにしえの君主は、堯と舜から以降である。朱子はさらに遡ってより古い伝説の聖王を中華の伝統として数えている。
司徒・典楽いずれも、史書に舜の治下で定められた官職として表れる。舜は契(せつ)を司徒に任命して人民の教化を行わせ、夔(き)を典楽に任命して音楽を担当させたという。司徒・典楽は「礼」と「楽」の担当者であり、礼楽はいにしえの時代に人民を教化善導する政策として、法律・刑罰よりも優先されるべきとされた。

《読み下し》
大學(だいがく)の書は、古(いにしえ)の大學にして、人を敎うる所以(ゆえん)の法なり。蓋(けだ)し天の生民を降せしより、則ち旣(すで)に之に與(あた)うるに仁・義・禮・智の性を以てせざるは莫(な)し。然れども其の氣質の稟(ひん)、或(あるい)は齊(ひと)しきこと能(あた)わず。是(ここ)を以て皆以て其の性の有する所を知りて、而(しか)も之を全くすること有る能わざるなり。一たび聰明(そうめい)・睿智(えいち)にして、能く其の性を盡(つ)くる者の、其の閒(かん)に出づる有れば、則ち天は必ず之に命じて以て億兆の君師と爲(な)し、之をして治めて之を敎え、以て其の性に復(かえ)らしむ。此れ伏羲(ふくき)・神農(しんのう)・黃帝(こうてい)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)の天を繼(つ)ぎて極を立つる所以にして、司徒(しと)の職、典樂(てんがく)の官の由(よ)りて設くる所なり。

《原文》
大學之書、古之大學、所以敎人之法也。蓋自天降生民、則旣莫不與之以仁義禮智之性矣。然其氣質之稟、或不能齊。是以不能皆有以知其性之所有、而全之也。一有聰明睿智、能盡其性者、出於其閒、則天必命之以爲億兆之君師、使之治而敎之、以復其性。此伏羲・神農・黃帝・堯・舜所以繼天立極、而司徒之職、典樂之官所由設也。

江戸時代、四書を学ぶ人たちは、まずこの朱熹(朱子、1130-1200)が著した『大学章句』を読むところから始めたことであろう。四書とは、『大学』『論語』『孟子』『中庸』の四つの儒書のことであって、朱子が定めた儒学の最重要のテキストである。中でも朱子は、『大学』を最初に学ぶべきことを言った。朱子の言葉を門人たちが編集した『朱子語類』には、以下の言葉がある。

某(それがし)の人に要(すす)むるは先(ま)ず大學を讀み以て其の規模を定め、次に論語を讀み以て其の根本を立て、次に孟子を讀み以て其の發越を觀、次に中庸を讀み以て古人の微妙の處を求む。大學一篇は等級次第有り、總じて一處と作(な)す、易曉(いぎょう)にして宜(よろ)しく先ず看るべし。(朱子語類、大学一 綱領より)

朱子が言うに、「私が推奨する読書の順序は、まず『大学』を読んで学問の骨格を定め、次に『論語』を読んで人の根本を据え付け、次に『孟子』を読んでいろいろと啓発されて、次に『中庸』を読んで古人の微妙な教えを学ぶのがよい。『大学』一篇は人のなすべきことの順序が述べられていて、一篇全体で人のあるべき一つの姿を述べている。とても読みやすい本なので、ぜひ最初に読むとよい」。

同じ朱子語類で、朱子は「まず大学をきちんと読め。論語はその後だ」という趣旨のことを言っている。『論語』は面白いエピソードや含蓄に富んだ警句に満ちているが、最初から最後まで筋道立った著作ではない。細切れの言葉の雑多な集まりであって、これだけを読んで人はいったいどう生きるのが正しいのか、という答えを一つに絞ることが難しい。朱子としては、それでは学問とはいえない。朱子は、大学を読んでまだよく理解できていないのににわかに論語を読もうとする学生たちに対して、その読書は不可であると言った。「私が人にこの書(大学)を読むことを勧める理由は、この書は分量少ないが学問の骨格があまねく備わっているからなのだ」(朱子語類、 大学一 綱領より)。朱子は、学問の骨格(原語は「規模」)をまず理解することが正しい読書である、と言った。その意図は、よく分かるだろう。このような読書には当然ながら批判もあるだろうが、それゆえに朱子学としては『論語』の前に『大学』が置かれるのである。

朱子は、『大学』に心血を注いだ注解を与えて『大学章句』と名付けた。上の訳は、その序の冒頭である。(『大学』という書物の由来、および『大学章句』の成立過程については別ページにまとめた。)ここで朱子は、人類が初めて中華世界に現れた時代に思いを馳せて、そのときから人間には変わらず善なる「性」が備わっていて、その善なる「性」が発揮できるように中華世界を善導してきた偉大な君主たちがあった、と言う。中華世界の歴史は、その開闢黎明の時代から、政治が問われているところに特徴がある。『史記』を読むならば、政治の各分野を担当する大臣を置いたのは、舜である。州を定めて中央と地方の統治秩序を作ったのは、禹(う)である。人間が人間らしい生活をするための仕事を行うのが政治の務めであり、そのために政治のできる人材を求めて引き上げなければならない。中華の歴史は、繰り返しこのテーマを追い続けてきた。だがそのような人材は、放っておいても湧き出るものではない。人間が善なる「性」をよく発揮できるような制度が必要であり、その制度によって育った人々の中からとくに優れた者を集めて指導者として育成しなければならない。『大学』という書は、そのような国家のプログラムを叙述している。後に見るように、朱子はそのようなプログラムがいにしえの時代から存在していた、と信じる者である。批判的考証の立場から言えばそれは怪しいのであるが、現実の歴史においては漢王朝の時代に天下の子弟から政治をする人材を登用するシステムが確立し、人民を道徳によって教化する教育政策が国家によって取り上げられた。なので、少なくとも今から二〇〇〇年前には現実化されていた。朱子の主張はたとえ言い過ぎであるとしても、全く歴史のない主張であるとはいえない。

いまの人が『大学章句』を読んだときに、簡単に見逃してしまうことがある。ここで朱子は、人間はその「性」が平等に善である、と言うのである。人間の素質が生まれながらに平等である、という主張は、古代の儒家思想に共通のものであった。孔子の言葉には、その考えがすでに表れていた。後を継いだ孟子と荀子は、互いの人間観が性善説・性悪説で異なっていたが、人間の素質は聖人君子も凡人も皆同じである、という考えは共に前面に出して主張するところであった。ならば聖人君子と凡人を分けて、指導する者と指導される者とを分けるのは、何であるか。それは、志を立てて刻苦精励することで格差が生まれるのである。いっぽう朱子は「気質の稟」という概念を使うので、人間が不平等であると主張しているように思われてしまう。だがそれは、人間には個性というものがあって、誰もが最初からいにしえの聖王とか孔子のような完全無欠の存在で生まれてはこない、という当たり前の現実を説明しているだけのことではないだろうか。重要なことは、朱子がここから先のくだりで大学校には身分に関わりなく優秀な子弟を進めるのがいにしえの制度であった、と説明するところにある。朱子は今から八〇〇年前の時点で、指導者となるべき人材に身分出自はいらない、ただ能力あるのみ、と言うのである。朱子は古代の儒家の主張を繰り返して言っただけなのであるが、この原則がヨーロッパで実現したのは、いつのことであったか。日本では、いつのことであっただろうか。朱子と古代の儒家の主張の先進性は、いまの時代になってようやく世界が空気のように受け入れられるようになったのであり、そしていまの時代においてもこれをゆるがせにしてはならないであろう。

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