賦篇第二十六(3)

By | 2015年12月14日
問:「ここに、ある物があります。
その形状は毛が生えておらず、たびたび変化する巧妙さは見事であります。その効能は天下が受け取るものであって、万世にわたって美しい文様を作ります。礼楽(れいがく)はこれによって成り立ち、貴賤はこれによって分かれます(注1)。老者を養い幼者を育てることも、これを用いてはじめて可能です。なのにそれを指す用語は美しくなく、「暴」に近い(注2)。それは功績を挙げたならば我が身を殺し、事業を成したならばその家は壊されます(注3)。その老年時代は棄てられて、その子孫だけを集めます。人類はこれを利用し、飛ぶ鳥はこれを食害します。それがしは愚かにして、これが何かを知りません。五帝(注4)よ、どうかこのものが何であるのか、ご推測願います。」
五帝が言った、「それは、身体柔らかであり、頭部の形状は馬の首に似たものであろうか。たびたび変化するが、長生きできないものであろうか。成長期には大切にされるが、成長しきったら粗末に扱われるものであろうか。親はあるが、雄・雌の区別はないものであろうか(注5)。冬には籠っていて、夏には活動し、桑を食って糸を吐き、初めは乱れているが後には整う(注6)。夏に発生するが暑さを嫌い、湿り気を好むが雨を嫌う(注7)。蛹(さなぎ)を母となし、蛾を父となす。寝起きを何度か繰り返したら、その仕事は全て終わってしまう。それは、『蠶(蚕。かいこ)』の道理というものであろう。」

答え:蠶。


問:「ここに、ある物があります。
山から生まれて、部屋に住まいます。知力も技巧も持っていませんが、衣装をよく整えます。盗賊でもコソ泥でもありませんが、穴を開けて前に進みます。日夜離れたものをつなぎ合わせて、美しい文様を作ります。縦によくつなぎ、横によく連ね、下は人民の体を覆い、上は帝王の身を飾ります。その功績ははなはだ多大でありながら、賢良とはみなされません。用いられるときには出てきますが、用いられないときにはしまわれてしまいます。それがしは愚かにして、これが何かを知りません。王よ、どうかお聞かせ願います。」
王が言った、「それは、最初に掘り出されたときは大きいが、その物が完成したときには小さいものであろうか(注8)。その尾は長く、その先端は鋭いものであろうか。頭部は鋭く突き刺して、尾は長くてまとい付くものであろうか。行ったり来たりして、尾を結ぶことによって仕事をなす。羽も翼もないが、きわめて速やかに往来する。尾が垂れたとき仕事は始まり、尾が往来を終えたとき仕事は終わる。釘を父として作られて、針入れを母として収められる。表を縫った後は、裏をまた連ねる。それは、『箴(はり)』の道理というものであろう。」

答え:箴。


(注1)絹布で礼装が作られて、琴瑟のような弦楽器は絹糸を張る。絹は礼楽に不可欠の繊維である。
(注2)楊注は、「蠶食(蚕食)」の語が派生することを挙げる。集解の王引之は、「蠶(蚕。さん)」が「惨」と発音が近いことを言っていると考える。猪飼補注は、「残」と音が近いことを挙げる。いずれの注においても、それらが「暴」を連想させる言葉というわけである。
(注3)蚕が繭をはぎ取られて、絹糸を作ったら殺されることを指す。
(注4)五帝は、堯・舜を含むいにしえの五人の聖王たち。非相篇(4)注3参照。当然、この問いかけも五帝との仮想問答である。
(注5)蚕に雄・雌はある。だから、荀子の時代の知見である。
(注6)楊注は、「繭乱れて糸治まる」と注する。繭のときには糸が乱雑に絡み合っているが絹糸になるとよく揃う、という意味に解しているようである。
(注7)原文読み下し「夏に生じて暑を惡み、溼を喜びて雨を惡む」。楊注、王念孫、久保愛、藤井専英氏と各自解説を加えているが、よくわからない。
(注8)鉄鉱石として掘り出されたときは大きいが、針に加工されたときには小さくなることを指す。中国では鉄鉱石から鉄を作ることが行われたが、日本では砂鉄から鉄を作ることが主流であった。なので、このたとえは日本の伝統的製鉄には当てはまらない。
《読み下し》
此に物有り、㒩㒩(らら)たる(注9)其の狀(じょう)、屢(しばしば)化すること神の如し。功天下に被りて、萬世の文を爲す。禮樂以て成り、貴賤以て分る、老を養い幼を長ずるは、之を待ちて而(しか)る後に存す。名號(めいごう)美ならず、暴と鄰(りん)を爲す。功立ちて身廢し、事成りて家敗る。其の耆老(きろう)を弃(す)て、其の後世を収む。人屬の利する所にして、飛鳥の害する所なり。臣愚にして識らず、請う之を五泰(ごてい)(注10)に占せん。帝之を占して曰く、此れ夫れ身は女好(じょこう)(注11)にして、頭は馬首なる者か。屢(しばしば)化して壽ならざる者か。壯に善にして老に拙なる者か。父母有りて牝牡(ひんぼ)無き者か。冬伏して夏游び、桑を食いて絲を吐き、前に亂れて後に治まる。夏に生じて暑を惡(にく)み、溼(しつ)を喜びて雨を惡む。蛹(よう)以て母と爲し、蛾以て父と爲し、三俯三起(さんふさんき)して、事乃(すなわ)ち大(みな)已(お)わる。夫れ是を之れ蠶理(さんり)と謂う。蠶(さん)(注12)

此に物有り、山阜に生じて、室堂に處(お)り、知無く巧無きも、善く衣裳を治め、盜せず竊(せつ)せざるも、穿窬(せんゆ)して行き、日夜離(り)を合して、以て文章を成す。以(すで)に(注13)能く從(たて)を合わせ、又善く衡(よく)を連ね、下は百姓を覆い、上は帝王を飾る。功業甚だ博くして、賢良とせ見(ら)れず。時用うれば則ち存し、用いざれば則ち亡ぶ。臣愚にして識らず、敢て之を王に請う。王曰く、此れ夫れ始め生ずること鉅(きょ)に、其の成功するや小なる者か。其の尾を長くして其の剽(ひょう)(注14)を銳にする者か。頭は銛達(せんたつ)にして、尾は趙繚(ちょうりょう)なる者か(注15)。一往一來し、尾に結んで以て事を爲す。羽無く翼無きも、反覆甚だ極(すみやか)なり(注16)。尾生じて事起り、尾邅(めぐ)りて事已(おわ)る。簪(しん)以て父と爲し、管(かん)(注17)以て母と爲し。旣(すで)に以て表を縫い。又以て裏を連ぬ。夫れ是を之れ箴理(しんり)と謂う。箴(しん)(注18)


(注9)楊注は、「㒩」は「倮」のことと言う。毛羽がないこと。蚕の幼虫には毛がない。
(注10)楊注は、「五泰は五帝なり」と言う。
(注11)楊注は、「女好は柔婉なり」と言う。やわらかい様。
(注12)本篇の賦の末尾に、楊注は言う。「蠶の功は至大なるも、時人基本を知ること鮮(すくな)し。詩に曰く、婦公事無く、其の蠶織を忘る、と。戦国時、此の俗尤も甚だし。故に荀卿感じて之を賦す。」楊注が引用する詩は、『詩経』大雅瞻卬(せんぎょう)にある。楊注は荀子がこの賦を作った意図を、絹布作りを侮る戦国時代の風潮を批判するためであったと解している。
(注13)増注は、「以」と「已」は通用す、と言う。すでに。
(注14)楊注は、「剽」は末なり、と言う。
(注15)楊注は、「趙」は読んで「掉」となし、掉繚は長き貌と言う。
(注16)賦篇(2)注16参照。すみやか。
(注17)「簪」と「管」について、楊注は「簪は形箴に似て大なり」と言い、「管は箴を盛る」と言う。したがって、簪(かんざし)と針を収める針入れのことと解している。しかし新釈の藤井専英氏はこれを取らず、「簪」と「管」を箴の発生源或いは制作過程の状態をいうものであると解し、「簪」は猪飼補注・兪樾の説を取って「鐕(しん)」に通じて釘と解し、「管」は針の目(穴)と解する。つまり、素材の釘を伸ばしてそこに穴を開けて針を作る、と解して、前作の賦の蛹を母とし蛾を父として蚕が生まれる過程と対比させた解釈を試みている。「簪」の解釈は猪飼補注・兪樾説を取りたい。「管」の解釈については、藤井説はややひねり過ぎの感がする。こちらは楊注のままに捉えたい。
(注18)本篇の賦の末尾にも楊注は解説を加え、「末世皆婦功を脩めず。故に辞を箴に託して其の物と為り微なるも用至重なるを明かにし、以て当世を譏(そし)る」と言う。すなわち、いにしえの時代の婦人と違って当世の婦人たちが裁縫仕事をおろそかにしていることを批判した作品、と解している。

本篇に収められた荀子作の賦五篇は、以上である。最後の二篇のテーマについて、楊注は解説を加えている。荀子の時代、人々が絹布作りを侮り、婦人たちが裁縫仕事をおろそかにしていたので、これを戒めるために作られたという。しかしながら、大きな効能を人間に提供しながらも、その身は無残に捨て去られる蚕を憐れんだ賦と取ってもよいのかもしれない。つづく針を描いた賦も、荀子なりのユーモア詩であったのかもしれない。

残る一篇は佹詩(きし)であって、形式を異にする。

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