賦篇第二十六(2)

By | 2015年12月11日
問:「偉大なる天はある物を降して、地上の人民に示しました。それは厚かったり薄かったりで、必ずしも均一ではありません。たとえば桀(けつ。夏王朝最後の悪王)・紂(ちゅう。殷王朝最後の悪王)はこれによって乱れ、湯(とう。殷王朝開祖の聖王、湯王のこと)・武(ぶ。殷王朝を倒した聖王、周の武王のこと)はこれによって賢明となりました。これはあるときには混乱して窮迫するが、あるときには大らかで美しくなります。その伝播する速度は、四海を経めぐるのに一日とかかりません。君子はこれによって身を脩め、盗跖(とうせき。伝説の大盗賊)はこれによって部屋に穴を開けて侵入します。その大きさは天と並ぶが、その細かさはきわめて精密であって、一定の形がありません。これによれば行いは正しくなり、これによれば事業は成功します。これによれば暴乱なる者を禁圧して、窮乏する者を助けることができます。人民はこれを与えられて、しかるのちに安泰となります。それがしは愚かにして、これが何かを知りません。どうか、その名をお聞かせ願います。」
(王が)言った(注1)、「それは、ひろびろとしたおだやかさに安心して留まるが、危険でけわしいものは危うんで避けるものであろうか。清らかで純粋なものを近づけるが、乱雑で汚れたものを遠ざけるものであろうか。心中にはなはだ深く収めて、外界では敵に勝つものであろうか。禹(う)・舜(しゅん。いずれもいにしえの聖王)にのっとって、その後を受け継ぐことができるものであろうか。行いも、進退も、これに従ってはじめて適切であるものであろうか。血気は精妙となり、意思は盛んとなり、人民はこれを与えられてしかるのちに安泰となり、天下はこれを与えられてしかるのちに平安となる。明達純粋であり、疵もない。それは、君子の『知』というものであろう。」

答え:知。


問:「ここに、偉大なものがあります。
留まっていれば静かにたたずんできわめて低く、動けばはるか高くにあって壮大であります。丸いものは規(コンパス)で描いたようであり、四角いものは矩(ものさし)で描いたようであります。その大きさは天地に匹敵し、その徳は堯(ぎょう。やはりいにしえの聖王)・禹よりも厚く、毛先よりも細やかで、しかも天空に満ちています。たちまちの間に遠くにまで走り去ったかと思うと、ちぎれて追い掛けあうかのように戻ってきます。とても高くて、天下全てがこの恩恵を得ます。その徳は厚くて、すべてを受け容れて棄てることをしません。その色は五彩を備えて、文飾はなやかです。行ったり来たりして定まった形がなく、自然の精妙なはたらきに通じています(注2)。出たり入ったりすることははなはだ速やかで、出入の門を誰も知りません。天下はこれを失えばすなわち滅び、これを得ればすなわち存続するでしょう。それがし(注3)は愚かなので、どうかこれをご説明いただきたい。君子がお言葉を発してくだされば、それがしは当てることができるでしょう。」
君子が言った、「それは、巨大であるが空間を満たし尽くすことがないものであろうか。天空に充満して隙間を残さないが、かといって小さな隙間に入り込んでも窮屈とならないものであろうか。遠きに行くことが迅速であるが、これに書簡を託すことができないものであろうか。行ったり来たりして定まった形がなく、固定させることができないものであろうか。突然人を殺傷する猛威をなすことがあるが、これを疑い嫌うことはできないものであろうか。その功績を天下が受けながら、それを己の徳とみなさないものであろうか。大地に身を寄せて天空に遊び、風を友として雨を子として、冬の日には寒さを招き、夏の日には暑さを招く。広大であって精密巧妙な存在。それは、『雲』というものであろう。」

答え:雲。


(注1)原文「曰」。誰が言ったか明言されていないが、問答の形式は賦篇第一篇と同型であって、二篇は連続でこれも先王の仮想的な返答とみなすべきであろう。
(注2)原文読み下し「大神に通ず」。荀子は「神」の字に超自然的な存在の意味を与えず、「大神」とは自然あるいは人間の精妙な作用を指す、あくまでも地上的存在のなす偉大な力のことである。
(注3)原文「弟子」。楊注に、「弟子は荀卿自らを謂う」とある。これに従い、作者自身のことを指すとみなす。問いかけた「君子」は、当然仮想の君子である。
《読み下し》
皇天物を隆(くだ)して(注4)、以て下民に示す、或は厚く或は薄く、帝(つね)に(注5)齊均ならず。桀(けつ)・紂(ちゅう)は以て亂れ、湯・武は以て賢なり。涽涽(こんこん)淑淑(しゅくしゅく)、皇皇(こうこう)穆穆(ぼくぼく)として(注6)、四海に周流するに、曾(かつ)て日を崇(お)えず(注7)。君子は以て脩め、,跖(せき)は以て室を穿(うが)つ。大は天に參し、精微にして形無し。行義以て正しく、事業以て成る。以て暴を禁じ窮を足す可く、百姓之を待ちて而(しか)る後に寧泰(ねいたい)なり(注8)。臣愚にして識らず、願わくは其の名を問わん。曰く、此れ夫れ寬平に安んじて險隘(けんあい)を危ぶむ者か。脩潔を之れ親(ちか)づくることを爲し、襍汙(しゅうお)を之れ狄(とお)ざくる(注9)ことを爲す者か。甚だ深く藏して外敵に勝つ者か。禹・舜に法(のっと)りて能く迹(あと)を揜(おお)う者か。行爲・動靜之を待ちて而る後に適する者か。血氣之れ精、志意之れ榮、百姓之を待ちて而る後に寧(やす)く、天下之を待ちて而る後に平(たいら)かなり。明達・純粹にして疵(し)無きなり(注10)。夫れ是を之れ君子の知と謂う。知。

此に物有り、居れば則ち周靜にして下(ひく)きを致(きわ)む、動けば則ち高きを綦(きわ)めて以て鉅(おお)いなり。圓(えん)なる者は規に中(あた)り、方なる者は矩(く)に中る。大は天地に參し、德は堯・禹より厚く、毫毛(ごうもう)より精微にして、大㝢(だいう)(注11)に大盈(だいえい)す。忽(こつ)として其れ極(いた)る(注12)こと之れ遠く、攭(れい)(注13)として其れ相逐(お)いて反(かえ)る。卬卬(ごうごう)として天下之れ咸(みな)蹇(と)る(注14)なり。德厚くして捐(す)てず、五采備りて文を成す。往來・惛憊(こんまい)にして(注15)、大神(たいしん)に通じ、出入甚だ極(すみや)か(注16)にして、其の門を知ること莫し。天下之を失えば則ち滅び、之を得れば則ち存す。弟子不敏にして、此を之れ陳ぜんと願う。君子辭を設けよ、請う之を測意せん。曰く、此れ夫れ大にして塞(みた)さざる者か。大宇に充盈(じゅうえい)して窕(ちょう)ならず(注17)、郄穴(げきけつ)に入りて偪(せま)らざる者か。遠きに行くこと疾速なるも、訊(しん)を託す可らざる者か。往來・惛憊にして、固塞と爲す可からざる者か。暴(にわか)に殺傷に至るも、億忌(おくき)(注18)せざる者か。功天下に被りて、私置(しち)(注19)せざる者か。地に託して宇に游び、風を友として雨を子とし、冬日は寒を作し、夏日は暑を作す。廣大にして精神なり。請う之を雲に歸せん。雲。


(注4)集解の王念孫は、「隆は降と同じ」と言う。くだす。
(注5)集解の王念孫は、「帝」は「常」字の誤りと言う。これに従う。
(注6)原文「涽涽淑淑、皇皇穆穆」。多様な解釈が提出されている。楊注は「或は愚、或は智を言うなり」と注して、すなわち前半は桀・紂の愚を示し後半は湯・武の智を示す形容詞とみなしている。集解の兪樾は、「淑」はまさに読んで「踧(しゅく)」となすべしと言う。踧は、せまる、ちぢこまるの意。いっぽう増注は「淑」を清湛の意と解し、「涽涽淑淑」は濁るが如く清むが如くの貌、と言う。新釈は「涽涽淑淑」を「透徹した智の静止状態をいう」と注し、「皇皇穆穆」を「明美な智の発動状態をいう」と注している。金谷治氏は「涽涽淑淑」を楊注・兪樾にのっとって解し「混乱し急迫する」と訳し、「皇皇穆穆」を「大らかで美々しい」と訳している。「涽涽淑淑」と「皇皇穆穆」を対立する対句とみなす、金谷治氏のオーソドックスな解釈に従いたい。
(注7)増注は物茂卿(荻生徂徠)を引いて、「祟は終なり」と言う。おえる。
(注8)「寧泰」について、楊注はまさに「泰寧」となすべし、と言う。新釈の解説を引けば、「寧」は前句末字の「形」「成」および後句末字の「名」と同じ上古耕部の韻に属する。
(注9)増注および集解の王念孫は、「狄」は読んで「逖」となす、と言う。とおざける。
(注10)原文「無疵也」。集解の王引之は、「也」は衍と言う。次の句末字の「知」と韻を踏むのは「疵」字であるべきで、「也」字は上句に引きずられた衍字であり『芸文類集』にはこれがないことを理由とする。
(注11)楊注に「㝢」は「宇」と同じ、と言う。「㝢」はCJK統合漢字拡張Aにしかない。
(注12)増注は、「極」はなお「至」のごとし、と言う。いたる。
(注13)楊注は、「攭は「劙(れい)」と同じで分判の貌と言う。集解の王念孫は、「攭は雲気旋転の貌」と言う。楊説を取れば雲がちぎれる様、王説を取れば雲がめぐって戻ってくる様と取れる。楊説を取る。
(注14)集解の兪樾は、「蹇」はまさに読んで「攓」となすべく、方言にして「取」なり、と言う。雲の恩徳を天下が取ることを言うと解する。
(注15)「惛憊」について、楊注は「なお晦暝のごとし」と言う。増注は荻生徂徠を引いて「惛は昏にして憊は昧なり」と言う。これらの解釈に従えば、惛憊は昏昧(こんまい)であり、(形が)はっきりせずつかみようがない様となるであろう。新釈の藤井専英氏はこの通説を採らず、「惛」は専黙精誠の意、「憊」はヘイと読んで困・疲の意と解し、「惛憊(こんへい)」を「(雲が哲人のように)深く思索に耽っている姿」と訳している。藤井説にも一理あるが、昏昧の意で訳すことにしたい。
(注16)楊注は、「極」は読んで「亟」となす、と言う。すみやか。
(注17)集解の王念孫は、「窕」は間隙の称、と言う。すきまのこと。
(注18)集解の王念孫は、「億は読んで意となし、意は疑なり」と言う。億忌は、疑って嫌うこと。
(注19)王念孫は、「置」は読んで「徳」となす、と言う。

残る四篇の賦も、同工異曲の謎解き詩の形式である。二篇まとめて訳して掲載した。第三篇は、初め荀子の儒学と関係があるような言葉を並べておいて、そのオチとしては人間ではない自然現象の雲を答えとする趣向を取っている。人間を超えた力を持つ天地自然にも大いなる徳がある、ということを言いたかったのであろうか。

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