解蔽篇第二十一(1)

By | 2015年5月17日
およそ人のわずらいとは、心が一方に偏った邪説に蔽(おお)われて大きな真理に暗くなるところにある。心をよく治めることができれば、正道に復帰することができるだろう。だが心が邪説に揺れて疑いを持ってしまうと、心は惑うばかりである。天下には、二つの正道はない。聖人は、二心に惑うことはない。だが今どきの諸国は政治をてんでばらばらなやり方で執っていて、諸子百家がてんでばらばらな説を立てる。こうなれば、こちらの説が正しいと主張するならばあちらの説は間違いということになり、こちらの説で国が治まるのであればあちらの説では国が乱れるということになる。乱れた国の君主、乱れた家の家長といえども、誠心誠意に正道を求めて自らの国や家をなんとか整えようと思ってはいるのである。だがその過程で妬んだり間違ったりして心が乱れると、そこに邪説を立てる者が現れて、己の守備範囲の主張を並び立てて誘惑するのである。そうして邪説の者にすっかり取り込まれて、邪説に従った対策を積み重ね、それにこだわるようになってしまい、ついにその弊害を聞かされることを恐れるようになるのだ。己がこだわる邪説から他の説を見るようになれば、ついに他説の利点を聞かされることを恐れるようになるのだ。こうして彼らは国や家を治める道から離れ去ってしまい、それなのに己を是としてやむことがない。なんとまあ邪説に心蔽われて、正道を求めたいという初心を失った哀れな姿であることよ。己の心を主体的に働かせることができなければ、目の前に白と黒があったとしても、目はそれを白と黒だと識別しようとしない。真横で雷や太鼓が鳴ったとしても、耳はそれを聞こうとしない。ましてや、心が邪説に蔽われていては、正しい認識などできはしない。世の中がこうして邪説に蔽われているので、そんな時代に正道を得た人は、上では乱れた国の君主に罵られ、下では乱れた家の家長に罵られるのである。なんと哀しいことではないか。

何が、心を蔽うのであろうか?欲が、心を蔽う。憎しみが、心を蔽う。初めてやることであると、心が蔽われる。最後の仕上げの段階に至ると、心が蔽われる。疎遠な存在だと、心が蔽われる。身近すぎると、心が蔽われる。いろいろと知りすぎると、心が蔽われる。あまりに知らなすぎると、心が蔽われる。時代が古すぎると、心が蔽われる。時代が新しすぎると、心が蔽われる。およそ万物はさまざまなのであるから、一つのことに心が蔽われると、他のことにも心が蔽われて、互いが互いを蔽うことになる。これが、心を治める術にとって、共通の悩みなのである。

《原文・読み下し》
凡そ人の患(かん)は、一曲に蔽(おお)われて、大理に闇(くら)きことなり。治むれば則ち經に復し、兩疑すれば則ち惑う。天下に二道無く、聖人に兩心無し。今諸侯政を異にして、百家說を異にすれば、則ち必ず或は是(ぜ)にして或は非、或は治にして或は亂なり。亂國の君、亂家の人も、此れ其の誠心は、正を求めて以て自ら爲(ため)にせざること莫きも、道に妬繆(とびゅう)して、人其の迨(およ)ぶ(注1)所を誘うなり。其の積む所に私し、唯(ただ)其の惡を聞かんことを恐るるなり。其の私する所に倚(よ)りて、以て異術を觀て、唯其の美を聞かんことを恐るるなり。是(ここ)を以て治と雖走(りそう)(注2)して、己を是として輟(や)まざるなり。豈(あ)に一曲に蔽われて、正を求むることを失するならずや。心焉(ここ)に使(し)せざれば、則ち白黑前に在るも目見えず、雷鼓側に在るも耳聞かず、況(いわん)や使(へい)せらるる(注3)者に於ておや。道を德(う)る(注4)の人は、亂國の君は之を上に非(そし)り、亂家の人は之を下に非る。豈に哀しからずや。故(なに)か(注5)蔽を爲す。欲蔽を爲し、惡蔽を爲し、始蔽を爲し、終蔽を爲し、遠蔽を爲し、近蔽を爲し、博蔽を爲し、淺蔽を爲し、古蔽を爲し、今蔽を爲す。凡そ萬物異なれば、則ち蔽を相爲さざること莫し。此れ心術の公患なり。


(注1)集解の郝懿行は、「迨」は「及」なり、と言う。
(注2)楊注は「雖」はあるいは「離」に作る、と言い、増注・集解の郝懿行もそうするべしと言う。
(注3)集解の兪樾は、この「使」は「蔽」の誤りである、と言い、上の「心焉に使せざれば」の句に引きずられて誤ったのであろう、と言う。これに従う。
(注4)増注・集解の王念孫は、「德」は「得」に作るべし、と言う。
(注5)集解の兪樾は、「故」は「胡」と同じである、と言う。「なにか」。

【この篇は、「正論篇第十八」の後に読んでいます。】

解蔽篇は、人間の心が真理を得る道を述べている。哲学において真理を得る道は、いくつか示されている。世界には絶対真理のイデアが存在して、それを人間は理性を働かせることによって捉えることができるし、捉えなければならない。これは、プラトンの言うところである。人間は認識を行うために先天的にメガネを掛けられていて、そのメガネを通して見える認識の範囲内でしか真理・誤謬を確定できない。メガネを外した先にある物自体は人間にとって憶測以上のことを言うことができない。これは、カントの言うところである。世界の真理は人間の争いを通じて歴史的に少しずつ明らかになる。歴史上の人間は、理性の狡知に踊らされて戦うことによって結果として真理を遺していく道具である。これは、ヘーゲルの言うところである。荀子は、どのように真理を得るというのだろうか。

解蔽篇を一読して私が思ったことは、ここでの荀子の議論が朱子学の議論に酷似しているということである。荀子も朱子学も、この世界には絶対真理があると考えるプラトニストである。そしてその真理を得るための方法は実験による検証ではなく、心を静かに落ち着けて瞑想することによって見出される、という非実験的な、いわば悟りの境地のようなことを言う。朱子学はその倫理的側面はいざしらず、世界認識の方法にはいささかの現代性もない。歴史的中国社会という特殊を人類全体の普遍であると断定するところから、すでにその思想は普遍性を消失しているのである。同様に、荀子は歴史的中国社会に固有の正道を、絶対真理とする。それは、荀子の時代に統一帝国を築くためには役立つ正論を導いたかもしれないが、時代と文化を異にしたこの二十一世紀の時代に対しては、荀子のこの解蔽篇の論議に見るべき現代的意義は何もないと私は考える。

それでも、この解蔽篇は続く正名篇のイントロダクション的意義を持っている。絶対的真理が確かに存在し、それを君子は把握できるという前提に立ってこそ、正名篇において真理から外れた異端の概念は国家が禁絶しなければならない、という主張に繋ぐことができるからである。したがって、退屈ではあるがこの解蔽篇を一応は読んでおきたい。真理の確定方法をこの解蔽篇の方法とは違ってより現代的な方法に変えたならば、現代において善悪を国家の法が定義することが一面ではやむをえないことでありながらも、それには必ず弊害が伴うことが見えてくるはずである。

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