富国篇第十(3)

By | 2015年4月7日
天下全てを充足させる道を言おう。
それは、人間の区分を明らかにすることによって達成される。土地をまとめて区画を整備し、雑草を除いて穀物を植え、肥やしを投入して田畑を肥沃にすること。これは庶民農夫の行うことである。だが暦どおりに農作業を指示して農民を督励し、作業を進めて収穫を挙げさせ、人民を調和させ、人民を怠けさせないこと。これは農業監督官(注1)の行うことである。高地で水不足もなく、低地で洪水もなく、寒い季節と暑い季節とが調和して、五穀が時期どおりに実る。これは自然の行うことである。庶民・官吏をすべてまとめあげ、これに恩恵をもたらし、これに統制を与え、結果凶作・水害の年であったとしても人民が飢えて凍える苦しみから守ること。これは、聖君・賢相の行うことである。

墨子の主張は、顔を曇らせて天下のために不足を憂う。だがかの者の不足説は、天下全体のわずらいではない。単に墨子が個人的に憂い、心配しすぎているだけのことである。土から五穀が生じて人間がこれをよく管理すれば、一畝(13.5m×13.5m)ごとに数盆(12斗8升の数倍)の収穫が、一年で二回得られるだろう。さらに瓜、桃、棗(なつめ)、李(すもも)は一本の木から大量に採ることができて、香味野菜ほかの野菜類もまた大量に採ることができて、家畜類は一頭で車がいっぱいになるほど肥え太り、黿(でかいすっぽん)、鼉(わに)(注2)、魚、鼈(すっぽん)、鰌(どじょう)、鱣(かわへび)は時期が来れば子が発生して一群を成し、空を飛ぶ鳥も鳧(かも)も鴈(かり)も霞海のように群れ、昆虫ほかもろもろの生物もその隙間に発生し、こうして人間が食べる食材は、数え切れないほど有り余っているのである。そもそも天地が万物を生じるとき、もとより余剰があるのであって、人に食わせるには十分であり、また麻、葛(くず。繊維を取る)、繭糸(けんし)、鳥獣の羽毛に歯に革もまたもとより余剰があるのであって、人の衣料を作るには十分なのである。そもそも余剰があるのが公理であり、不足は天下全体のわずらいではない。単に墨子は個人的に憂い、心配しすぎているだけのことである。天下全体のわずらいとは、争乱による損害のことである。この争乱を起こしているのは誰だ、とどうして試しに探さないのか?私が思うに、墨子の非楽説は天下を乱し、墨子の節用説は天下を貧窮させているのである。何も私は、墨子を個人攻撃しているのではない。彼の学説が、争乱と貧窮となることが不可避なのである。墨子がもし大は天下を保有し、小は一国を保有したならば、彼はしゅんとして粗衣粗食し、憂えて音楽を廃止するであろう。こんなことをすれば、人民は痩せる。痩せれば、欲が満たされない。欲が満たされなければ、褒賞昇進を行うこともできないだろう。墨子がもし大は天下を保有し、小は一国を保有したならば、労役の人夫を減らし、官職を整理し、君主自ら功績を挙げようと労苦し、人民と同じ仕事を行い、人民と共に働こうとするであろう。こんなことをすれば、君主の威厳はなくなる。威厳がなくなれば、賞罰が行われない。賞が行われなければ賢者を昇進させることもできず、罰が行われなければ愚者を追放することもできないだろう。賢者が昇進せず愚者が追放されないならば、人の能不能に応じて官に付けることができなくなるだろう。こんなことになれば万物の適正な管理ができなくなり、事態の変化に応じることができなくなり、天の時・地の利・人の和を利用する機会を失うだろう。天下は焼け焦げたかのような最悪の事態となり、ここで墨子が粗衣粗食しましょう、縄の帯で節約しましょう、豆スープと水で我慢しましょう、と清貧のすすめをほざいたしても、どうして天下を満足させることができようか。根元から切り倒し、水源から枯らして、天下を焼け野原にしてしまったのである。

ゆえにわが国の文明の建設者である先王たちや聖人たちは、そのような治め方をしなかった。人に君臨する者は、美にせず飾らずでは人民をまとめることができず、富まず厚からずでは家臣を管理することはできず、威あらず強からずでは暴を禁じて凶悪に勝つことができないのを理解していた。ゆえに必ず大鐘(おおがね)をつき、鳴鼓(たいこ)を撃ち、笙竽(しょうのふえ)を吹き、琴瑟(こと)を弾いて、これで美しい音楽を聞いて楽しみ、器物調度に模様を付け、衣装礼服に文様を織り込んで、これで美しい工芸品を見て楽しみ、家畜の肉を食い、穀物を食い、五味を味わい、香辛料を味わって、これで美味を味わって楽しみ、こうした後に労役の人夫を増やして、官職と備え、あるいは褒賞を与え、あるいは刑罰を厳しく下して、人心を引き締めたのであった。こうして天下の人民たちに向けて、欲しいものは君主の手元にしかない、ということを示すことによって、褒賞がよく行われるのである。また畏怖するものは君主の手元にしかない、ということを示すことによって、刑罰によく威が加わるのである。賞が行われて罰に威があれば、賢者は昇進することができて、愚者は追放することができて、人の能不能に応じて官に付けることができるのだ。こうなれば万物の適正な管理ができて、事態の変化に応じることができて、天の時・地の利・人の和を利用することができて、財物は泉のように湧き出て、大河や海のように満ちあふれ、丘や山のように積み上がり、時々焼却処分しなければ収蔵場所がなくなるほどになる。こうであるのに、なんで天下が不足することを心配するのか。ゆえに儒家の政策術が真に実施されるならば、天下は大いに富み、楽に功績を挙げることができて、鐘を撞いて太鼓を撃って和す泰平の世となるのである。『詩経』に、この言葉がある。:

鐘鼓、喤喤(こうこう)たり
管磬(かんけい)、瑲瑲(しょうしょう)たり
福を降(くだ)す、穰穰(じょうじょう)たり
福を降す、簡簡(かんかん)たり
威儀、反反(はんはん)たり
既に酔い、既に飽きぬ
福禄(ふくろく)、反(かえ)りて来る
(周頌、執競より)

先王のこのような泰平の世は、今言った統治術によって行われたのである。

しかし墨子の政策術が真に実施されるならば、天下は倹約を尊重してますます貧しくなり、上は非闘を掲げながらも下は毎日争う結果となり、労苦憔悴してさっぱり功績が挙がらず、いつも暗い顔して憂い、音楽を廃絶して毎日不和となるのである。『詩経』に、この言葉がある。:

天災、重ねて降り
争乱、天下に満つる
民は、一人として称えず
上は、一度として懲りず
(小雅、南山より)

墨子の政策術の結果は、このようになるのだ。


(注1)原文は「將率」。集解は古代の農官の例を挙げて、軍事指揮官のような官吏であるかと言っている。戦国時代、各国は灌漑を行って新田拡大に乗り出していた。そのような直営の新田の経営は、官吏の指揮のもとにあったと思われる。荀子がここで自然農村よりも新田の農業監督官のようなものを想定していたことは、十分にありえる。
(注2)鼉(だ)は鰐(わに)のことと言う。長江には固有種のワニがいたが、絶滅が危惧されている。
《原文・読み下し》
天下を兼足(けんそく)するの道。分を明(あきら)かにするなり。地を掩(おお)い畝(うね)を表(ひょう)(注3)し、屮(くさ)を刺し穀を殖え、糞を多くし田を肥(こや)すは、是れ農夫衆庶の事なり。時を守り民を力(つと)めしめ、事を進め功を長じ、百姓を和齊(わせい)し、人をして偸(おこた)らざらしむるは、是れ將率(しょうすい)の事なり。高き者も旱(かん)せず、下(ひく)き者も水せず、寒暑和節して、五穀時を以て孰するは、是れ天下(注4)の事なり。若し夫れ兼ねて之を覆い、兼ねて之を愛し、兼ねて之を制し、歲凶敗(きょうはい)・水旱(すいかん)すと雖も、百姓をして凍餧(とうだい)の患(うれい)無からしむるは、則ち是れ聖君・賢相の事なり。
墨子の言は、昭昭然(しょうしょうぜん)として天下の爲に不足を憂う。夫の不足は天下の公患に非ざるなり、特(ひとり)墨子の私憂・過計(かけい)なり。今是れ土の五穀を生ずるや、人善く之を治むれば、則ち畝ごとに數盆(すうぼん)あり、一歲にして再び之を獲(う)、然る後瓜桃(かとう)・棗李(そうり)は、一本にして數うるに盆鼓(ぼんこ)を以てし、然る後葷菜(くんさい)・百疏(ひゃくそ)は澤を以て量り、然る後六畜(りくきく)・禽獸(きんじゅう)は一にして車を剸(もっぱら)にし、黿鼉(げんだ)・魚鼈(ぎょべつ)・鰌鱣(しゅうせん)は時を以て別れ、一にして羣(ぐん)を成し、然る後飛鳥(ひちょう)・鳧鴈(ふがん)は煙海の若く、然る後昆蟲(こんちゅう)・萬物其の間に生じ、以て相食養す可き者、勝(あ)げて數う可からざるなり。夫れ天地の萬物を生ずるや、固より餘り有りて、以て人を食(やしな)うに足り、麻葛(まかつ)・繭絲(けんし)、鳥獸の羽毛(うもう)・齒革(しかく)、固より餘り有りて、以て人に衣(き)するに足る。夫有餘(ゆうよ)足らざるは、天下の公患に非ざるなり、特(ひとり)墨子の私憂過計なり。天下の公患は、亂之を傷つくるなり。胡(なん)ぞ嘗試(こころみ)に相與(とも)に之を亂る者は誰ぞと求めざるや。我以(おもえら)く墨子の非樂(ひがく)や、則ち天下をして亂れしめ、墨子の節用や、則ち天下をして貧ならしむ、將に之を墮(こぼ)たんとするに非ざるなり、說免れざるなり。墨子大は天下を有(たも)ち、小は一國を有ち、將(は)た蹙然(しゅくぜん)として麤(そ)を衣(き)惡を食し、憂戚して樂を非とせん。是(かく)の若くなれば則ち瘠せ、瘠せれば則ち欲を足さず、欲を足さざれば則ち賞行われず。墨子大は天下を有ち、小は一國を有たば、將(は)た人徒を少なくし、官職を省き、功を上として勞苦し、百姓と事業を均しくし、功勞を齊(ひと)しくせん。是の若くなれば則ち威あらず、威あらざれば則ち賞罰(注5)行われず、賞行わざれば、則ち賢者得て進む可からざるなり、罰行わざれば、則ち不肖者得て退く可からざるなり。賢者得て進む可からず、不肖者得て退く可からざれば、則ち能・不能得て官す可からざるなり。是の若くなれば、則ち萬物宜しきを失い、事變應(おう)を失い、上は天の時を失い、下は地の利を失い、中は人の和を失い、天下敖然(ごうぜん)として、燒くが若く焦(こが)すが若く、墨子之が爲に褐(かつ)を衣(き)索(なわ)を帶(おび)にし、菽(まめ)を嚽(すす)り水を飲むと雖も、惡(いず)くんぞ能く之を足さんや。既に以て其の本を伐り、其の原を竭(かつ)して、天下を焦せり。
故に先王・聖人之を爲すは然らず。夫の人の主上爲る者は、不美不飾の以て民を一にするに足らず、不富不厚の以て下を管すに足らず、不威不强の以て暴を禁じ悍(かん)に勝つに足らざるを知る。故に必ず將(は)た大鐘(たいしょう)を撞き、鳴鼓(めいこ)を擊ち、笙竽(しょうう)を吹き、琴瑟(きんしつ)を彈じて、以て其の耳に塞(み)たし、必ず將た錭琢(ちょうたく)・刻鏤(こくろう)・黼黻(ほふつ)・文章に、以て其の目を塞(み)たし、必ず將た芻豢(すうけん)・稻粱(とうりょう)・五味・芬芳(ふんほう)、以て其の口を塞たし、然る後人徒を衆(おお)くし、官職を備え、慶賞に漸(ひた)し、刑罰を嚴にして、以て其の心を戒め、天下生民の屬をして、皆己の願欲する所の舉(みな)是于(ここに)在ることを知らしむる、故に其の賞行わる。皆己の畏恐(いきょう)する所の舉是于(ここに)在ることを知る、故に其の罰威あり。賞行われ罰威あれば、則ち賢者得て進む可きなり、不肖者得て退く可きなり、能・不能得て官す可きなり。是(かく)の若くなれば則ち萬物宜しきを得、事變應を得、上は天の時を得、下は地の利を得、中は人の和を得、則ち財貨渾渾(こんこん)として泉源の如く、汸汸(ほうほう)として河海の如く、暴暴(ばくばく)として丘山の如く、時に焚燒(ふんしょう)せざれば、是を臧(ぞう)する所無し。夫れ天下何ぞ不足を患(うれ)えんや。故に儒術誠に行わるれば、則ち天下は大にして富み、使(いつ)(注6)にして功あり、鐘を撞き鼓を擊ちて和す。詩に曰く、鐘鼓(しょうこ)喤喤(こうこう)、管磬(かんけい)瑲瑲(しょうしょう)、福を降(くだ)すこと穰穰(じょうじょう)、福を降すこと簡簡(かんかん)、威儀反反(はんはん)、既に醉い既に飽き、福祿(ふくろく)來反(らいはん)す、とは、此を之れ謂うなり。故に墨術誠に行わるれば、則ち天下儉を尚(たっと)びて彌(いよいよ)貧しく、鬭(とう)を非として日に爭い、勞苦・頓萃(とんすい)して愈(いよいよ)功無く、愀然(しゅうぜん)として憂戚(ゆうせき)し、樂を非として日に和せざらん。詩に曰く、天方(まさ)に薦(かさ)ねて瘥(うれい)、喪亂弘多(こうた)なり、民言嘉(よ)きこと無きも、憯(かつ)て懲むること莫し嗟(ああ)、とは此を之れ謂うなり。


(注3)楊注は、「表」は「明」と言う。猪飼補注は、「表は猶高きがごとしなり。言うは土を覆いて畝と爲す」と言う。
(注4)集解にて王念孫は「下」字を衍字(よけいな字)と言い、増注は「天下は天地に作るべし」と言う。
(注5)集解・増注ともに「賞」は衍字と言う。しかしこれがあった方が後と対応するので、残す。
(注6)集解の王念孫・増注ともに王覇篇に「佚にして功あり」とあることを引いて「使」は「佚」の誤りとなす。猪飼補注は直下の文と対であり「愈(いよいよ)功あり」とするべきで「使」は「愈」の誤りとなす。決め手に欠けるが、集解・増注により訳す。

ここは、荀子の墨家批判の部分である。
墨家は荀子の弟子の韓非子が「世の顕学は、儒墨なり」と言い、戦国時代に儒家と並んで二大思想勢力であった。孟子は墨家を攻撃したが、荀子もまた攻撃するのは、同じ儒家に属しているからである。両者とも、墨家に対しては反論するだけであり、その良い所を認めるなどは一切ない。儒家と墨家は、他人への仁愛が人間として最重要な徳であると主張する点では、共通している。なまじ共通点があるから、細部の違いによって天下の主導権をどちらが取るか、で争いとなった。両者は近親憎悪と言うべきかもしれない。

いちおうは、両派の相違点を整理しておこう。

対立点 儒家の主張 墨家の主張
他人への愛について 人間は近親を優先して愛するのが自然な性質であり、よって近親にまず親しみ、その延長線上に一般人に仁愛を伸ばすべきである。(差別愛) 人間は自分の近親も他人の近親も等しく愛するべきである。儒家の愛は差別である。(兼愛説)
君主の責務について 君主は家臣を信任して働かせ、家臣に慕われることに専念するべきである。自ら働くのは礼ではない。君臨して動かず治めた堯舜を理想とする。 君主は天下のために知恵をふりしぼり、誰よりも率先して働くのが第一人者の責務である。勤労して功績を挙げた禹を理想とする。
音楽・葬儀について 音楽は君臣の和合を促す。葬儀は親への哀悼を示す。よって両者とも大切な文化であり、これを豪華にするのは正しい。 音楽は無駄なぜいたくである。死んだ人間の葬儀で富を消費することは、生きている人間の生活を圧迫する。よって音楽は廃絶し、葬礼は簡単に済ますべきである。(非楽・節葬)
超自然的権威について 天命が人間の運命を左右する。しかし天命を人間が知覚することはできず、人間は努力するのみである。生きる時代が不利なこともまた天命であり、そのときには身近な人々を教化して一人正しく生きるのもやむをえない。 鬼神は人間世界に介入する力を持ち、善行には報いを与え悪行には罰を与える。だから鬼神を信じて、善行に邁進せよ。儒家の人生観は、言い訳をつけて現世から引っ込んでいるばかりで卑怯である。
国家の戦争について 民を救う義戦は行うべきである。仁義の軍は民から歓迎されるため、ほとんど戦わずして勝つはずである。 他国を侵略する戦争は、不義である。墨家は侵略から防衛する戦いを実践し、侵略の意図をくじかなければならない。

儒家のほうがより保守的な思想であり、墨家のほうがより開明的な主張をする。しかし墨家は鉅子(きょし)というリーダーの統制のもと集団で命を張って小国の防衛のために義軍として働く、狂信的な側面もまたあった。儒家の目的は、朝廷の中で政治家として重きを成すことである。墨家は都市の商工業者など下層民が主な信徒であり、名を挙げることなく信仰のために死んでいった。

『孟子』では墨家への具体的な批判点は、兼愛説であった。孟子は親に仕えつづけた聖王舜の孝を称え、親子のきずなを人間の最も基本的な倫理と考えた。人間は最も身近な親への孝を最初の善なる関係として、それを扇を広げるように他の人間への仁へと広げていくのが、孟子が描く仁の人である。孟子にとって親を大事にしない人間は、そもそも人間として誰も愛することができない。なので、自分の親と他人の親とを等しく愛せよという墨家を自説への最大の敵として攻撃したのであった。
いっぽう荀子は、別の視点から墨家を批判する。それは、これまで述べた自らの国家観と相容れない、墨家の礼楽不用論が対象である。墨家は非楽・節葬を唱え、儒家の礼楽を無駄なぜいたくと批判する。だが荀子にとって礼は社会の区別等級を付けることであり、それを通じて富の階級間の配分比率を規定するという重要な経済的効果がある。よって礼は社会に必要な装置であるから、墨家の礼楽不用論を却下するのである。孟子・荀子ともに儒家として墨家を批判するが、さすが両者は批判の力点が違う。孟子は倫理面から墨家を批判し、荀子は墨家の主張が社会システムとしてうまく機能しないと批判する。

書かれているように、荀子は社会において資源が不足していると考えず、ずいぶんと景気のよい主張を行う。荀子は墨家を批判することを通じて、生産活動と消費活動を肯定するのである。なるほど当時の中国大陸にはまだ開発余地があったのであり、戦乱が去れば経済が成長する用意ができていたのは、戦乱が終わった漢代前期が長期の経済成長を謳歌したところを見ると理解できる。だから、荀子の主張は少なくとも彼の時代に合ったものであった。
経済成長は自然環境の許容する範囲と、時代の人間が持っている技術水準によって天井が決まるものである。自然の開発余地がある段階では、人口が増えれば経済は成長していく。だが自然の開発余地が尽きてしまえば、技術の進歩がない限り生産は打ち止めとなり、人口がそれでも惰性で増加すれば困窮してしまう。荀子以降の中国社会は、こうして成長期と停滞期を繰り返していた。だから、荀子の資源観は歴史のある時期においては通用し、別の時期には通用しないと考えたほうがよいであろう。何よりも、現代の日本経済で難題なのは物資の問題ではなく、人間という資源の活用方法である。荀子のアプローチは、途上国段階の経済のキャッチアップ政策には(資源の制約の問題を抜きにすれば)有効であっても、現代日本の経済にはちょっと古い課題であると私は評価したい。

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