「新」は楊倞校訂『荀子』の配列。「旧」は劉向旧目録の配列。→『荀子』の刊本と注釈の歴史
コメント有 | 新 | 旧 | 篇名とリンク | 概 要 | |
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修身論的各篇 | 1 | 1 | 勧学篇 |
人に不断に学ぶことを勧め、学ぶことを通じてのみ人はよき存在となることを説く。だがその学び方は、自分勝手で断片的なやり方ではいけない。しかるべきよい先生に就いて、正しい学習法に則り、筋道立った伝授を受けなければ、真の智恵は身に付かない。この勧学篇が冒頭に置かれていることは、まちがいなく『論語』を意識している。
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2 | 2 | 脩身篇 |
勧学篇に続き、君子の身の修め方を説く。礼に則ること、師に就いて学ぶことの必要性が説かれる。体内の「気」を修める方法を論じるくだりは、先秦儒家の「気」論の中では最も体系的である。
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3 | 3 | 不苟篇 |
君子の心得が列挙される。内容は『論語』の君子の心得を荀子の学によって展開したものであり、荀子が孔子の後を継いだ正統な儒家であることが分かる。篇中で「誠」の意義が論じられている。
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4 | 4 | 栄辱篇 |
栄誉と屈辱は、目先の利益にはなくて君子として正しい振る舞いをするか否かをした先に訪れる。儒家に共通の君子像と荀子自らの性悪説とを、整合的に説明することを試みる内容となっている。
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異端批判論的各篇 | 5 | 5 | 非相篇 |
冒頭では、人相で人物のよしあしを判断する時代の風潮を批判する。中途から話題が変わって、いわゆる後王思想が説かれる。理想の国家を作るための規範は、はるかに遠くて情報があいまいな「先王」だけに求めることができず、時代の近い「後王」の制度にむしろ求めなければならない。この「後王」を周の文王・武王とみなすか、より荀子の時代に近い近時の王とみなすかで、荀子研究者の説は分かれる。本篇は全体としてのまとまりがなく、雑多な資料の寄せ集めのようである。
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6 | 6 | 非十二子篇 |
前の時代を風靡した十二人の論者を、異端として攻撃する。その中には儒家の先達である子思・孟子も入っていて、後世の儒家たちを困惑させて怒らせた篇である。正しい君子は、邪説に惑わされてはならない。この篇で、荀子は自らの依拠する思想家として孔子とともに子弓(しきゅう)を挙げる。子弓の正体は孔子の弟子の冉雍(ぜんよう)ほか各説あるが、はっきりしたことは分からない。
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統治論的各篇 | 7 | 7 | 仲尼篇 |
斉の桓公が覇者となれたのは名宰相の管仲を抜擢したためであると言い、だが孔子の門人は覇者を讃えることはしない、と言う。なぜならば孔子の後を継ぐ儒家が目指すのは王者の治世だからである。後の王制篇の結論を先取りしたような小篇。
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8 | 9 | 儒效篇 |
儒家の統治術の効能を説明した、長大な篇。『荀子』全体で展開される統治論のまとめ的な篇。中途に秦の昭襄王に荀子が儒家の効能を開陳したくだりがある。
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9 | 10 | 王制篇 |
まず強者、覇者、王者の三者比較を行い、王者が勝利して天下統一政府を作る必然性を述べる。しかし孟子が覇者の意義を全く分析しなかったのに対し、荀子は覇者が強者に勝利する理由を分析する。強者は自国の国力を他国侵略にだけ用いて正義の原理を知らない、暴力的存在である。いっぽう覇者は諸国並立の世界において、正義の原理により国際秩序の保全を実行するヘゲモニー国家である。天下に王者が現れないかぎり、覇者は強者に必ず勝利する。その王者とは、天下全体に通用すべき絶対的正義の原理を用いるために、国家を超えて人民の支持を集めて天下を統一するという。王制篇の後半は、来るべき王者の国の制度が説明される。それは、礼義を採用して秩序が安定し、賢明な君子が官僚として天下全体を合理的に支配する統一権力であり、荀子の死の直後に現れる中華統一王朝の国制を予言するものであった。
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10 | 11 | 富国篇 |
孟子の民本論をさらに推し進め、国家の起源は人民が利得を巡って争うことにより生命の危険に陥ることを回避するためにあえて君主の秩序に服した、という社会契約説を表明する。国家の役割は身分・経済秩序を礼義により制定し、富と身分と働きが相応させるように仕向けるところにある。よって君主・官吏が地位に応じて富を持っているのは社会に不可欠かつ有益であり、非楽・節用を唱えて君主の豪奢を批判する墨家の政策の無効性を宣言する。適正な配分が行われる社会秩序が与えられてはじめて人間はよく生きることができる、という荀子の考えは西洋のアリストテレスの思想とも共通するというべき視点であり、これは朱子学・陽明学といった個人倫理偏重の後期儒家思想には到達するべくもない視点であった。
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11 | 12 | 王覇篇 |
王制篇のリプライズである。覇者と王者の区別、および王者の統治術が再説される。なおこの篇と後の議兵篇において、いわゆる「春秋五覇」の荀子説が見える。
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12 | 13 | 君道篇 |
以下三篇では、君主・家臣・賢士について説かれる。まず君主の心得が本篇で説かれる。君主は礼に従い、賢明な宰相を選んでこれに政治を執らせなければならない。君主は自ら働く必要はなく、働く賢臣を選ぶことが任務である、という官僚の任命者としての君主像が展開される。
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13 | 14 | 臣道篇 |
次に、家臣の心得が説かれる。君主に対する「忠」が強調されていて、後世の日本人の忠義の概念に近づいている。この「忠」の強調は、先行する孔子や孟子の時代ではまだ表れなかった、官僚の国家への忠勤を要求する荀子の新しい倫理である。もっとも荀子は君主は最高の仁智がなければその資格がない、という倫理もまた他篇で展開しているわけであって、「君、君たらずとも、臣、臣たらざるべからず」のような家臣の一方的な義務としてこの篇を読むべきでない。また孟子は親への孝は国家への献身より優先する、といった倫理を強調するが、国家官僚としての責務を強調する荀子は孟子のような倫理観を全く取り上げない。
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14 | 15 | 致士篇 |
三篇の最後に、賢士を登用すべきことが説かれる。雑多な断章が多く、一貫した論述ではない。
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15 | 16 | 議兵篇 |
兵家の軍人、弟子の李斯らと兵の強さの要因について議論する。荀子は兵法が説く戦場での戦術(タクティクス)を軽視し、国家が日常から採用する国力充実の戦略(ストラテジー)に集中して議論を行う。そのために国家が採用するのは、礼法の原理である。戦略を戦術の上位に置くのは正しいが、戦術をもって語るべき戦場での勝利法を荀子は戦略の論法で語り、両者を混同視するのは、超長期的な理想論しかできない儒家であるから致し方ない。
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16 | 17 | 彊国篇 |
前の議兵篇から続く内容で、強国は正しい礼法に基づき王者の治世を行うことによって作られる、と説く。その中で楚の子發を批判して、国に功績がありながら褒賞を辞退するのは礼法の秩序を乱す行為である、という韓非子のようなシステム重視の議論を行う。一方で荀子が秦を訪れた印象が宰相の范雎との対話で書かれていて、荀子は自ら見聞した秦国の政治を高く評価している。イデオロギーによる秦国批判とは違う荀子の秦国への評価が見えて、興味深い。
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自然文化言語および人間本性論的各篇 | 17 | 18 | 天論篇 |
著名な「天人の分」を論ずる。天が与える自然を所与として、人間がこれに加工を加えて生活を改善することの必要性が本篇の要点である。よって、荀子は自然の現象に人間が受動的な姿勢を取ることを、断固として退ける。天候不順があっても、人間の政治の努力で飢饉は避けられる。不思議な天文現象は、人間の生活に本質的影響はない。雨乞いや占いは、無知な人心を鎮めるための飾りである。荀子の合理的自然観は、儒家の人間中心主義を極限まで追及した結果である。
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18 | 19 | 正論篇 |
「世俗の説」に対する荀子の反論が列挙された篇。中でも湯武放伐論と堯舜禅譲論に対する荀子の見解は、孟子の民本思想をさらに徹底させたものである。君主の地位は国家の一職務であり、その職務にふさわしい聖人しか就任できない。これは、世襲制を事実上放棄した有能者による君主交替制である。末尾には、人間寡欲説を唱えた子宋子(宋鈃)に対する荀子のまとまった反論がある。人間が欲望を自制することによって平和が訪れる、と主張する子宋子の主張を斥けて、人間は欲望を持つことが本性であって、国家が人間の欲望に応じて褒賞と刑罰を分配することが平和への道である、と説く。この議論は、後の性悪篇につながる。
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19 | 23 | 礼論篇 |
荀子が最重視する礼について集中的に取り上げた篇。礼は、国家と人間社会を秩序づける必須の装置である。節葬を主張する墨家を批判して、なぜ儒家は三年の喪を採用すべきであると主張するのか、その倫理的理由を述べる。『史記』礼書の後半部分のテキストは、礼論篇の前半部および議兵篇の一部とほぼ一致する。また礼論篇の一部は、『大戴礼記』『礼記』のテキストともほぼ一致する。
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20 | 20 | 楽論篇 |
音楽に関するエッセイである。儒家にとって音楽は礼義とともに「礼楽(れいがく)」と並び称され、人間社会の上下を感覚によって調和させる政策手段として重視される。非楽を唱える墨家思想が、ここでも批判される。本篇は『礼記』楽記篇・『史記』楽書と並んで、古代音楽理論の最も体系的な叙述である。
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21 | 21 | 解蔽篇 |
正しい認識を心で得る方法が説かれる。荀子のような儒家は、世界の真理は不動のものとして存在しており、人間はそれを雑念を除くことによって正しく認識しなければならない、というプラトニズムに立つ。ただ荀子が立てる真理の根拠は中華世界の歴史を通じて不動の真理、という一文化圏の歴史的経験から帰納されたものであって、時代と文化を超えて普遍的に応用できるものではない。解蔽・正名篇に詳述される荀子の認識論は、戦国末期~秦漢代に成立したと推測できる『大学』の「格物致知」にも影響を与えた可能性がある。
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22 | 22 | 正名篇 |
孔子の「名を正す」という政策課題を受けて、個物に正しい名称を名付けるべきことが説かれる。荀子は世界には真理が実在すると信じるプラトニストであり、その真理を表現する名称が正しい名称である、と信じる。そのために正しい名称を揺るがす邪説をなす者は国家権力で排斥すべし、と主張する。荀子の主張は、ロゴス中心主義の罠に陥ったプラトニストが正しい言語を国家権力で守れ、と主張する姿を、戯画的に表している。
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23 | 26 | 性悪篇 |
最も著名な篇。「人の性は悪、その善なるものは偽(い)なり」という挑発的な言葉から始まり、孟子の性善説を批判する。荀子は自らの性悪説で二つのテーゼを提出する。すなわち、(1)人間の「性」すなわち生物学的な本能は、悪すなわち利己的動機しかない。人間が善になるためには、「偽(い)」すなわち人為的な矯正を選択して身につけなければならない、および(2)「偽」は(現実的には)聖人しか作成することができず、君子しか身に付けることができない、である。この二つのテーゼは、富国篇の社会契約説と表裏一体の関係にある。
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雑論的各篇 | 24 | 31 | 君子篇 |
王制篇・王覇篇・君道篇で展開された統治術を再説した短篇。爵禄は本人の徳と能力だけに応じて与えられるべきである、というメリトクラシー(実力主義)が強調される。荀子は、親族や先祖の成した功績や犯した犯罪によって当人に高禄を与えたり処罰したりしてはならない、と主張する。東アジアの通制である縁座制への明確な批判である。
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25 | 8 | 成相篇 |
相(そう)という歌謡のスタイルで、荀子の主張を述べた篇。次の賦篇とともに、荀子が歌謡のスタイルで自説を普及させようとした試みが見える。荀子は礼楽の大家であり、美文作りにも長けていた。
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26 | 32 | 賦篇 |
荀子作の賦(ふ)五篇および佹詩(きし)一篇を収録する。漢書芸文志に「孫卿賦十篇」とあるうちの、五篇であろう。賦とは比較的自由な韻文の形式であり、荀子が居住した楚国の『楚辞』などの詩歌に影響されたと思われる。作品の内容は、現代人が読んで面白いものではない。
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27 | 29 | 大略篇 |
荀子の語録を集めた断章。『孟子』の盡心章句に相当する。荀子のメインテーマである礼に関する言葉が多数を占めている。
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28 | 24 | 宥坐篇 |
ここより後の五篇は、荀子とその弟子が収集引用した記伝雑事である。宥坐篇は、孔子のエピソードを集めた雑録。宥坐篇以降各篇に収録された孔子のエピソードと弟子たちとの問答は、『孔子家語』ほかの他書にも類似の文が見られるものが多い。
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29 | 25 | 子道篇 |
孔子と魯の哀公、弟子の子路・子貢との問答を集めた雑録。注目すべきはその冒頭の緒言において、君主の命令や父親の命令よりも正道に従え、と宣言するところである。荀子は合理主義者として、親に従うことを正道に従う範囲内という条件を付けるのである。荀子の「孝」は、後世に主流となった親への絶対服従を求める「孝」の概念をくつがえす、合理的な人間関係である。
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30 | 27 | 法行篇 |
孔子・曾子(曾参)・子貢の言葉を集めた雑録。
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31 | 28 | 哀公篇 |
孔子と魯の哀公との問答を中心とした雑録。
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32 | 30 | 堯問篇 |
歴史上の人物たちの問答を集めた雑録。最初に堯と舜の問答があるために、この篇名がある。末尾には荀子の弟子による荀子賛がある。そこでは荀子は孔子に劣らない大人物であった、と讃えられている。楊倞がこの篇を末尾に置いたのは、思うに『論語』の末尾が堯曰篇で締められていることと対応させたものであろう。
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劉向校讎叙録 |
劉向校訂『荀卿新書』に添えられた叙録(序文)。現行本『荀子』では巻二十の末尾に置かれている。
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