不苟篇第三(5)

By | 2015年7月10日
通士(つうし)という者がいて、公士(こうし)という者がいて、直士(ちょくし)という者がいて、愨士(かくし)という者がいて、そして小人という者がいる。上はよく君主を尊び、下はよく人民を愛し、物が来たならばこれに対応し、事が起こったならばこれを処理する。これが事物の処理によく通じた士、すなわち通士というべき者である。下の者と徒党を組んで上の者に情報を覆い隠すことをせず、上の者と同調して下の者を苦しめたりせず、争いがあればこれを中立の立場で仲裁し、私情を挟んで判断を曲げない。これが公正な士、すなわち公士というべき者である。己の長じたところを上の者が知らなくてもそれで君主を恨むことなく、己の足りないところが上の者に気づかれていなくてもそれにかまけて褒賞を掠め取ったりせず、己の長所も短所も飾らず表に出し、己の実情をもって尽力する。これが廉直な士、すなわち直士というべき者である。常日ごろから言葉に信を置き、常日頃から行動を慎み、世間の凡俗に従うことを畏れて控えるが、己の独善独行をはなはだしくやりすぎない。これが謹直な士、すなわち愨士というべき者である。だが言葉に常の信がなく、行動に常の貞節がなく、ただ利のあるところに尻尾をふることしかしない。これが小人というべき者である。

公正は、明知を生じる。偏狭は、暗愚を生じる。謹直は、仕事を前に通じさせる。詐りの行為(注1)は、仕事を閉塞させる。心中が誠に仁義であるならば、外部に精妙なはたらきを生じさせる(注2)。言葉が誇大であるならば、外部を困惑させる。君たちは、これら六つのことが生じることを、心に慎まなければならない。これこそが聖王の禹(う)と悪王の桀(けつ)を分けるところなのである。

「欲しい・嫌い・得るべき・捨てるべき」を量る基準について。欲しいものを見たときには、必ずそれを得る前後の過程において嫌うべきものがどれぐらい身に降りかかるか、を熟考しなさい。利益になるものを見たときには、必ずそれを用いる前後の過程において害となるべきものがどれぐらい発生するか、を熟考しなさい。そういった熟考の後に両者を量り、詳しく検討して、それから後に「欲しい・嫌い・得るべき・捨てるべき」を判断しなさい。このようにすれば、常に失敗はないであろう。およそ人のわざわいは、偏りにある。欲しいものを見て、それに伴う嫌うべきものを熟考しない。利益になるものを見て、それに伴う害となるべきものを顧みない。このような一方的な判断では、動けば必ず失敗し、行えば必ず恥をかくだろう。これは、偏りが起こすわざわいなのである。

他人が嫌うものは、自分もまた嫌うものなのである。富貴の者に逆らってこれを軽んじ、貧賤の者を必死に労わって安んじようと試みる。だがこれは、仁の人の「情」に従うものではないであろう(注3)。むしろ、姦悪の者が乱世において虚名を盗もうとする企みと見なければならない。これほどに陰険な企みが、あるだろうか?古語に、「名を盗むは財貨を盗むより悪い」とある。田仲(でんちゅう)と史鰌(ししゅう)(注4)は、したがって盗賊より悪い。


(注1)原文「詐偽」。「さぎ」ではなくて「さい」と読まなければならない。荀子において「偽(い)」は人為的行為の意を指すからである。正名篇・性悪篇を参照。ただし、性悪篇(6)注18のように、「偽」字が悪い行為の意で用いられている用法もある。ここでの「詐偽」の「偽」もまた悪い行為の意で用いられているのであって、「詐」字と実質上同義と取られても致し方ない。ここもまた性悪篇と同様に、「偽」字の使用を肯定的な意味で徹底しない『荀子』編集者の不注意と言える。
(注2)原文読み下し「誠信は神を生じ」。ここでの「誠」・「神」は、さきの不苟篇(4)中段の議論を受けた用語であると解釈できる。
(注3)原文読み下し「是れ仁人の情に非ざるなり」。「情」は正名篇の定義に従えば、「性の好惡・喜怒・哀樂、之を情と謂う」。すなわち「情」とは人間の生物的本能である「性」から発する衝動のことである。仁の人でも人間の「性」は同じなのであるから、富貴を嫌い貧賤を喜ぶ「情」を発するはずがない。ここでは田仲・史鰌を批判するのが目的であるから、このような叙述となっているのである。集解の兪樾は「仁」を衍字と解しているが、ここは「仁人」でよい。
(注4)田仲は非十二子篇では陳仲で表れる。陳仲・史鰌への荀子の批判については、非十二子篇を参照。
《原文・読み下し》
通士なる者有り、公士なる者有り、直士なる者有り、愨士(かくし)なる者有り、小人なる者有り。上は則ち能く君を尊び、下は則ち能く民を愛し、物至りて應じ、事起りて辨(べん)ず(注5)、是(かく)の若くんば則ち通士と謂う可し。下に比して以て上を闇(くら)まさず、上に同して以て下を疾(や)ましめず、爭を中に分ち、私を以て之を害せず、是の若くんば則ち公士と謂う可し。身の長なる所、上知らずと雖も、以て君を悖(うら)まず、身の短なる所、上知らずと雖も、以て賞を取らず、長短飾らず、情を以て自ら竭(つく)す、是の若くんば則ち直士と謂う可し。庸言(ようげん)は必ず之を信にし、庸行(ようこう)は必ず之を愼み、流俗に法(のっと)らんことを畏るるも、而(しか)も敢て其の獨する所を以て甚(はなはだ)しく(注6)せず、是の若くんば則ち愨士と謂う可し。言に常信無く、行に常貞無く、唯(ただ)利の在る所、傾かざる所無し、是の若くんば則ち小人と謂う可し。
公は明を生じ、偏は闇を生じ、端愨(たんかく)は通を生じ、詐僞(さい)は塞を生じ、誠信は神(しん)を生じ、夸誕(かたん)は惑を生ず。此の六生(りくせい)なる者は、君子之を愼む。而して禹・桀の分るる所以なり。
欲惡取舍(よくおしゅしゃ)の權。其の欲す可きを見ては、則ち必ず前後其の惡(にく)む可き者を慮(おもんぱか)り、其の利す可きを見ては、則ち必ず前後其の害とす可き者を慮り、而して兼ねて之を權(はか)り、孰(くわ)しく之を計り、然る後に其の欲惡取舍を定む。是の如くんば則ち常に失陷せず。凡そ人の患は、之を偏傷(へんしょう)すればなり。其の欲す可きを見ては、則ち其の惡む可き者を慮らず、其の利する可きを見ては、則ち其の害とす可き者を顧みず。是を以て動けば則ち必ず陷(おちい)り、爲せば則ち必ず辱しめらる、是れ偏傷の患なり。
人の惡む所の者は、吾も亦之を惡む。夫(か)の富貴なる者は、則ち類(さから)いて(注7)之を傲り、夫の貧賤なる者は、則ち求(つと)めて之を柔(やす)んず。是れ仁人の情に非ざるなり、是れ姦人の將(まさ)に以て名を晻世(あんせい)に盜まんとする者なり、險なること焉(これ)より大なるは莫し。故(こ)に曰く、名を盜むは貨を盜むに如かず、と。田仲(でんちゅう)・史鰌(ししゅう)は盜に如かざるなり。


(注5)集解の王念孫は、「事起れば能く之を治むるを謂い、事疑い有りて能く之を辨ずるを謂うに非ず」と言う。ここでの「辨(弁)」は、事物について弁論する意味ではなくて事物を処理する意味である。
(注6)集解の王念孫は、「甚」字の隷書と「是」字の隷書が相似しているゆえに「是」字があやまって「甚」字となったと言い、この「甚」は「是」となすべし、と言う。金谷治氏はこの王念孫説を取る。だが「是」をはなはだしい、の意と取っても差し支えないであろう。よって、字を改めないことにする。ただし読み下しについて漢文大系・新釈ともに「甚(じん)せず」とするが、ここはあえて読み下しを変えることにした。
(注7)増注は古屋鬲を引いて「類」は「率」なり、と言う。おおむね。新釈は孫詒譲の「類は戻なり」を引いて、「もとる、さからう」と解する。新釈に従う。

訳の最初の段について。ここでの「士」は、ほぼ「君子」と同義として用いられている。荀子の通常の用語法では、「士」は通常「君子」・「聖人」より下の存在とみなされて、礼法を学びこれを守るが「君子」ほど礼法に通じない者と位置付けられる。国家の組織においては「君子」が高級官僚であって「士」が実務官僚であると言えるだろう。しかし「士」は「小人」とは明らかに区別されている。「小人」は、統治される人民のことを指す。荀子の国家は身分秩序を礼義に従って厳格に階層化するが、その階層は固定化されるべきでなく、能力に応じて昇格降格されるべきであると考える。「賢明な者、有能な者は、身分を問わず昇進させる。怠け者、無能者は、猶予期間を与えずに罷免する」(王制篇)。荀子の国家において「聖人」「君子」「士」「小人」は能力差に応じた身分格差なのであって、「小人」といえども上の階層に上昇する道は開かれていて、「君子」「士」が「小人」に転落することもまた開かれているのである。

最後の段の論述は田仲(陳仲)・史鰌を攻撃するのが主目的であって、荀子の用語の定義に従って批判が行われているのであるが、そのために一見すると異様な批判に見えてしまう。非十二子篇および性悪篇の叙述と併せて読まなければ、荀子の批判の意味が分からない。荀子の用いる「性」「情」「偽(い)」の用語は漢文や現代語の用法から離れた意味として定義されているので、読む者に時として誤解を招くことになる。

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