大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。 細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。 小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。 |
《読み下し》 子(し)の曰(のたま)わく、訟(うったえ)を聽(き)くは、吾猶(な)お人のごときなり。必ずや訟無からしめんか、と。情(じょう)無き者をして、其の辭(じ)を盡(つく)すを得ざらしめて、大いに民の志(こころざし)を畏れしむ。此(これ)を本(もと)を知ると謂う。 「猶お人のごとし」とは、人に異ならざるなり。情は、實(じつ)なり。夫子(ふうし)の言を引きて、聖人は能(よ)く實無きの人をして敢(あえ)て其の虛誕(きょたん)の辭を盡(つ)くさざらしむを言う。蓋(けだ)し我の明德旣(すで)に明(あきら)かにして、自然に以て民の心志(しんし)を畏服(いふく)せしむる有り。故に訟は聽くを待たずして自(おのずか)ら無きなり。此の言を觀(み)て、以て本末の先後を知る可(べ)し。 右は傳(でん)の四章。本末を釋(と)く。 《用語解説・本文》 子の曰わく、訟を聽くは、、論語顔淵篇にも見える言葉。 情鄭玄の注に「情はなお実(實)のごときなり。實無き者は、虚誕(うそと誇張)の辞多し」とある。「情」とは実情・内情のことで、訴訟において原告被告が真実に知っていること。これがないために、嘘をついたり誇張したりすると言っているのである。 右は傳の四章。本末を釋く『大学或問』には、「曰く、然らば則ち其の夫の終始を論ぜざるは、何ぞや」という質問に対して、「曰く、古人の経を釈(と)ける、其の大略を取れり。未だ必ずしも是(かく)の如く屑屑(せつせつ。詳細な説明)たらず。且つ此の章の下に闕文(けつぶん。欠落した文)有り。又安(いずく)んぞ其の本は有りて、幷(あわ)せて之を失うに非ざるを知らんや」という返答が見られる。言うは、伝四章が本末の終始を論じないのはどうしてかという問いに対して、朱子は「いにしえの人が経典を注釈するときには大略にとどめて詳しくはしないものだ。また(つづく伝五章に)闕文があるのだから、ここももとは文章があったのだがいっしょに失われてしまったのかもしれない」と答えたのである。だがそもそもが朱子の原文の並べ替えが根拠のないものであり、それを補うために文章の欠落を憶測するのは、後世の目からいって肯定できるものではない。 《用語解説・朱子注》 |
《現代語訳》 孔子が言われた、「訴訟を聴くことは、私だって他人と同じようにやる。私が目指すのは、必ずや訴訟をなくしてしまうことだ」と。本当に訴えるべき実情がない者が、うそや誇張の限りを尽くして弁解するようなことを断ち切ることができるならば、大いに民の心を畏服させることができるだろう。これが、「本(もと)を知る」ということなのである。 「猶お人のごとし」とは、他の人と変わらないということである。「情」は実(実情、内情)である。孔子の言葉を引用して、「聖人とは実のない人がうそや誇張の限りを尽くすようなことをさせない」ということを言っている。思うに、自らの徳をすっかり世に明らかに示すことができたあとは、自然に民の心を畏服させることができるだろう。ゆえに訴訟を聴くより前に、訴訟そのものが自然となくなるのだ。この言葉を聞いて、ものごとの本末を知り、先んじて行うべきものと後でなすべきものを知らなければならない。 以上は、伝の四章である。本末を説いている。 |
《原文》 子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎。無情者、不得盡其辭、大畏民志。此謂知本。 猶人、不異於人也。情、實也。引夫子之言、而言聖人能使無實之人不敢盡其虛誕之辭。蓋我之明德既明、自然有以畏服民之心志。故訟不待聽而自無也。觀於此言、可以知本末之先後矣。 右傳之四章。釋本末。 |
朱子は上の文を伝四章とみなし、これで本末を説いていると解釈する。「此を本を知ると謂う」という一文があるゆえであるが、礼記大学篇の原文の順番で読めば、ここは前の文から続いて君子の政治家としてのあり方を説いたものであって、本質を洞察して本質を治療する策を取りなさい、と薦めた箇所であるはずだ。だから君子に政治の根本を知るべきことを説いたものであって、それで十分である。この短い箇所だけを前後から切り離して本末の伝である、と解釈するのは相当に無理がある。朱子が疑うような文の欠落があったわけでは、おそらくないだろう。
孔子は故国の魯国で一時大司寇(だいしこう)すなわち司法大臣兼警察長官に就任し、一時は国の裁判の長であった。多分に伝説的であるが、史記や孔子家語によれば孔子が大司寇に就いてから三月経つと、市場では肉の値段をごまかす売人がいなくなり、道では男女が分かれて往来するようになり、道に落とし物があっても拾って盗む者がいなくなったという。孔子の政治の成功を見て隣国の斉国は恐れ、孔子の政治を阻止する策を立てたという。それは魯国の君主に美女を贈って政治から関心を失わせ、孔子の意見が通らなくさせるというものであった。孔子は自らが容れられないことを知って、辞職して魯を去ったという。このように孔子には政治の実務の経験もあったということを、見逃すべきでない。
本章の孔子の言葉に続く解説文は、孔子の言葉の意味を「人が偽りの訴訟を持ち込んで利を得ようと思わせないようにするのが、真の政治である」と解釈したものである。公正な裁判を行う、ということであれば孔子は人と同じようにできるという。私が目指すのは、裁判を起こす人の心を善導する道徳政策である、というのが孔子の「本を知る」ことであった。儒教の理想社会では、法の上に礼義・道徳があって、政治はまず人々の礼義・道徳を正す教化政策を行うことが本であって、法は技術であり末にすぎない。『大学』のこのような主張は、戦後のわが国では禁忌のように扱われている。しかしながら戦後民主主義の熱気も消え失せ、かつての理想もすっかり白けてしまったこの現在、儒教の政策の功と罪とをもう一度冷静に考えてみる価値はあるのではないか。これまでも読んだように、『大学』の政策はまず最初に上にある君子が身を正し、徳と判断力を養い、その影響をもって統治される人々を善導するというものである。上が怠惰で欲まみれでありながら、下に掟を押し付けるようなことは決してあってはならないし、やっても人は従わないだろう。知と徳にすぐれたよきエリートを育てることが、その核心にあるのだ。それは戦後民主主義が、最も軽視してきたことである。