大学章句:伝五章並びに補伝

投稿者: | 2017年7月12日
大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。
細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。
小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。
《読み下し》
此を本を知ると謂う。
程子(ていし)曰く、衍文(えんぶん)なりと。
此を知の至(いたり)と謂うなり。
此の句の上に、別に闕文(けつぶん)有り。此れは特(ただ)其の結語なるのみ。

右は傳(でん)の五章。蓋(けだ)し格物(かくぶつ)・致知(ちち)の義を釋(と)く。而(しこう)して今は亡ぶ。
此(こ)の章、舊本(きゅうほん)は下章に通じ、誤りて經文(けいぶん)の下に在り。

閒(このごろ)嘗(こころ)みに竊(ひそ)かに程子の意を取り、以て之を補う。曰く、所謂(いわゆる)知を致(きわ)むるは物に格(いた)るに在りとは、吾(われ)の知を致めんと欲すれば、物に卽(つ)きて其の理を窮(きわ)むるに在るを言うなり。蓋し人心の靈(れい)は、知有らざる莫(な)くして、天下の物は、理有らざる莫し。惟(た)だ理に於(おい)て未(いま)だ窮めざる有り、故に其の知盡(つく)さざる有るなり。是(ここ)を以て大學(だいがく)の始敎(しきょう)は、必ず學者(がくしゃ)をして凡(およ)そ天下の物に卽きて、其の已(すで)に知れるの理に因(よ)って、益(ますます)之を窮め、以て其の極(きわみ)に至ることを求めざる莫からしむ。力を用うることの久しくして、一旦豁然(かつぜん)として貫通(かんつう)するに至れば、則ち衆物(しゅうぶつ)の表裏(ひょうり)・精粗(せいそ)到らざる無くして、吾が心の全體(ぜんたい)・大用(たいよう)は、明(あきら)かならざるは莫し。此を物格ると謂う。此を知の至と謂うなり。


《用語解説・本文》
此を本を知ると謂う。此を知の至と謂うなり。この二句は、原文の礼記大学篇では経(5)の末尾にある。程子は前半の句を伝四章の末尾が重出した衍文(よけいな文)であるとみなし、朱子は後半の句を失われた伝五章の結語だけが残されたものである、と見立てた。二句の移動は、本来あったはずの格物致知の伝が闕文(失われた文)となったのだ、という仮定のもとで行われた文献操作であった。だが二句はそのままの形で経(5)の末尾に置かれていても意味は完全に通じるのであり、程子・朱子の衍文闕文説は後世の研究者に認められることはない。ただ朱子学のためには、この操作はきわめて重大な意見提出であった。
閒嘗みに竊かに程子の意を取り、以て之を補う。曰く、、以下が、朱子のいわゆる補伝である。
豁然として貫通するあるとき、突如全てが理解できる境地。朱子学は、人間の知は人間と万物の「理」をあくまでも追及し続けた果てに、とつじょとして開けていっさいの道理が理解できる境地があるはずだと言うのである。その境地に至るため朱子が示す方法は、己の修養と学問をひたすらに進めたその先にある、ということを示すにとどまる。
吾が心の全體・大用「体(體)」と「用」は、朱子学用語である。朱子学では万物を「体」=本質・本体と「用」=発現・作用とに分ける。心の「体」とは仁義礼智の善なる性であり、そこから発現する「用」とは惻隠(あわれみの心)・羞悪(悪をにくむ心)・恭敬(目上を敬う心)・是非(事象への正しい判断)である。それらの関係全体が理解できる、ということを言うのである。

《現代語訳》
「此を本を知ると謂う。」
程子が言うに、「これは衍文(よけいな文)である。」
これを、知能を極致まで究め尽すというのである。
この句の上に、闕文(欠落した文)がある。この句は、欠落した全体の結びの言葉でしかない。

以上は、伝の五章である。思うに格物・致知の意義が書かれていたはずであるが、今は失われてしまった。
この章は、旧本(礼記大学篇)ではつづく伝六章と連続していて、誤って「経」の文章の末尾に置かれていた。

いま試みとして、程子が言いたかったことを僭越ながら取り上げて、この伝の言葉を補ってみたい。つまり、

「いわゆる『知能を究めるとは、物事(ものごと)の真実を追求するということである』というのは、自分が知能を究めたいと望むならば、ものごとに着目してその理を窮めることで成し遂げられるということを意味するのである。思うに人の霊妙なる心には必ず知能が存在しているのであり、また天下の万物万事には必ず理が内在しているのである。単にまだ理を窮めていないからそれがわからないのであって、つまりは自己の知能をまだ尽していないからである。それゆえに、『大学』の八条目の最初の教えには、道を学ぼうとする者にまず最初に天下すべてのものごとに着目して、自分がすでに理解している理に沿って知能をどんどん働かせ、ものごとへの理解をますます窮めていき、ついにはその理解の極致に至ることを求めなければならない、と定めているのである。努力を長らく続けていけば、いずれ突如として開けていっさいの道理が理解できるようになるだろう。そうなったときには、すべてのものごとの表も裏も理解し尽し、ものごとの大きな概要も小さな詳細までもくまなく理解し尽し、自分の心中にある本質と作用の関係の総体を、すっかり明らかにすることができるだろう。これを物事(ものごと)の真実を追求すると言うのであり、これを知能を極致まで究め尽すというのである」と。

《原文》
此謂知本。
程子曰、衍文也。
此謂知之至也。
此句之上、別有闕文、此特其結語耳。

右傳之五章。蓋釋格物・致知之義。而今亡矣。
此章舊本通下章、誤在經文之下。

閒嘗竊取程子之意、以補之。曰、所謂致知在格物者、言欲致吾之知、在卽物而窮其理也。蓋人心之靈、莫不有知、而天下之物、莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也。是以大學始敎、必使學者卽凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏・精粗無不到、而吾心之全體・大用、無不明矣。此謂物格。此謂知之至也。

ここは、章句の最もオリジナルな箇所である。礼記大学篇には、格物致知の具体的な説明の文がない。またさきの八条目のところで見たように、『孟子』『中庸』にも格物致知の体系的な説明が欠けている。唯一『荀子』だけがその解蔽・正名両篇を中心に格物致知のための体系的な議論を展開しているが、朱子学はこれを正統な論として取ることはない。よって、朱子は程子以来の独創を承けて、ここに格物致知の補伝を試みたのであった。

朱子は『大学章句』を含む『四書集注』を四書の注解の本篇として編んだが、それと並んで朱子の注解に対する疑問質問に回答する形で解説を行った『四書或問(ししょわくもん)』を遺した。その大学篇に当たるのが『大学或問(だいがくわくもん)』である(わが国の熊沢蕃山にも『大学或問』があるが別の著作である)。大学或問には、大学章句についての朱子のより詳細な説明が置かれている。その格物致知の章において、朱子の補伝は程子の論旨と合致する旨を、程子の言葉を長大に引用して説明した後でこのように言う。

其の力を用うるの方の若(ごと)きは、則ち或(あるい)は之を事爲(じい)の著(あら)わなるに考え、或は之を念慮の微かなるに察し、或は之を文字の中に求め、或は之を講論の際に索(もと)め、身心・性情の德、人倫・日用の常に於(おけ)るより、以て天地・鬼神の變(へん)、鳥獸・草木の宜(よろ)しきに至るまで、自ずから其の一物の中、以て其の當(まさ)に然るべき所にして已(や)む容(べ)からざると、其の然る所以にして易(か)う可(べ)からざる者とを見ること有らざること莫(な)からしめ、必ず其れ表裏・精粗盡(つく)さざる所無くして、又益々其の類を推して以て之に通じ、一日脱然として貫通するに至りては、則ち天下の物に於(おい)て、皆以て其の義理・精微の極まる所を究むること有りて、吾が聡明・叡智も、亦(また)皆以て其の心の本體(ほんたい)を極むること有りて盡さざること無し。

朱子学の論はいわゆる形而上学であって、この世界の一切万物の背後には「理」が貫かれていることを大前提とする。この「理」を窮めて突き止めることが「窮理」であり、江戸時代にはPhysicsの訳として「窮理学」が充てられた。このように書けば「理」とは物理法則のようなものか、と思うかもしれない(それはあえて宋学的に言うならば「気の理」というべきであろう)。しかし朱子学の「理」は天地宇宙万物の中に貫かれているいわば正義の摂理であり、物質・事象(気)とともにあるがその上位にあって常に倫理的意味を帯びているものである(形而下の「気」に対する形而上の「理」)。『大学』原文の八条目において格物・致知が誠意以下の六条の前に置かれている理由は、道を学ぶ者は万物を成さしめている「理」をよく観察して捉え(格物)、知を究めて「理」を純化し誤謬を除かなければならないからである(致知)。

では、格物して致知する方法は、どこに求めればよいのであろうか。大学章句の中では方法論についてまで詳しく言及されていないが、朱子学においては「居敬窮理」が提出されている。ここでは詳しく述べることはできないが、居敬とは心を専一にしてどこにも向かわせず、常に心を覚醒した状態に置いて外物に対処する努力であるという。四書の『中庸』において言われる「未発の性」が外物に触れてかき乱される以前の状態を凝視し、そこにある人間の善なる性を捉えて存養する。その努力によって外物に触発されて人欲に堕ちない・天理に従う心を保つ。それが居敬の方法であるという。

その居敬された心をもって、外物の正しさを格物して致知するのが窮理である。朱子学において最も努力するべきとされる窮理の道は、聖賢の遺した言葉を徹底的に吟味して、その言葉の真意を得心することである。なぜならばいにしえの聖人は明徳を明にして至善に止まることに成功した存在であり、結果として民を新にして太平の世を築くことができた為政者であった。孔子・孟子は乱世に生きて太平の世を築くことができなかったが、いにしえの聖人たちの業績を理解して後世に道統を伝えた。彼ら聖賢の業績と言葉には、明明徳・新民・止至善の三綱領を達成した軌跡、すなわち天理を明らかにして止まり天下に施した結果が遺されている。よってそれを徹底的に吟味して真意を得心することによって、三綱領を実現するための第一段階が自己の中に打ち立てられることであろう。その読書をするためには、さきの居敬によって心を養う必要がある。朱子学は、修養と読書によって最初に心を正す方法が取られる。

朱子学は、居敬窮理して格物致知を積み重ねた果てに豁然(または脱然)貫通の境地に行きつくことが可能であると言う。しかし朱子学の言う居敬窮理によって本当に人間が向上するものなのか、修養読書よりも大切な実生活での善行が必要なのではないか。その疑問が、朱子学に投げかけられることとなった。朱子の同時代人で朱子と激しく論争した陸象山は、「六経我を注し、我六経を注す」と言った。聖賢の古典を自分にとっての指針とするが、逆に自分の心を正しく持って古典の言葉を実行することが必要である、と言う。陸象山にとっては、聖賢の古典は読むべきであるが朱子学のように絶対真理をそこに求めて呻吟するべき重さは取り払われるだろう。陸象山の先に、明代の王陽明が現れる。王陽明は、ここの格物致知の解釈を180度転換した。またわが国の伊藤仁斎は陸・王とは違った方法で居敬窮理の方法を批判した。

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