大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。 小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。 |
《読み下し》 止(とど)まるを知りて后(のち)定まる有り。定まりて后能(よ)く靜(しず)かなり。靜かにして后能く安し。安くして后能く慮(おもんぱか)る。慮りて后能く得(う)。 后は、後と同じ。後(のち)も此(これ)に放(なら)う。 止とは、當(まさ)に止まるべき所の地にして、卽(すなわ)ち至善(しぜん)の在る所なり。之を知れば、則ち志に定向(ていこう)有り。靜は、心の妄動せざるを謂う。安は、處(お)る所にして安んずるを謂う。慮は、事を處(しょ)するの精詳(せいしょう)なるを謂う。得は、其の止まる所を得(う)を謂う。 物に本末有り、事に終始有り。先後(せんご)する所を知れば、則ち道に近し。 德を明(あきら)かにするを本と爲し、民を新(あらた)にするを末と爲す。止まるを知るを始と爲し、能く得(う)を終と爲す。本・始は先んずる所にして、末・終は後にする所なり。此は上文の兩節(りょうせつ)の意を結ぶ。 |
《現代語訳》 止まるべき地点を心で思い描くことができたならば、何をなすべきかの志がしっかりと定まるだろう。何をなすべきかの志が定まったならば、心はもはや乱れることなく静かとなるであろう。心が静かとなれば、そこに留まって安心できるだろう。安心できたならば、詳しく思慮を巡らすことができるだろう。思慮を巡らしたならば、止まるべき地点を自在に用いることができるだろう。 「后」は「後」と同じ。これ以降も同じである。 「止」とは、止まるべき地点のことであり、すなわち「至善」のある地点のことである。この地点について知ることができたならば、心の中の志の方向が定まってぶれなくなるだろう。「静(靜)」とは、心がみだりに動かないことを言う。「安」は、その居場所にいて安心していることを言う。「慮」は、ものごとを正確かつ細かに処理することを言う。「得」は、止まるところ、つまり「至善」の境地を得ることを言う。 およそすべての物には本(ほん。根本)と末(まつ。枝葉)があり、すべての事には終(しゅう。終着点)と始(し。始まりの点)がある。なにが先んじて行うもので、なにが後でなすものかを知ることだ。そうすれば、正しい道に近づくであろう。 「徳を明らかにする(経(2)参照)」ことを根本となして、「民を新(あらた)にする(同参照)」ことを枝葉となすのだ。「止まるを知る(上の読み下し参照)」ことを始まりの点となして、「能く得る(同参照)」ことを最終点となすのだ。根本と始まりの点は先んじて行うものであって、枝葉と終着点は後でなすものなのだ。この言葉は、ここまでの文の二節をつなげる意味を持っている。 |
《原文》 知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。 后、與後同。後放此。 止者、所當止之地、卽至善之所在也。知之、則志有定向。靜、謂心不妄動。安、謂所處而安。慮、謂處事精詳。得、謂得其所止。 物有本末、事有終始。知所先後、則近道矣。 明德爲本、新民爲末。知止爲始、能得爲終。本・始所先、末・終所後。此結上文兩節之意。 |
ここは、人間と社会の倫理について、その本質を知力によって理解するべきことを説いている。知力でまず本質を理解するのが先で、そこでクリアに構造を把握することができたならば、合理的な段階を踏んで実践することができるだろう。「先に構造をよく理解してから、合理的に実施していこう」という考え方である。その構造が、上の文に続くいわゆる「八条目」で示される。
ところで『大学』には「至善(しぜん)に止(とど)まる」という言葉が表れるのであるが、『荀子』には「至足(しいそく)」という言葉が表れる(栄辱篇、解蔽篇)。
ゆえに、学問というものは、もとより学んで到達する目標がある。その目標とは何か?それは、至足(しいそく)すなわち完全なる満足の状態である。ではどのような状態が、至足なのであろうか?それは、「聖」の境地である。聖なる者は、人の倫理を極めることができる。いっぽう王なる者は、国家の制度を極めることができる。聖と王の二つを極める者は、天下の頂点に立つことができる。
(解蔽篇より)
『荀子』の「至足」の概念は、『大学』の「至善」と似ている。『大学』は世界には「至善」があって、学ぶ者はその「至善」を得て完全とならなければならない、と説くのであるが、それは荀子の主張と非常に近い。『大学』はこの後で見るように、個人の修身の延長上に社会の教化を見る段階的倫理を提出するのであるが、荀子もまた個人が修身を行って君子となることを目指す修身論と、その君子が社会のリーダーシップを取って社会を合理的に管理する統治論を分けて論じている。もっとも『大学』の思想と荀子の思想は完全に一致しているわけではない。両者の修身論は非常に近いものがあるが、統治論で荀子は「礼」、すなわち歴史的・慣習的に形成された社会秩序の体系を最重要視するのであるが、『大学』には礼を重視する箇所はない。なので、『大学』の修身論は荀子と重なっているが、『大学』全体としては荀子の思想をそのまま継承しているわけではない。
朱子は、『大学』を孔子の遺書である、という見立てをもって読む。朱子学は『大学』を四書の筆頭に置いて、儒学思想の骨格を示したテキストとみなす。その重要性ゆえに『大学』は神聖化されなければならず、朱子の見立ては彼の学にとって必要不可欠であった。そもそも、朱子が四書に取り上げたことが『大学』の価値を決定的にしたのであり、王陽明など後世に『大学』を重視した読者は、朱子学のプログラムに沿ってこの書を個人倫理と社会倫理のための必須のテキストとして選んで読んだのであった。その儒学思想史における重要性は、十分にわきまえなければならない。だが、私は『大学』が孔子の遺書であった可能性は、古代儒家思想の発展史から見てやはり難しいと思う。『大学』の修身論は荀子のそれと用語的・概念的に重なっていて、両者には思想の同時代性が見える。おそらく『大学』というテキストは、荀子の活動した戦国時代末期ごろの儒家思想の影響下に成立したという推測が妥当であろうと私は考えたい。