大学或問・伝五章の一 ~誠意より致知が先である理由~

投稿者: | 2023年3月24日

『大学或問』伝五章の一~誠意より致知が先である理由~

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
或(あるひと)問う、此を本を知ると謂う、其の一は訟を聽く章の結語と爲るは、則ち命を聞きつ、其の一は鄭が本元經文の後、此を知の至と謂うなりの前に在り、而(しか)るを程子以て衍文と爲すは、何ぞや。
曰、其の複出して他に繋がる所無きを以てなり。
曰、此を知の至と謂うなり、鄭が本に元此を本を知ると謂うに随いて、經文の後に繋ぎて、誠意の前に下屬す、程子は則ち其の上の句の複を去りて、此の句を訟を聽くと本を知るの章に附けて、以て明德の上に屬す、是れ必ず皆説有らん、子獨り何に據りてか以て其の皆盡(ことごと)くに然らずことを知りて、其の間に取舎する所有りや。
曰、此れ他に求むるを以て爲ること無し、之を經文に考うるに、初より再び本を知る知至るの云うを論ずる者の無きときは、則ち之を經の後者に屬するの然らざることを知る、訟を聽くの章を觀るに、旣に本を知るを以て之を結す、而(しこう)して其の中間又知至るの説無きときは、則ち再び訟を聽くを結する者の然らざることを知る、且つ其の下の文に屬する所の明德の章、自ら當に傳文の首と爲すべし、又安んぞ此を以て之を先することを得んや、故に愚此に於て皆疑い無きこと能わざる所の者有り、獨り程子上の句の刪(けず)る所、鄭氏下の文の屬する所は、則ち經傳の次を以て之を求めて合うこと有り、是を以て得て異にせざるなり。
曰、然らば則ち子何を以てか其の知至るを釋するの結語爲(た)るを知りて、而して又其の上の當に闕文有ることを知るや。
曰、文義と下の文とを以て之を推して、其の知至るを釋することを知るなり、句法を以て之を推して、其の結語爲るを知るなり、傳の例を以て之を推して、其の闕文有るを知るなり。
曰、此の經の序(ついで)、誠意自(よ)り以下、其の義明にして傳悉(つく)せり、獨り其の所謂(いわゆる)格物致知は、字義明ならずして、傳復た闕(けつ)たり、且つ最初力を用うるの地と爲りて、而して復た上の文語緒の尋ぬ可きなし、子乃ち自ら程子の意を取りて以て之を補うと謂うときは、則ち程子の言(こと)、何を以てか其の必ず經の意に合うことを見る、而して子が言、又盡くに程子に出てざるに似るは、何ぞや。
曰、或(あるひと)程子に問いて曰く、學何爲(いかん)して以て覺(さと)ること有る可きや(注1)、程子の曰く、學知を致すより先なるは莫し、能く其の知を致せば、則ち思日に益明なり、久しきに至りて後に覺ること有るのみ、書に所謂思に睿(えい)と曰うと(注2)、睿は聖を作(な)す、董子(注3)が所謂勉强して學問すれば、則ち聞見博して智益明なりとは、正に此を謂うなり、學びて覺ること無くんば、則ち亦何を以て學ぶことを爲(せ)んや。
或問う、忠信は則ち勉む可くして、而して知を致すは難しと爲するは奈何(いかん)、程子の曰く、誠敬固(まこと)に以て勉めずばある可からず、然れども天下の理先ず之を知らず、亦未だ能く勉めて以て之を行う者有らず、故に大學の序(ついで)、致知を先にして誠意を後にす、其の等(しな)躐(こ)ゆる可からざる者有り、苟も聖人の聰明睿知、徒に勉焉(べんえん)として以て其の行事の迹を踐まんと欲せば、則ち亦安んぞ能く彼の動容周旋禮に中(あた)らずという無きが如くならんや、惟だ其れ理を燭すことの明にして、乃ち能く勉强を待たずして自ら理に循うことを樂しむのみ、夫れ人の性(注4)は、本善ならずということ無し、理に循いて行えば、宜しく難しき者の無かるべし、惟だ其れ之を知ること至らずして、但だ力を以て之を爲さんと欲す、是を以て其の難を苦(や)みて其の樂を知らざるのみ、之を知りて至れば、則ち理に循うを樂と爲し、理に循わざるを樂しまずと爲す、何をか苦んで理に循わずして以て吾が樂を害せんや、昔嘗て見る虎人を傷(やぶ)ることを談する者有り、衆聞かずということ莫し、而して其の間一人神色獨り變ず、其の所以を問えば、乃ち嘗て虎に傷らる者なり、夫れ虎は能く人を傷る、人孰れか知らざらん、然れども之を聞きて懼るるもの懼れざる者有り、之を知るに眞有り眞ならず有ればなり、學者の道を知ること、必ず此の人の虎を知るが如くにして、然して後至れりと爲するのみ、不善の爲す可からざるを知りて猶お或は之を爲すと曰うが若きは、則ち亦未だ嘗て眞に知らざるのみ、此の両條は、皆格物致知は、當に先にすべくして後にす可からざるの意を言う。


(注1)以下、程子の問答を引用して、朱子が大学に書き加えた格物致知補伝の妥当性を述べていく。程子とは兄の程明道・弟の程伊川の二者のことであるが、朱子はこの或問で両者を分けずに程子として引用する。
(注2)書経洪範篇より。洪範篇は漢代からある真篇。
(注3)董子とは董仲舒のことで、前漢武帝期の儒者。儒教が漢帝国で国教化することに貢献した。漢の儒教国教化は、以降の歴代中華帝国に継承される。
(注4)朱子は性について程伊川と張横渠の両氏から説を継承している。結果人の「性」は善であり理に従うと言うが(程伊川)、他方で善である「本然の性」と人欲の原因となる不純な「気質の性」に分けて用いる(張横渠)。
《要約》

  • 鄭玄本(漢代の『礼記』大学篇)は、「此を本を知る」「此を知の至と謂うなり」両句が経の末尾にあった。程子は経の「此を本を知る」が重複であるとして削り、伝四章全体を「此を知の至と謂うなり」の前に置き上げた。しかし朱子は両氏の説をともに斥けて、「此を本を知る」の重複を削って「此を知の至と謂うなり」を伝五章に置き下げた。その理由を問われて朱子は「これは他人の説ではなく私独自の説である。両句を経の末尾に置いたままであると、その前に両句が承けるべき文言がない。伝四章を経に置き上げる程子の説では、まず『此を知の至と謂うなり』が承けるべき文言がない。次に明明徳の章(伝一章)は伝の冒頭であるべきで、それに先行させる文を置くことはできない。よって私は両説ともに疑わざるを得ず、程子の重複を削るべき点・鄭玄の両句が続けられるべき点を認めた上でこうしたのである」と答えた。
  • 朱子は両句が伝五章の一部であり上に闕文があると判定した理由について、文義からして「知至」の解釈であるべきこと、句法からしてこれが結語であること、他の伝の例からして格物致知の伝には闕文があるべきこと、を挙げる。
  • 経の八条目のうち、誠意から下は意味が明らかである。しかし格物致知は最初に行うべきものであるのに、字義が明らかでなく、しかも伝が欠けていて手掛かりがない。朱子は格物致知についてどうして程子の説が経の趣旨に適合しているとするのか、加えて朱子の説は必ずしも程子の説に全て由来しているわけではないのはどうしてなのか、と問われて、以下に程子の語録からの引用を交えながら解説する(朱子が編纂した『程氏遺書』『程氏外書』『近思録』に見える)。
  • 朱子は、誠意よりも格物致知を先に行うべき理由として、程子の語録二つを引用する:
  • 程子は学問はどのようにすればわかるのでしょうか、と問われて、「学知を致すより先なるはありません。どんどん学んでいけば日に日に明らかになり、久しくしてわかるでしょう」と答えた。
  • また忠信は努力しやすく知を致すは難しいというのはどういう意味でしょうか、と問われて、「天下の理を先に知らずして、誠敬を努力して成功した者はいない。致知と誠意の前後順は、越えられないものだ。理を灯して明にし、無理強制なくして理に従うことを楽しむ境地に行かなければならない。そもそも、人の性はもと必ず善である。ゆえに理に従って行うことは本来難しいことではない。ただ理を知らないでいるために、力づくとなり、理に従うことが楽しくなくて苦しいのだ。普通の人が虎に傷つけられた話を聞いてもなんとも思わないが、虎に傷つけられた経験がある人は聞いて恐れおののく。学ぶ者は虎の話を聞いて恐れる人のように、理を知って当たり前のようにならなければならない。不善をなすべからずという理を知ってなおかつ不善をなしてしまう者は、理を真に知っていないだけなのだ」と答えた。

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