大略篇第二十七(2)

By | 2015年12月23日

諸侯が互いに会見するときには、卿(けい。大臣級の家臣)を介助役として付け、礼に習熟した家臣を全て動員して連れ立ち、仁徳ある家臣は留守役を命ずる。


人材を家臣として招聘するときには、珪(けい)を用いる。人に諸事を質問するときには、璧(へき)を用いる。人を呼び寄せるときには、瑗(えん)を用いる。人と絶縁するときには、玦(けつ)を用いる。いったん絶縁した者を再度招くときには、環(かん)を用いる。

金谷治氏は、「ここは諸侯が人に与える礼物について述べている」と注する。珪は縦長の札のような形の玉器、璧・瑗・玦・環はいずれもディスク状の玉器である。


君主は仁心を心中に据え付け、知を仁心の道具として用い、礼を仁心の表現として極めるのである。ゆえに王者が仁を先にして礼を後にするのは、自然なありようなのである。

論語八佾篇で子夏と孔子が「巧笑倩(せん)たり」の詩を論じたときに、子夏が「礼は後か」と孔子に問うた。ここでの荀子の言葉と同じである。荀子は礼を最重視するが、人間の仁心が先にあって礼がその表現された道具であるべきである、という順序について、儒家思想から外れることはない。


『聘礼志(へいれいし)』に、「贈り物が手厚すぎれば徳を傷つけ、財貨が多すぎれば礼を滅ぼす」とある。「礼と云い、礼と云う、玉帛を云わんや」(『論語』陽貨篇にある言葉と同じ)という言葉もあるではないか。『詩経』にも、この言葉があるではないか。:

よろずのもの、まことに美(うま)し
これもただに、よく整いしゆえ
(小雅、魚麗より)

時が適切でなく、つつしみ敬ってなおかつ文飾されることがなく、また喜びに満ち溢れていないならば、見かけが美しくてもそれは礼ではない。

「聘礼志」とは、現行の『儀礼』聘礼篇と始原を同じくするテキストと思われるが、現行の『儀礼』テキストと同じであったとは限らない。下の注3参照。詩経のテキストは断章取義であり、原詩の文脈から離れた引用である。原詩におけるこのフレーズの意味は、単に酒と魚が美味くて料理がよく揃っていることを言っているにすぎない。


水を渉る者は、水深が深くなる所に目印を付けておいて、人が深みに陥らないようにする。人民を治める者は、争乱の種に目印を付けておいて、人民がカオスに陥らないようにする。礼というものは、目印なのである。わが文明の建設者である先王は、礼によって天下の争乱の種に目印を付けた。今の時代に礼を廃絶しようとする者は、この目印を取り除こうとしている。だから人民は方向を迷って、次々とわざわいに陥るのである。これが、刑罰が多く行われる理由なのだ。

天論篇(3)に「水を行く者は深に表す、表明(あきら)かならざれば則ち陷(おちい)る。民を治むる者は道に表す、表明かならざれば則ち亂る」のフレーズがある。ここの言葉と同じ意味である。
《読み下し》
諸侯の相見ゆるや、卿を介(かい)と爲し、其の敎出(きょうし)(注1)を以て畢(ことごと)く行き、仁をして居守せしむ。

人を聘するに珪(けい)を以てし、士(こと)(注2)を問うに璧(へき)を以てし、人を召すに瑗(えん)を以てし、人を絕つに玦(けつ)を以てし、絕を反(かえ)すに環(かん)を以てす。

人主は仁心を焉(ここ)に設くれば、知は其の役にして、禮は其の盡(つく)せるものなり。故に王者は仁を先にして禮を後にするは、天施(てんし)然るなり。

聘禮志(へいれいし)(注3)に曰く、幣厚ければ則ち德を傷(きずつ)け、財侈(おお)ければ則ち禮を殄(てん)す、と。禮と云い禮と云う、玉帛を云わんや。詩に曰く、物其れ指(うま)し(注4)、唯其れ偕(ひと)し、と。時宜ならず、敬交(けいぶん)(注5)ならず、驩欣(かんきん)ならざれば、指(うま)しと雖も禮に非ざるなり。

水を行く者は深に表(ひょう)して、人をして陷ること無からしむ。民を治むる者は亂に表して、人をして失うこと無からしむ。禮なる者は、其の表なり。先王禮を以て天下の亂に表す。今禮を廢する者は、是れ表を去るなり、故に民迷惑して禍患に陷る、此れ刑罰の繁き所以なり。


(注1)増注・集解の王念孫ともに『大戴礼記』虞戴徳篇に「諸侯の相見ゆるや、卿を介と為し、其の教士を以て畢く行かしむ」とあることを是として、「教(敎)出」を「教士」となすべし、と言う。教士のことを王念孫は「常に教習する所の士」と言う。礼に習熟した家臣のこと。
(注2)集解の郝懿行は、「士」はすなわち「事」なり、古字通用す、と言う。これに従う。
(注3)集解の盧文弨および増注は、『儀礼』聘礼篇の「多貨則徳于傷、幣美則没礼」を指摘する。荀子の引く「聘礼(禮)志」は、おそらく現行の『儀礼』聘礼篇と始原を同じくするテキストなのであろう。
(注4)楊注は、「指」は「旨」と同じ、と言う。
(注5)集解の兪樾は、疑うは「敬交」は「敬文」の誤り、と言う。「敬文」の語は勧学篇(「禮の敬文なり」)・礼論篇(「生に事えて忠厚ならず、敬文ならざる、之を野と謂い、死を送りて忠厚ならず、敬文ならざる、之を瘠と謂う」)にある。兪樾は、性悪篇(5)注9で楊注が「敬父」は「敬文」たるべしと注していることと同様にここも改めるべきであると注している。

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