「お国づくりの、労働歌。 治世の筋道、申しましょう。君主の道は五つあり。とてもかんたん、わかりやすい。 君主がこれを守るなら、臣民治まり、国栄う。 「ひとつとせ、臣下に無駄飯食わせずに、 農事勧めて節約すれば、余りあるほど財を得る。 すべての事案は上に挙げ、汚吏の勝手にさせなけりゃ、民の力は結集す。 「ふたつとせ、臣下の禄は分相応、 下の者なら職分に、真面目に尽くせば生きていけ、そこから爵服だんだんと、上げて俸禄厚くする。 下に与える褒賞は、家臣が勝手に行わず、君主のもとから降りるなら、富貴は私事で枉げられぬ。 「みっつとせ、君主の法を明確に、 据えたら論議に筋が立つ。法度規則を定めたら、民はなすべきことを知る。 臣下の論功行賞に、規則作ってその他に、貴賤を得る道封じたら、王にへつらう者消える。 「よっつとせ、君主の法が定まれば、 禁令犯す者もなく、民は教化を喜んで、君主の地位は揺るぎない。 君主の道に従えば、富貴を得るが逆らえば、恥辱を受けることとなる、王に従うよりはなし。 「いつつとせ、刑が道理に沿うならば、 民は分限をよく守り、臣下に刑の大権の、勝手な使用を封じれば、私門の権勢弱くなる。 罰行うにも規則あり、勝手に軽重させぬなら、君主の権威は分かれない。 「国の基盤の、置きどころ。 君主明なら幸あろう。君主論議を好むなら、臣下必ず熟慮する。 さきの五つの君道を、しっかと修めて行えば、国は万事がうまくいき、君主の権威ゆるぎなし。 「君主の政治の、聴き方は、 まず実情をよく知るべし。論功行賞刑罰は、慎重の上に慎重に、考えこれを施せば、 功績明らかなる者も、功績隠れている者も、皆が正しく称えられ、民は誠に帰すだろう。 「言葉に節度を、持たすには、 その内実を考えよ。うそとまことを選り分けて、賞罰必ず当たるなら、 下は上をば欺かず、みな正直に言上し、みな明白になるだろう。 「君主の知徳が、全けりゃ、 遠き隠れた事象すら、君主は居ながら見て通す、法無きところに法を見て、見えざるものを理解する。 君主の耳目が全けりゃ、百官法令つつしんで、あえて勝手を行わず。 「君主がひとたび、令出せば、 臣下の行為に規律あり、百官つつしみ順守して、勝手な解釈なされない。 民の私的な陳情は、もはや通じる術もなく、ただひたすらに課せられた、職務に精励するしかない。 「臣下は、つつしみ従順に、 君主は万事に判断す。よく正しく見て考えりゃ、論議が乱れることはない。 こうして天下を治めたら、後々の世まで末永く、政治の手本となるでしょう。」 |
《読み下し》 請う相を成して、治方を言わん、君論五有り約以(にして)(注1)明なり、君謹んで之を守れば、下皆平正にして、國乃(すなわ)ち昌(さか)んなり。 臣下の職は、游食すること莫く、本を務め用を節すれば財極まること無く、事業上に聽かれて、相使うることを得ること莫ければ、民力を一にす。 其の職を守れば、衣食足り、厚薄等有りて爵服を明(あきら)かにし、利は往(ただ)(注2)上を卬(あお)ぎて、擅(ほしいまま)に與(あた)うることを得ること莫くんば、孰(たれ)か得を私せん。 君の法明かなれば、論に常有り、表儀旣に設くれば民(たみ)方を知り、進退律有りて、貴賤を得ること莫ければ、孰か王に私せん。 君の法儀(ぎ)なれば、禁爲さず、敎を說(よろこ)ばざること莫く名移らず、之を脩むる者は榮え、之に離(そむ)く者は辱めらる、孰か它(た)を師とせん。 刑陳(みち)(注3)に稱(かな)えば、其の銀(ぎん)(注4)を守り、下用うることを得ざれば私門を輕くす、罪禍律有りて、輕重を得ること莫ければ、威分かれず。 請う祺(き)(注5)を牧(おさ)めん、明ならば基(き)(注5)有り、主論議を好めば必ず善く謀り、五聽脩領(しゅうりょう)すれば、續(こと)(注6)を理(おさ)めざること莫くんば、主執持(しゅうじ)す(注7)。 聽の經(みち)は、其の請(じょう)(注8)を明かにせよ、參伍明謹して賞刑を施せば、顯(あらわ)れたる者必ず得て、隱れたる者も復(また)顯われ、民誠に反(かえ)る。 言に節有らしむるには、其の實を稽(かんが)えよ、信・誕以て分れ賞・罰必すれば、下上を欺かず、皆情を以て言い、明なること日の如し。 上通利なれば、隱遠至る、法を不法に觀て不視に見る、耳目旣に顯(けん)なれば、吏法令を敬(つつし)みて、敢て恣(ほしいまま)にすること莫し。 君の敎出ずれば、行に律有り、吏謹んで之を將(おこな)いて(注9)鈹滑(しゅうかつ)(注10)すること無く、下私請せず、各(おのおの)宜しき(盧文弨に従い補う:)所を(注11)以てして、巧拙を舍(お)く。 臣は謹脩(きんじゅん)(注12)し、君は變を制す、公に察して善く思えば論亂れず、以て天下を治むれば、後世之に法(のっと)りて、律貫と成さん。 《原文》 ※下線は原文にない字を補う。 (注1)新釈の藤井専英氏は、以は「而」に通ずると注する。これに従って読む。
(注2)集解の王引之は、「往」はまさに「佳」となすべく、「佳」は「唯」(あるいは惟)の古字なり、と言う。これに従う。 (注3)集解の王念孫は、「陳」は「道」なり、と言う。 (注4)楊注は、「銀は垠なり」と言う。垠(ぎん)は、境界。 (注5)原文「請牧祺、明有基」。猪飼補注は桃井源蔵(白鹿)を引いて、まさに「請牧基、明有祺」に作るべし、と言う。集解の兪樾は成相篇第一歌の「請牧基、賢者思(請う基を牧(おさ)めん、賢者を思え)」を参照して、ここは「請牧基、明有祺」に作るべきであって伝写者が両字を転倒したのみ、と言う。これらに従い、字を入れ替えて解釈する。 (注6)集解の王念孫は、「續」はまさに「積」となすべく、積は事なり、と言う。これに従う。 (注7)原文「主執持」。三説の解釈が提出されている。楊注は、「主自ら此の道を執持し、権をして下に帰せしめず」と言う。藤井専英氏は楊注に従い、「君主は自ら権勢を執持することとなる」と訳す。陶鴻慶は、「執」は「埶」の誤字とみなす。「埶」はすなわち勢のことである。金谷治氏は陶説を採る。集解の王念孫は、「主執持」はまさに「孰主持」すなわち「孰(たれ)か主持せん」となすべし、と言う。漢文体系は王説を採り、「政務ノ一二人ノ手に帰スルコトナキヲイフナリ」と注する。楊注と陶説とは両者の大意変わらず、王説はこの歌の上文の「孰か得を私せん」、「孰か王に私せん」と同じ意味であると解釈しようとしている。原文を変えない楊注で解釈しておく。 (注8)楊注は、「請」はまさに「情」となすべし、と言う。 (注9)増注は、「將」は「行」なり、と言う。おこなう。 (注10)正名篇(2)注11を参照。そこにある「滑・鈹」と同じ意味である。正名篇に従って、「鈹」は「鈒(しゅう)」の誤字とみなすことにする。「鈒滑」はざらざらした感触となめらかな感触の意であるが、ここでは布が縮んだ状態と伸びた状態を指して、法規を伸び縮みして解釈することの比喩。 (注11)明らかに一字足りない。集解の盧文弨の説に従い、「所」字を補う。 (注12)集解の王念孫は、「脩」はまさに「循」となすべし、と言う。隷書では「循」・「脩」の両字は間違われやすく、上古音に従えば「循」・「變(変)」・「亂(乱)」・「貫」字が韻をなすからである。いちおうこれに従っておく。 |
最後の歌は、荀子の統治論に沿った内容となっている。堯問篇末尾の荀子賛は荀子学派の末流の誰かが書いたものであろうが、そこで荀子は孔子に並ぶ聖人であったと称えられている。確かに荀子は一流の儒家思想家であったと同時に、音楽理論家でもあり、美文作りにも長けていた。その万能人ぶりは、孔子に近いものがあったと言うことができるかもしれない。