魯の哀公が孔子に質問した、「紳(しん。大帯)・委(い。周朝の冠)・章甫(しょうほ。殷朝の冠)といった衣裳は、人に無益なのだろうか?」と。孔子は顔色を変えて言われた、「わが君!そのようなことを言われてはなりません。喪服を着て苴杖(しょじょう。枯死した竹で作った杖)をつく者は、音楽を聴きません。それは耳が聞こえないのではなくて、喪服を着るゆえにあえて聴かないのです。華やかな刺繍をした祭服を着る者は、葷(くん。ねぎ・にらなどの香味野菜)を食べません。それは口が食べられないのではなくて、祭服を着るゆえにあえて口にしないのです。また丘(それがし)(注1)はこう聞いています、『商売を好む者は、損失をこうむることを避ける。ゆえに徳ある長者は商売をしない(なぜならば、目先の利害に目がくらんで真の利害を忘れることを嫌うためである)』と。何が人にとって有益であり、何が人にとって無益であるか。このことを明らかに理解されたならば、わが君はきっとお分かりなるはずです(礼に従った衣裳は、ただの飾りではありません。人間にとって真に有益なものなのです)」と。
魯の哀公が孔子に質問した、「人材を選び取る道を教えていただきたい」と。孔子が答えられた、「人を押しのけるほど強気に過ぎる者は、採用してはなりません。他人の意見をふさぎ止めるような者は、採用してはなりません。口先ばかり達者で誠実さがない者は、採用してはなりません。強気に過ぎる者は、功績を貪り取ります。他人の意見をふさぎ止める者は、朝廷を乱します。口先ばかりの者は、大言壮語します。ゆえに、弓はきちんと飛ぶように調整されていることが必須で、その後に強い弓を求めるのです。馬は従順であることが必須で、その後に働きよい馬を求めるのです。士は誠実であることが必須で、その後に知力と能力を求めるのです。士が誠実でないのに知力・能力が多いならば、それは豺(やまいぬ)か狼のたぐいというものです。これに近づいてはなりません。言い伝えに、『斉の桓公は己に仇なした賊を登用し、晋の文公は己から盗んだ盗人を登用した』(注2)と言います。ゆえに、明主は熟慮に判断を任せて、これを己の怒りに任せません。しかし闇主は己の怒りに判断を任せて、これを熟慮に任せません。熟慮が怒りに勝つ者は強く、怒りが熟慮に勝つ者は滅びるのです」と。 (注1)丘は、孔子の名。哀公篇(3)を参照。
(注2)前半は、桓公が己に敵対した管仲を許して登用したことを指す。仲尼篇(1)注2参照。後半は、楊注は寺人勃鞮、増注は豎頭須、集解の郝懿行は里鳧須を挙げる。里鳧須は文公が公子時代に府庫を守る役であったが、公子が亡命したときに府庫から宝を盗んで逃亡した。後に文公が故国に戻ったとき、里鳧須は再び文公の前に表れたが、文公はこれを許したと言う(新序雑事篇五より)。 |
《読み下し》 (注3)魯の哀公孔子に問うて曰く、紳(しん)・委(い)・章甫(しょうほ)は仁(ひと)(注4)に益有りや、と。孔子蹴然(しゅくぜん)として曰(のたま)わく、君號(なん)ぞ(注5)然るや。資衰(しさい)(注6)・苴杖(しょじょう)する者は、樂を聽かず、耳聞くこと能わざるに非ず、服然らしむるなり。黼衣(ほい)・黻裳(ふつしょう)する者は、葷(くん)を茹(くら)わず、口味わうこと能わざるに非ず、服然らしむるなり。且つ丘(きゅう)之を聞く、肆(し)を好めば折(せつ)を守らず(注7)、長者は市を爲さず、と。其の益有ると其の益無きとを竊(あきら)かにすれば(注8)、君其れ之を知らん、と。 (注9)魯の哀公孔子に問うて曰く、人を取るを請い問う、と。孔子對(こた)えて曰わく、健(けん)(注10)を取ること無かれ、詌(かん)(注11)を取る事無かれ、口啍(こうじゅん)(注12)を取ること無かれ。健なれば貪(たん)し、詌なれば亂し、口啍なれば誕(たん)す。故に弓は調して而(しこう)して後に勁を求め、馬は服して而して後に良を求め、士は信愨(しんかく)にして而して後に知能を求む。士信愨ならずして有(また)知能多きは、之を譬(たと)うるに其れ豺狼(さいろう)なり、身を以て尒(ちか)づく可からざるなり。語に曰く、桓公は其の賊を用い、文公は其の盜を用う、と。故に明主は計に任じて怒に信(まか)せず、闇主は怒に信して計に任ぜず。計怒に勝つ者は强く、怒計に勝つ者は亡ぶ、と。 (注3)本章は、孔子家語好生篇に大同小異の文が見える。
(注4)増注は、「仁はまさに人に作るべし、音の誤なり」と言う。これに従う。 (注5)楊注は、「號」は読んで「胡」となす、と言う。なんぞ。 (注6)楊注は、「資」は「齊」と同じ、と言う。齊衰は、一年の喪の服。 (注7)楊注は、「市肆(しし)を喜ぶの人は、守る所の貨財をして折耗せしめず」と注する。肆は店舗で、商売の意。折は損失の意。現代中国語でも「折」字は割引の意味である。 (注8)楊注は、「竊」はよろしく「察」となすべし、と言う。 (注9)本章の「語に曰く」より前の文と同趣旨の文は、孔子家語五儀解篇・韓詩外伝四・説苑尊賢篇に見える。家語五儀解篇では、哀公篇(3)の後章につなげて置かれている。本章の「語に曰く」以下の文は、新序雑事五にも見える。 (注10)「健」について金谷治氏は「元気すぎる者」と訳し、新釈は「ただ強いばかりの人間」と訳す。強気すぎて、謙譲の心がない人物のことであろう。 (注11)集解の郝懿行は、「詌」は説苑に「拑」に作ることを是とする。拑は、人を脅してものを言わせないこと。 (注12)楊注は、「啍」は「諄」と同じ、と言う。口諄は、口では教誨の言葉を出しながら心に誠実がない者のこと。 |
漢文大系は、後章の「語に曰く」以下を別の一章としている。この文が家語・韓詩外伝・説苑に所収の孔子と哀公との問答に表われないので、問答ではない単独の格言とみなしたと思われる。新釈は、これを哀公との問答につなげて解釈している。