大学或問・伝首章 ~明明徳~

投稿者: | 2023年3月18日

『大学或問』伝首章

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
或(あるひと)問う、一章より而(しこう)して下、以て三章の半に至るまで、鄭が本元世を没すまで忘れずというの下に在り、而れども程子乃ち以て此を知の至と謂うなりの文に次ぐ、子獨り何を以てか其の然らざることを知りて、遂に以て傳の首章と爲(す)るや。
曰、經を以て傳を統べ、傳を以て經に附せば、則ち其の次第知んぬ可し、而して二説の然らざること審かなり。
曰、然らば則ち其の克く德を明にすと曰く者は、何ぞや。
曰、此れ文王能く其の德を明にすることを言うなり、蓋し人徳の當に明にすべきことを知りて之を明にせまく欲せずということ莫し、然れども氣稟之を前に拘え、物欲之を後に蔽う、是を以て之を明にせまく欲すと雖も克わざること有り、文王の心は渾然たる天理、亦之を克すること待つこと無くして自ら明なり、然も猶お爾が云う者は、亦其の獨り能く之を明にして、他人は能わざることを、又以て夫の未だ明にすること能わざる者の其の之を克するの功を致さずばある可からざることを見(あらわ)すなり。
曰、諟(こ)の天の明命を顧るは、何ぞや。
曰、人は天地の中を受けて以て生る、故に人の明德は他に非ず、卽ち天の我に命ずる所以にして、至善の存する所なり、是れ其の全體大用(注1)、蓋し時として日用の間に發見せずということ無し、人惟だ此を察せず、是を以て人欲に汨(しず)んで、自ら明にする所以を知らず、常に目之に在りて、眞に其の前に參り衡(よこぎ)に倚るを見るが若くんば、則ち成性存存して道義出ん。
曰、克く俊德を明にするは、何ぞや。
曰、堯能く其の大德を明にすることを言うなり。
曰、是の三の者は、固(まこと)に皆自ら明にするの事なり、然して其の之を言うこと亦序有りや。
曰、康誥(こうこう)は通じて明德を言うのみ、太甲(たいこう)(注2)則ち始より天の未だ人爲らずばあらずして、人の未だ天爲らずばあらざることを明すなり、帝典は則ち專ら成德の事を言いて、其の大を極む、其の言の淺深、亦略(ほぼ)序有り。


(注1)全体(體)大用の語は、伝五章補伝にもあらわれる。明徳が体で、そこから発揮される人間のよき能力が用である。
(注2)大学の原文は「大甲」であるが、ここでは書経の篇名のとおり「太甲」にしてある。なお朱子の時代に読まれていた書経太甲篇は、現在では偽書であると結論されている。大学章句本文の用語解説を参照。
《要約》

  • 鄭玄本(漢代の『礼記』大学篇)は、伝首章から伝三章の前半までを伝三章の後半に置いていた。程子はそれを改めて、経の末尾の句「此れを知の至と謂うなり」の直後に続けた。しかし朱子は両氏の説をともに斥けた(程子の前後入れ替えを継いで、さらに「此れを知の至と謂うなり」の句を後の伝五章に先送った)。その理由を問われて朱子は「経は伝の要約であって、伝は経の解説である。それらは順序どおりであるはずであり、両氏の説が間違っていることは明白である」と答えた。
  • 康誥の語は、文王が物欲を克服して天理に従い明徳を明にしたことが、他人にはできることではなく、しかしまだ明徳を明にしていない者にそれをしなければいけないことを告げているのである。
  • 太甲の語は、人は天地の中から生まれ、天が人に命ずるものが明徳であって、明徳は至善の存するところである。明徳の本体(体)と作用(用)は、人が日常において時に発見しているものなのであるが、人はそれを察せず人欲に沈んで、明徳を明にすることができない。しかしこれを常に目前にあるかのごとくすれば、成性存存して道義があらわれる。その明徳を顧みることである。
  • 帝典の語は、堯がその大徳を明にして、その極の俊徳であった、ということである。
  • 三つの語の順序が意味するところ。康誥は、単に明徳を言っただけのこと。太甲は、天と人は同一であって人は最初から天により明徳を与えられている(のでそれを見出さなければならない)ということ。帝典は、明徳がすでに成ったということである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です