大学或問・伝三章 ~止至善~

投稿者: | 2023年3月22日

『大学或問』伝三章

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『四書集注大全』(明胡廣等奉敕撰、鵜飼信之點、附江村宗□撰、秋田屋平左衞門刊、萬治二年)より作成。
〇各ページの副題は、内容に応じてサイト作成者が追加した。
〇読み下しの句読点は、各問答の中途は読点、末尾は句点で統一した。
〇送り仮名は、原文の訓点から現代日本語に合わせて一部を変更し、かつ新かなづかいに変えた。
《読み下し》
或(あるひと)問う、此に玄鳥の詩を引くことは、何ぞや。
曰、此れ民の邦畿に止まるを以て、物の各止まる所に有ることを明すなり。
曰、綿蛮(めんばん)の詩を引きて、系るに孔子の言を以てす、孔子何を以てか是の言(こと)あるや。
曰、此れ夫子詩を説くの辭なり、蓋し曰く鳥其の止らんと欲するの時に於て、猶お其の當に止まるべきの處を知る、豈に人萬物の霊と爲りて、反て鳥の能く止まる所を知りて之に止まるに如かざる可けんや、其の人の當に止まることを知るべき所の義を發明する所以、亦深切なり。
曰、文王の詩を引きて、繼ぐに君臣父子國人と交わるの止まる所を以てするは、何ぞや。
曰、此れ聖人の止るに因りて、以て至善の在る所を明すなり、蓋し天蒸民を生する、物有り則有り、是を以て萬物庶事、各當に止まるべきの所有らずということ莫し、但だ居る所の位同じからざれば、則ち止まる所の善一ならず、故に人の君と爲りては、則ち其の當に止まるべき所の者仁に在り、人の臣と爲りては、則ち其の當に止まるべき所の者敬に在り、人の子と爲りては、則ち其の當に止まるべき所の者孝に在り、人の父と爲りては、則ち其の當に止まるべき所の者慈に在り、國人と交わるときは、則ち其の當に止まるべき所の者信に在り、是れ皆天理人倫の極致、人心の已む容(べ)からざる者に發す、而(しこう)して文王の法を天下に爲して後世に傳う可き所以の者、亦不能加毫末も是に加うること能わず、但だ衆人類(おおむね)氣稟物欲の爲に昏ま所(さ)る、故に常に敬すること能わず其の止まる所を失う、唯だ聖人の心、表裏洞然(どうぜん)として、一毫の蔽有ること無し、故に連續光明にして、自ら敬せずということ無し、而して止まる所の者、至善に非ずこと莫し、止まる所を知ることを待たずして、故に傳に此の詩を引いて、而して止まる所の實を歴陳して、天下後世をして以て法を取ることを得せしむ、學者此に於て、誠に以て其の本心の已む容からざる者に發するを見て之を緝熙(しゅうき)(注1)すること有りて、其れをして連續光明にして少しも間斷無からしめば、則ち其の敬して止まるの功、是れ亦文王のみ、詩に所謂上天の載は、聲も無く臭も無し、文王に儀刑して、萬邦孚(まこと)を作(な)す(注2)という、正に此の意なり。
曰、子が詩を説く、旣に敬止の止を以て語助の辭と爲す(注3)、而して此の書に於ては、又以て止まる所の義と爲るは、何ぞや。
曰、古人詩を引きて章を斷つ、或は姑く其の辭を借りて以て己が意を明す、未だ必ずしも皆本文の義を取らずなり。
曰、五者の目、詞約(つづまや)かにして義該たり、子が説、乃ち復た所謂其の精微の蘊を究めて、類を推して以て之を通ずる者の有り、何ぞ其の之を言う衍(えん)(注4)にして切ならずや。
曰、其の德の要を擧げて總て之を名(なづ)くるときは、則ち一言にして足んぬ、其の是の一言を爲す所以の者を論ぜば、則ち其の始終本末豈に一言の能く盡す所ならんや、其の名を得て其の名くる所以を得ざれば、則ち仁或は姑息に流れ、敬或は阿諛に墮ち、孝或は父を陷(おとしい)れ、慈或は子を敗る、且つ其の信爲る、亦未だ必ずしも尾生(びせい)白公(はくこう)(注5)(注6)の爲(しわざ)爲らずばあらずなり、又況や傳の陳(の)ぶる所、姑く以て物各止まること有るの凡例を見(あらわ)す、其の大倫の目に、猶お且つ其の二を闕(か)く(注7)、苟も類を推して以て之を通ぜずんば、則ち亦何を以てか天下の理を盡さんや。
曰、復た淇澳(きいく)の詩を引くは、何ぞや。
曰、上に至善に止まるの理を言うこと備(つぶさ)なり、然れども其の之を求むる所以の方と、其の之を得る驗は、則ち未だ之に及ぼさず、故に又此の詩を引きて以て之を發明すなり、夫れ切するが如く磋するが如しとは、其の學を講ずる者の所以の、已に精の益(ますます)其の精を求むるを言うなり、琢するが如く磨するが如しとは、其の身を脩むる所以の者の、已に密にして益其の密を求むるを言うなり、此れ其の善を擇びて固く執り、日に就(な)り月に將(すす)みて、至善に止まることを得る所以の由なり、恂慄は、嚴敬の中に存するなり、威儀は、輝光の外に著わるるなり、此れ其の面に睟(うるお)い背に盎(あふ)れ、四體に施して、至善に止まることを爲するの驗なり、盛德至善を、民の忘ること能わざるは、蓋し人心の同じく然る所、聖人旣に先ず之を得、而して其の充盛宣著又此の如し、是を以て民皆之を仰いで忘ること能わざるなり、盛德は、身の得る所を以て言うなり、至善は、理の極まる所を以て言なり、切瑳琢磨は、其の是に止まることを求むるのみ。
曰、切瑳琢磨何を以てか學問自脩の別と爲るや。
曰、骨角は脈理尋ぬ可くして、切瑳の功易し、所謂條理を始むるの事なり、玉石は渾全堅確にして、琢磨の功難し、所謂條理を終えるの事なり(注8)
曰、烈文の詩を引きて、前王の世を没(おわ)るまで忘れざることを言うは、何ぞや。
曰、其の賢を賢とすという者は、聞きて之を知る、其の德業の盛を仰ぐなり、其の親を親すという者は、子孫之を保つ、其の覆育の恩を思うなり、其の樂を樂しむ者は、哺を含み腹を鼓(たた)いて其の樂を安ずるなり、其の利を利とする者は、田を耕し井を鑿ちて、其の利を享くるなり、此れ皆先王の盛德至善の餘澤、故に已に世を没ると雖も、人猶お之を思い、愈(いよいよ)久しく忘ること能わざるなり、上の文の淇奥を引きて、明德を明にするの止まる所を得るをを以て之言いて、民を新にするの端を發す、此に烈文を引きて、以て民を新にするが止まる所を得るを以て之言いて、明德を明にするの效を著すなり。
曰、淇奥烈文の二節、鄭が本元誠意の章の後に在り、而るを程子卒の章の中に之を置く、子獨り何を以て其の然らざるを知りて、之を此に屬するや。
曰、二家の繋(か)くる所、文意屬せず、故に得て從わざる者の有り、且つ所謂盛德至善を世を没るまで忘れざることを道(い)うという者を以て之を推せば、則ち其の當に此に屬すべきことを知るなり。


(注1)緝熙は、(徳が)ひかりかがやく様。詩経、大雅文王より。伝三章の本文に引用されている。
(注2)詩経、大雅文王より。上天はその意思を声にも匂いにもくだされないが、ただ文王の定めたおきてにのっとるならば、すべての国は心からよく従うであろう。
(注3)大雅文王の聯「穆穆文王、於緝熙敬止」の「止」字は句末に語気を整える助辞であり、ここでは韻を揃えるために使われていて意味はない。朱子もこの詩そのものを解釈するときには、そのように解釈した。しかし大学の引用においては断章取義すなわち原文の意味から離れて意味を取り、「止」字にトドマルの意味が与えられている。以下の問答は、その解釈の違いを説明しているのである。
(注4)衍は、ひろい様。大学の本文は簡潔で包括的であるのに、朱子の説明はそれをひろく演繹して簡潔でない。
(注5)尾生は、荘子盗跖篇より。尾生は女子と橋の下で会う約束をしたが来ない。水が上がってきたが信じて去らず、梁(はり)を抱えて死んだ。正しくない信の例のひとつして挙げる。
(注6)白公は、白公勝のこと。春秋左氏伝より。楚の王族の勝は信にして勇であると聞いて、楚の令尹子西はこれを登用しようとした。葉公が反対して、勝は信でも勇でもないと諫めた。令尹子西は聴かず、勝を白公に封じた。将軍に登用された白公勝は、令尹子西を攻め滅ぼした。正しくない信の例のふたつとして挙げる。
(注7)五倫は、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の倫理である。大学のここでは、まだ夫婦(別)と長幼(序)の二倫が書かれていないということ。
(注8)孟子萬章章句下「條理を始むるは智の事なり、條理を終うるは聖の事なり」より。孟子は、條理を始めて條理を終えることができたのが孔子であると評価する。條理とは揃った筋道のことで、孟子の言葉においては音楽の合奏のことを言っている。朱子は切磋琢磨の語とかみ合わせて、骨角玉石の切り筋の意味に取り替えている。
《要約》

  • 玄鳥の詩の意味は、万物にはそれぞれ止まるべきところ(すなわち理)がある、ということを明らかにしているのである。
  • 綿蛮の詩の意味は、鳥ですら止まるところを知っているのに、いわんや万物の霊長である人間が止まるべきところ(すなわち至善)を知らないでいられようか、というたとえである。
  • 文王の詩を引用した後で、君臣父子・国人と交わるところでそれぞれ止まる所を述べている理由は、万物庶事にはそれぞれ止まるべき所があり、各人それぞれの立場に応じて止まるところの善が仁・敬・孝・慈・信と異なっている。聖人文王だけが心におおわれるところがなく、自ら敬せずということなく、至善に止まらないことがなかった。ゆえに文王の詩を引用した後で、それぞれが止まる所を連ねて述べ、ややもすれば気稟物欲におおわれて止まることができない人々に対して敬を思い出させて、文王の完全なる法にのっとらせようとしたのである。
  • 大学本文の言葉は簡潔で包括的であるのに、朱子の説明は「其の精微の蘊を究め、類を推す」(大学章句の朱子注)のやり方で簡潔でない。それはどうしてなのかと問われて朱子は、「それぞれの徳の要点を挙げるのであれば、仁・敬・孝・慈・信といった名称一語で足りる。だがそれぞれの徳が成り立つ理由を言うのであれば、名称一語だけでは言い表せない。名称だけ知って名称が成り立つ理由を知らなければ、仁はその場かぎりの恩恵に、敬はへつらいに、孝は親をだますことに、慈は子を甘やかすことに、信は尾生・白公の故事のごとくなりかねないのだ。それに大学本文には夫婦・長幼の二倫が書かれていない。本文を越えて類推して理解しなければ、天下の理を尽くすことなどできはしまい」と答えた。
  • 淇澳の詩の意味は、本章前半で至善に止まることの原理を説いたが、ここでは至善に止まるための方法と、それを成したときの効果を詩によって示唆しているのである。
  • 淇澳の詩で切瑳を学問、琢磨を自脩と分けている理由として朱子は「切瑳(骨と角の加工)は切り筋がわかりやすく、加工が容易である。孟子の言う條理の始めである。琢磨(玉と石の加工)は渾然として堅固で、加工が困難である。孟子の言う條理の終わりである」と答えた。
  • 烈文の詩に続いて「世を没すも忘れず」と言う意味は、先王の盛徳至善の余沢が後世まで慕われ忘れらないということである。先に淇澳の詩で、明徳を明にするの止まる所を得ることを言って民を新にする端を発した。それを受けて烈文の詩で、民を新にするの止まる所を得ることを言って明徳を明にすることの効能を明らかにしたのである。

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