非十二子篇第六(3)

By | 2015年6月21日
信ずべきことを信じるのは信であるが、疑うべきことを疑うのもまた信である。賢人を貴ぶのは仁であるが、愚人を卑しむのもまた仁である。発言して的を得るのは智であるが、沈黙しながら的を得るのもまた智である。ゆえに、沈黙を知るのは言葉を知ることと同じ意義がある。よって、多言でありながらその言葉が正しい分類法に従っているのは、聖人である。少言であってもその数少ない言葉が礼法に従っているのは、君子である(注1)。多言であろうが少言であろうが言葉に法がなくて口から出任せであれば、それが大真面目に弁論をしたところでしょせんは小人である。よって努力しながら、その努力が人民への務めに向いていないならば、これを姦事と言うべきである。知を巡らしながら、その知が中華の文明の建設者である先王たちの正道に則っていないならば、これを姦心と言うべきである。見事に機知の効いた弁舌やたとえ話を操りながら、その弁舌が礼義に従っていないならば、これを姦説と言うべきである。これら姦事・姦心・姦説の三姦は、聖王が禁じるところである。知があって陰険であること、精密な知(注2)を他者を傷つける方向に用いること、詐欺を用いる術に巧妙であること、無用のことに雄弁であること、仁の心なしに明察な弁論を行うこと、これらは統治の大害である。行いが正道から外れて頑固に居座ること、不正なことを巧みに言い飾ること、姦悪なことを弄んで自得すること、弁舌巧みにして正道にそむくこと、これらはいにしえの大禁である。知がありながら法がない者、勇気があるが遠慮する精神がない者、明察な弁論をしながら正道から外れた理屈を操る者、大げさな言葉を並べながらその言葉が実用性に乏しい者、姦悪を好んで愚かな大衆と行動を共にする者、これらの者はいわば速足を持っていながら道に迷うような頭の回る愚者であり、石を背負って川に身投げするような自滅者である。よって、天下が捨てて顧みない者どもである。

天下すべてを心服させる心構えについて。身分が高く尊貴であっても、他人に驕ってはならない。聡明で知を極めていても、その智恵で他人を陥れてはならない。理解力が素早くても、他人より先に出ることを争ってはならない。剛毅で勇敢であっても、その力で他人を傷つけてはならない。知らないことは質問し、うまくできないことは学び取り、うまくできることであっても必ず先に譲る。こうしたことを行って、はじめて有徳の人ということができる。君主に会えば、臣下の義を尽くす。郷里の人に会えば、長幼の義を尽くす。年長者に会えば、子弟の義を尽くす。友人に会えば、礼節・辞譲の義を尽くす。身分卑しい者や年少者に会えば、これを教え導き、過失には寛容であるという義を尽くす。全てを愛し、全てを敬い、他人と争わず、広い心で天地の万物を包み込むように他人と接するのである。このようであれば智恵のある賢者には尊重されることとなり、智恵の足りない愚者であっても親しまれることとなるだろう。だがここまで徳のある他人への接し方をしても心服しない者がいたならば、それはもはや人間の姿をした妖怪であり、心底からの狡猾の人間というべきである。このような者であれば、たとえ身内の子弟の中にいたとしても、刑を受けてもしようがない(注3)。『詩経』に、この言葉がある。:

殷朝滅びしは、天の時にあらず
祖法を用いざる、なんじの罪なりき
老成の賢者、すでに去りぬるも
開祖が残されし刑典はありき、なれど
なんじはこれを聴かず、顧みず
ゆえに殷朝の、命は傾けり
(大雅、蕩より)

そのような者は、まさに殷の紂王のような残賊であり、この詩のように自滅するに任せるがよい。

いにしえの時代に仕官する士と言われた者は、徳厚い者であり、人民をまとめ上げる者であり、富貴を心から楽しめる者であり(注4)、分けて施すことを楽しむ者であり、罪過から遠ざかる者であり、道理に従って事を処していく者であり、一人だけ富を持つことを恥じる者であった。これに比べて現代に仕官する士と言われている者は、心の汚れた者であり、他人を傷つけ世を乱す者であり、自分勝手な者であり、利をむさぼる者であり、触法行為を犯す者であり、礼義なくしてただ権勢ばかりを好む者である。いにしえの時代に在野の士と言われた者は、人徳盛んな者であり、物静かさを保つことができる者であり、正道を修める者であり、運不運が偶然の結果であることを知る者であり(注5)、正義を明らかにしていく者である。これに比べて現代に在野の士と言われている者は、無能のくせに能があると自称する者であり、無知のくせに知があると自称する者であり、心中は利を求めてやまないくせに自分は無欲であると嘘をつく者であり、陰険で汚れた行為をするくせに言葉だけは高尚で真面目なふりをする者であり、世の風俗から外れたことを行ってこれを正しい風俗であると言い、世を離れて勝手に振る舞い、己の道を独り極めて他人をそしる者である。

士・君子ができないことについて。君子は他人を貴ぶことはできるが、必ずしも他人に自らを貴ばせることはできない。君子は他人を信じることはできるが、必ずしも他人に自らを信じさせることはできない。君子は他人を用いることはできるが、必ずしも他人に自らを用いさせることはできない。ゆえに君子は自らを修めないことを恥じるが、他人から汚れていると批判されることなどを恥じたりはしない。君子は自らが信のない人間となることを恥じるが、他人から信を置かれないことなどを恥じたりはしない。君子は自らに能がないことを恥じるが、他人に自らが用いられないことなどを恥じたりはしない。こうして君子は栄誉に誘われず、誹謗を恐れず、正道に従って行動し、身を正して己を正しくし、外物のために心が傾いたりはしない。これが、誠の君子である。『詩経』に、この言葉がある。:

温(おだや)かで恭(つつし)む人は
これ、徳の基(もとい)
(大雅、抑より)

君たちは、こうあらねばならない。


(注1)聖人は多言、君子は少言である理由は、聖人の知は熟慮なしで常に正解を得るが、君子の知は熟慮の結果として正解を得るからである。非相篇(5)も参照。
(注2)原文「神」。荀子は「神」の字を、人間の知の神妙精密なはたらきの意に用いる。神(かみ)の意ではない。
(注3)孟子もまた、自らは徹底的に礼を尽くして接してもなおかつ親しまず横柄な返答をする者は、もはや禽獣であるとみなすべきだ、ということを言っている。離婁章句下、二十九を参照。
(注4)原文読み下し「富貴を楽しむ者なり」。集解の兪樾は、ここの大要は「富貴を慕わず」の意であろう、と言う。王先謙は「富」字は「可」字の誤りであり、「貴ぶ可きを楽しむ者なり」である、と言う。いずれも、富貴を楽しむことを肯定しているはずがない、とみなしての意見である。新釈は「人々の富貴になる事を楽しむ者」と訳している。だが私は思うに、この後に「分施を楽しむ」「独富を羞ずる」の語が続いているのだから、富貴を皆と共に分かち合うので富貴を真に楽しむことができる、という意味で取ってよいのではないか。孟子の言う「賢者にして而る後に此を楽しむ」(梁恵王章句上、二)の意である。諸氏の解釈は、狭隘に過ぎると私は思う。
(注5)原文読み下し「命を知る者なり」。「命」を天命と考えれば孔子・孟子の思想に近いが、荀子は天命について多く語ることがない。ここは正名篇の「命」の定義に従って、「人間の行為の必然的結果ではなくて、その人にたまたま起こったこと」という意味を前に打ち出して訳した。
《原文・読み下し》
信を信ずるは信なり、疑を疑うも亦信なり。賢を貴ぶは仁なり、不肖を賤しむも亦仁なり。言いて當るは知なり、默して當るも亦知なり、故に默を知るは猶お言を知るがごときなり。故に多言にして類なるは、聖人なり。少言にして法あるは、君子なり。多少法無くして流(りゅう)すれば、湎然(べんぜん)として辯(べん)ずと雖も小人なり。故に力を勞して民の務に當らざる、之を姦事と謂い、知を勞して先王に律(のっと)らざる、之を姦心と謂い、辯說(べんぜつ)・譬諭(ひゆ)・齊給(せいきゅう)・便利にして、禮義に順(したが)わざる、之を姦說(かんせつ)と謂う。此の三姦なる者は、聖王の禁ずる所なり。知にして險、賊にして神、詐を爲して巧、用無きを言いて辯、辯惠ならずして(注6)察なるは、治の大殃(だいおう)なり。行辟(へき)にして堅、非を飾りて好(こう)(注7)、姦を玩して澤(えき)(注8)、言辯にして逆なるは、古の大禁なり。知にして法無く、勇にして憚ること無く、察辯にして操僻(そうへき)(注9)、淫大(いんたい)にして用之(とぼ)しく(注10)、姦を好んで衆と與(とも)にし、足を利して迷い、石を負(いだ)いて墜つるは、是れ天下の弃(す)つる所なり。
天下を兼服するの心。高上尊貴なるも、以て人に驕らず、聰明聖知なるも、以て人を窮(くる)しめず、齊給速通なるも、人に爭い先んぜず、剛毅勇敢なるも、以て人を傷つけず、知らざれば則ち問い、能くせざれば則ち學び、能くすと雖も必ず讓り、然る後に德と爲す。君に遇(あ)えば則ち臣下の義を脩め、鄉に偶えば則ち長幼の義を脩め、長に遇えば則ち子弟の義を脩め、友に遇えば則ち禮節・辭讓の義を脩め、賤にして少なる者に遇えば、則ち告導・寬容の義を脩め、愛せざること無く、敬せざること無く、人と爭うこと無く、恢然(かいぜん)として天地の萬物を苞(つつ)むが如し。是(かく)の如くなれば、則ち賢者は之を貴び、不肖者は之に親しむ。是の如くにして服せざる者は、則ち訞怪(ようかい)・狡猾の人と謂う可し。則ち子弟の中(うち)と雖も、刑之に及んで宜(よろ)し。詩に云う、上帝時ならざるに匪(あら)ず、殷舊を用いざればなり、老成の人無しと雖も、尚お典刑有り、曾(すなわ)ち是れ聽くこと莫く、大命以て傾く、とは、此を之れ謂うなり。
古の所謂(いわゆる)士の仕うる者は、厚敦なる者なり、羣(ぐん)を合する者なり、富貴を樂しむ者なり、分施を樂しむ者なり、罪過に遠ざかる者なり、事理を務むる者なり、獨富を羞ずる者なり。今の所謂士の仕うる者は、汙漫(おまん)なる者なり、賊亂なる者なり、恣睢(しき)なる者なり、貪利(たんり)なる者なり、觸抵(しょくてい)する者なり、禮義無くして唯(ただ)權埶(けんせい)を之れ嗜む者なり。古の所謂處士なる者は、德盛んなる者なり、能く靜かなる者なり、正を脩むる者なり、命を知る者なり、是を箸(あら)わす者なり。今の所謂處士なる者は、能無くして能と云う者なり、知無くして知と云う者なり、利心足ること無なくして、欲無しと佯(いつわ)る者なり、行爲險穢(けんあい)にして、强(し)いて高言・謹愨(きんかく)なる者なり、不俗を以て俗と爲し、離縱して跂訾(きし)する者なり。
士・君子の能く爲さざる所(注11)。君子は能く貴ぶ可きを爲すも、人をして必ず己を貴ばしむること能わず、能く信ず可きを爲すも、人をして必ず己を信ぜしむること能わず、能く用う可きを爲すも、人をして必ず己を用いしむること能わず。故に君子は脩ならざるを恥じ、汙(お)とせ見(ら)るるを恥じず。信ならざるを恥じ、信ぜ見(ら)れざるを恥じず。能あらざるを恥じ、用い見(ら)れざるを恥じず。是を以て譽(ほまれ)に誘われず、誹(そしり)に恐れず、道に率(したが)いて行い、端然として己を正し、物の爲めに傾側せられず、夫れ是を之れ誠の君子と謂う。詩に云う、溫溫(おんおん)たる恭人、維(こ)れ德の基、とは、此を之れ謂うなり。


(注6)集解の王念孫は、本篇(1)注13と同じく「恵」を「急」と読む。しかし前に準じて、仁愛の意で訳す。
(注7)集解の王念孫は、「好」は去声でなく上声で読むべし、と言う。去声で読めば「このむ」の意であり、上声で読めば「よい。ととのっている」の意味。つまり、巧妙なこと。
(注8)新釈は于省吾の「澤・釈は古字通ず、釈は自得を謂うなり」を引く。「釈(えき)」は「懌」の借字で、よろこぶ。新釈に従う。
(注9)楊注はつづく「淫」字を前につなげて、「僻淫を操り」のように読む。集解の兪樾は「淫」字は後につなげて「大」は「汰」と読み、「淫汰(いんたい)」の意と言う。これに従う。
(注10)集解の兪樾は、「之」は「乏」が壊れた字である、と言う。これに従う。
(注11)宋本の原文は、「士君子之所能不能爲」として、上の段の末尾に置く。元刻は「能」を一字を削って「士君子之所不能爲」に作る。この文の処し方には、三説が提出されている。(1)このまま「士・君子の能く爲し能わざる所なり」と読んで、上の段のまとめの言とみなす。新釈の藤井専英氏は暫定的にこのように処す。(2)元刻を採用して「士・君子の能く爲さざる所」と読んで、以下に続く叙述の起句とみなす。増注の説。(3)字を追加、または入れ替えて解釈する。集解の王念孫は「爲」字を宋本原文の一つめの「能」字の下に追加して「士・君子の能く爲し、能く爲さざる所」と読む。猪飼補注は「爲」字を原文の「所」字の下に移して「士・君子の能く爲し、能わざる所」と読む。両説ともに、元刻と同じく以下に続く叙述の起句とみなす。漢文大系および金谷治氏は、王念孫説を取る。以上、どの説でも通るが、元刻のままで十分説明できるので、(2)を取ることにしたい。

異端批判を一通り終えた後は、再び正しい君子についての論述が始まる。ここはおそらく末尾にある子張・子夏・子游の儒家三学派批判につなげるイントロダクションであって、三学派は賤儒であり荀子の徒はこれに倣わず正しい君子を目指さなければならない、と諭すことが目的なのであろう。『論語』子張篇には、子張・子夏・子游の三学派が互いに孔子の学の解釈を巡って対立している姿が記録されている。荀子は儒家に属するが、三学派を批判しているところから見ると、これら孔子の直弟子の学派の出身ではないと思われる。荀子は趙国の出身であり、楚国ともつながりが深いと考えられる。荀子が孔子と並んで聖人と賞賛する子弓とは、趙国あるいは楚国の儒家思想家であったのかもしれない。

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