脩身篇第二(2)

By | 2015年6月29日
人を先導して善を行うことを、「教」と言う。他人と善なることについて協調することを、「順」と言う。人を先導して不善を行うことを、「諂(てん)」と言う。他人と不善なることについて協調することを、「諛(ゆ)」と言う。是を是と判断して非を非と判断することを、「智」と言う。非を是と判断して是を非と判断することを、「愚」と言う。良き人を中傷することを、「讒(ざん)」と言う。良き人に危害を加えることを、「賊」という。是を是と言葉で言い非を非と言葉で言うことを、「直」と言う。財貨を盗むことを、「盗」と言う。行いを隠すことを、「詐」と言う。言動を変えることを、「誕(たん)」と言う。進むことと留まることに決まった道がないことを、「無常」と言う。利にしがみついて義を捨てることを、「至賊」と言う。多く聞くことを、「博」と言う。少なく聞くことを、「浅」と言う。多く見ることを、「閑(かん)」と言う。少なく見ることを、「陋(ろう)」と言う。物事をなかなか進めずだらけているのを、「偍(てい)」と言う。すぐに忘れやすいのを、「漏(ろう)」と言う。手数が少なくてよく整理されているのを、「治」と言う。手数が多くて混乱しているのを、「秏(ぼう)」と言う。

気を治めて心を養う術について。血気が強く盛んに過ぎる人間ならば、調和の気をもってこれを柔らげるのがよい。知慮が深すぎて複雑な人間ならば、平明で温良な気をもってこれの心中を一つにまとめあげるのがよい。胆力勇猛で乱暴に過ぎる人間ならば、正道に従わせて従順な気をもってこれを補うのがよい。敏捷に過ぎて軽率な人間ならば、立ち居振る舞いに節度を教えるのがよい。心が狭隘で小さ過ぎる人間ならば、広大な気をもって心を広げさせるのがよい。卑屈に過ぎて己の利しか見えない人間ならば、高い志を持たせてこれの心を持ち上げるのがよい。凡庸に過ぎて愚鈍散漫な人間ならば、これを師と友人に導かせて劣悪に堕ちさせないようにするのがよい。怠慢で無頓着な人間ならば、己の行く末の災厄を明らかに示してやって猛省させるのがよい。正直で堅苦し過ぎる人間ならば、礼楽(れいがく)の文化を身に合せさせて人間的な余裕を与えるのがよい。結局のところ、およそ気を治めて心を養う術には、礼義に依るよりも効果が速やかであるものはなく、よき師を得るよりも肝要なことはなく、師に就いて礼義を学ぶことを心から喜んで、己の心を学ぶことに統一させることよりも、最も詳しく習得できる道はない(注1)。これが、気を治めて心を養う術である。

己の志意がよく修まれば、富者や貴人を羨むことはなくなるだろう。己の道義が重ければ、王や諸侯ですら軽く見なすことができるだろう。それは、心中によく内省するならば、外物を軽く感じるようになるからである。言い伝えに、「君子は外物を使役するが、小人は外物の奴隷となる」と言うのは、このことなのである。たとえ身体が労苦する事業であっても、その事業を行うことによって心中が安楽であるならば、これを行うのである。またたとえ利益が少ない事業であっても、その事業は義が多いものであるならば、これを行うのである。乱れた悪君に仕えて出世するよりは、窮地に陥った小国の善君によく仕えるほうがよい。ゆえに、良き農夫は洪水旱魃の危害があるからといって耕作をやめることはなく、良き商人は売り損をしたり在庫を抱える危険があるからといって商売をやめることはない。そして君たち士君子は、貧窮の苦難があるからといって、正道を進むことを怠らないであろう。

身体の動作は恭敬で心の中は忠信であり、心身を統御する術は礼義を採用して心中の情は仁愛であるならば、天下を歩き回って果ては蛮族の地まで踏み入ったとしても、他人に貴ばれないことはないであろう。骨の折れることは率先して引き受け、楽しいことはすすんで他人に譲り、誠実にして真面目であり、己の義務を堅く守って職責に詳しくあれば、天下を歩き回って果ては蛮族の地まで踏み入ったとしても、他人から信任されないことはないであろう。だが身体の動作は横柄で心の中は偏執にして詐りがあり、心身を統御する術は礼義から外れて心中の情は粗雑で汚れているならば、天下を歩き回って遠くまで達したとしても、他人に蔑まれないことはないであろう。骨の折れることはなまけて逃れ、楽しいことは直ちに飛びついて遠慮することがなく、僻み偏って正直でなく、仕事は自分でノルマを課してそれ以上は力を尽くそうとせず、努力を惜しむ。このようであるならば、天下を歩き回って遠くまで達したとしても、他人から見捨てられないことはないであろう。

歩くときに手を拱(こまね)いて小走りで進むのは、ぬかるみにはまることを避けるためにそうするのではない。歩くときに首を伏せて進むのは、物に当たることを避けるためにそうするのではなかい。人と対面したときにまず自分から目を伏せるのは、相手が恐ろしくて直視できないからそうするのではない。こうするのは、士たるものが自発的に己の身を修めて、郷里の一般人たちから無礼の批判を受けないためなのである。


(注1)原文読み下し「好を一にするより神なるは莫し」。荀子は「神」の字を神(かみ)の意に用いることはなく、智の働きが精妙なことを指す。
《原文・読み下し》
善を以て人に先(さきだ)つ者は、之を敎と謂い、善を以て人に和する者は、之を順と謂い、不善を以て人に先(さきだ)つ者は、之を諂(てん)(注2)と謂い、不善を以て人に和する者は、之を諛(ゆ)と謂う。是を是とし非を非とするは、之を智と謂い、是を非とし非を是とするは、之を愚と謂う。良を傷つくるを讒(ざん)と謂い、良を害するを賊と曰い、是を是と謂い非を非と謂うを直と曰う。貨を竊(ぬす)むを盜と曰い、行を匿(かく)すを詐と曰い、言を易うるを誕(たん)と曰う。趣舍定まり無き、之を無常と謂い、利を保ち義を弃(す)つる、之を至賊と謂う。多聞を博(はく)と曰い、少聞を淺(せん)と曰い、多見を閑(かん)と曰い、少見を陋(ろう)と曰う。進み難きを偍(てい)と曰い、忘れ易きを漏(ろう)と曰い、少なれども理(おさ)まるを治と曰い、多なれども亂るるを秏(ぼう)と曰う。
治氣養心(ちきようしん)の術。血氣剛强(けっきごうきょう)なれば、則ち之を柔(やわら)ぐるに調和を以てし、知慮漸深(ちりょせんしん)(注3)なれば、則ち之を一にするに易良(いりょう)を以てし、勇膽猛戾(ゆうたんもうれい)なれば、則ち之を輔(たす)くるに道順(どうじゅん)を以てし、齊給便利(せいきゅうべんり)なれば、則ち之を節するに動止を以てし、狹隘褊小(きょうあいへんしょう)なれば、則ち之を廓(ひろ)むるに廣大を以てし、卑溼[重遲](注4)貪利(ひしつたんり)なれば、則ち之を抗(あ)ぐるに高志を以てし、庸衆駑散(ようしゅうどさん)なれば、則ち之を刦(とど)むるに師友を以てし、怠慢僄弃(たいまんひょうき)なれば、則ち之を炤(あきら)かにするに禍災を以てし、愚款端愨(ぐかんたんかく)なれば、則ち之を合するに禮樂を以てす。[通之以思索。](注5)凡そ治氣養心の術は、禮に由るより徑(すみや)かなるは莫く、得師を得るより要なるは莫く、好を一にするより神なるは莫し。夫れ是を之れ治氣養心の術と謂うなり。
志意脩まれば則ち富貴に驕り、道義重ければ則ち王公を輕んず。內に省みれば則ち外物輕ければなり。傳に曰く、君子は物を役し、小人は物に役せらる、とは、此を之れ謂うなり。身勞するも心安ければ之を爲し、利少きも義多ければ之を爲す。亂君に事(つか)えて通ずるは、窮君に事えて順なるに如かず。故に良農は水旱(すいかん)の爲に耕さずんばあらず、良賈(りょうこ)は折閱(せつえつ)の爲に市せずんばあらず、士君子は貧窮の爲に道に怠ることあらざるなり。
體(たい)恭敬にして心(こころ)忠信、術(じゅつ)禮義にして情(じょう)愛人(あいじん)(注6)ならば、天下に橫行し、四夷を困(きわ)むと雖も、人貴ばざること莫し。勞苦の事は則ち先を爭い、饒樂(じょうらく)の事は則ち能く讓り、端愨(たんかく)・誠信にして、拘守(こうしゅ)して詳(つまびら)かにせば、天下に橫行して、四夷を困むと雖も、人任ぜざること莫し。體倨固(きょこ)にして心執詐(しゅうさ)、術順墨(せきぼく)(注7)にして精(じょう)(注8)雜汙(ざつお)ならば、天下に橫行し、四方に達すと雖も、人賤まざること莫し。勞苦の事は則ち偷儒(とうだ)・轉脫(てんだつ)、饒樂の事は則ち佞兌(ねいえい)にして曲ならず、辟違(へきい)にして愨(かく)ならず、程役(ていえき)にして錄(ろく)せざれば(注9)、天下に橫行し、雖四方に達すと雖も、人弃(す)てざること莫し。
行きて供冀(きょうよく)(注10)なるは、漬淖(しどう)なるに非ざるなり。行きて項(うなじ)を俯す(注11)は、擊戾(げきれい)に非ざるなり。偶視(ぐうし)して先(ま)ず俯すは、恐懼なるに非ざるなり。然るは夫(か)の士獨(ひと)り其の身を脩めて、以て罪を比俗(注12)の人に得ざらんと欲すればなり。


(注2)楊注は、「諂」は佞言を以て之を陥(おとしいれ)る、と言う。集解の王念孫は楊注を非として、人を導くに不善を以てす、と言う。新釈の藤井専英氏は、楊注に従って「諂」をカン、と読ませている。楊注、王念孫説のいずれとも決し難いので、読み方は通例のとおりとしておく。
(注3)増注、郝懿行、王念孫はともに「漸」は「潜」であると言う。「潜深」で知慮が過剰に深いこと。
(注4)『韓詩外伝』は漢代初期の韓嬰の著作で、『荀子』と重なる引用が多くある。ここの文もまた引用されているひとつであるが、「重遲(じゅうち)」の二字がない。なので、猪飼補注はけだし衍、と言う。新釈の藤井氏は「重遲」はもと卑溼の傍注であったものが本文に纔入(さんにゅう)したと見るのが妥当であろう、と言ってこれを削る。藤井説に従う。
(注5)楊注は、「通之以思索(之に通ずるに思索を以てす)」の部分についての注がない。集解の兪樾は、「血氣剛强」以下の八句は文法が皆同じであり、ひとり「通之以思索」のみが一律でなく、『韓詩外伝』の引用にも「通之以思索」がない。よってまさに衍文となすべし、と言う。新釈は、あえてこれを読んでいる。ここは兪樾に従い、衍文とみなしておく。
(注6)集解の王引之は、「人」は読んで「仁」となす、と言う。
(注7)楊注は、「順墨」はまさに「愼墨」たるべし、と言う。つまり、慎到(しんとう。王制篇のコメント参照)・墨子(ぼくし。富国篇参照)の説のようにかたよった方法を用いる、という解釈である。増注・集解の盧文弨ともにこれに賛同する。しかし新釈の藤井氏はこれに反対して、「順墨」を「瘠墨(せきぼく)」の誤りと言う。「瘠墨」は礼義風習をわきまえない行動動作をさす。藤井説を取りたい。
(注8)楊注は「精」はまさに「情」となすべし、と言う。
(注9)増注はまず「程役」について荻生徂徠を引いて「程を立てて役に就き、敢て力を盡(つく)さざるを謂う」と言う。自分でノルマを立てて、それ以上の仕事をやり尽くさないこと。「錄」については久保愛じしんの説として「拘錄」であり勉強の意、と言う。久保愛の言う「勉強」は日本語の意味であり、現代中国語での強制の意味ではない。
(注10)楊注は、「冀」はまさに「翼」となすべし、と言う。王先謙は、釈名にて「供は拱なり」とあり、また釈詁にて「翼は敬なり」とあり、論語郷党篇の「趨り進むには翼如たり」を引く。供翼で、手を拱いて小走りで進む様が恭敬である姿。
(注11)原文「行而俯項」。宋本は「項」が「頃」である。楊注ほか各注釈者はこれを「項」と読み替えて注している。しかし新釈の藤井氏は「頃」は傾に通じゆがみ傾くこと、と注して「頃」を「項」に読み替える通行本を妥当ではない、と言う。ここは一応多数説に従っておく。
(注12)猪飼補注は、「比俗はなお里俗のごときなり」と言う。『周官(周礼)』では、五家を「比」となし五比を「里」となす。

上の訳の最初の部分は、単語の意味の定義を行っているとも解釈できる。だが正名篇の冒頭の定義のように議論に前提を与えるための厳密な定義というわけではなく、日常的に用いられる用語の意味を明確に解説しようとする意図であると思われる。荀子は、門人に対して議論を行うときに単語の意味を明確にして用いることを求めていたのであろう。ここに収録されたのは、荀子学派が用いた用語辞典の一部なのかもしれない。

治気養心の術は、孟子も「浩然の気」をコントロールして不動心を得る術について論じている(公孫丑章句上、二)。しかし孟子の議論は難解で、いったいどうすれば「浩然の気」をコントロールできると言いたいのかを理解することが難しい。いっぽう荀子の治気養心の術は、その方法がはっきりしている。よき師に従って礼義・音楽をきっちり学び、身体に礼義を完全に備えた君子となる。それに尽きるだろう。

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