王覇篇第十一(4)

By | 2015年8月25日
「百里四方の地からでも天下を取ることができる」という言葉は、うそではない。だが難しいことは、君主が天下を取る方法を知るところにある。天下を取るというのは、人々が土地を背負って自らの下にやって来るという意味ではない。むしろ正道を用いて人々を統一するだけのことなのだ。人々が真に統一されているならば、人々は我が国の地を棄てて他国の地に去ることなど、ありえないだろう。ゆえに百里四方の地であっても、その位階と爵服が天下の賢士を受け入れるためには十分なのであり、その官職と事業が天下の能士を受け入れるためには十分なのであり、その古くから受け継がれた法に従い善人を登用してこれを明らかに用いるならば、利を好む者もまた服従するであろう。賢士を一つにまとめ、能士を官職に就かせ、利を好む者を服従させ、この三者が備われば天下を取るための方法はすべて尽くされるのであって、この他には何もない。ゆえ百里四方の地であっても天下中の勢力をおのが下に収めるには十分なのであり、百里四方の地であっても忠信を極めて仁義を表明すれば天下中の人々をおのが下に収めるには十分なのである。天下中の勢力と人々を合せておのが下に統一すれば、天下を取るだろう。このときこれに服従することに遅れる者は、真っ先に危険に陥ることだろう。『詩経』に、この言葉がある。:

西より、東より、
南より、北より、
慕いきたりて、服せざるはなし
(大雅、文王有聲より)

これは、人々を統一することを言っているのである。

羿(げい)と蠭門(ほうもん)(注1)は、全ての射手をよく屈服させる名手である。王良(おうりょう)と造父(ぞうほ)(注2)は、全ての御者をよく屈服させる名手である。そして聡明な君子は、全ての人々をよく服従させる人材なのである。人々が服従すれば、権勢は後からついて来る。逆に人々が服従しなければ、権勢は自らのもとを去って行く。ゆえに、王者は人々を服従させることが全てなのである。君主が遠くにある小さな的を射抜く射術の名手を求めたいのであれば、これは羿と蠭門を選ぶに尽きる。速い者にも追いつき遠くまで走る御車術の名手を求めたいのであれば、これは王良と造父を用いることに尽きる。そして天下を調和統一して秦・楚の二大国を制圧するべき人材を求めたいのであれば、これは聡明な君子を選ぶに尽きるのである。いざ聡明な君子を用いたならば、君主は自らの知を用いることははなはだ簡略となり、事業をなすには労せずして大きな功績を挙げることができて、よってはなはだ身を処すことが楽になって大いに楽しむことができるようになる。ゆえに、明君は聡明な君主を宝とみなす。しかし愚かな君主は、かえってこれを扱いがたい人間だと厭うのである。

天子となる尊貴を得て、天下を保有する富を得て、聖王の名声を得て、すべての人を手の内に動かし、他の誰にも支配されることがないこと。これはすべての人間の情が同じく欲するところであり、王者はこれら全てを保有する存在である。美色を重ねてこれを着こなし、美味を重ねてこれを食らい、財貨を重ねてこれを保有し、天下を合せてこれの君主となり、飲食は大いに豪華に、音楽は大いに盛大に、展望台を大いに高くしつらえて、狩場を大いに広く保有して、諸侯を家臣として用いて天下を統一すること。これはすべての人間の情が同じく欲するところであり、しかも天子の礼制はこのようなものなのである。礼制はすでに並べられ、政令はすでに行き渡り、それでなおかつ官吏が仕事の要点を失すれば、これを死刑に処する。またそれでなおかつ公侯が礼を失すれば、これを蟄居幽閉に処する。またそれでなおかつ四方の国が奢侈に過ぎる風俗を持つならば、これを討ち滅ぼす。こうして名声は日月のごとく明らかとなり、功績は天地のごとく大きくなり、天下の人々が己に呼応することが形に添う影のごとく、音に沿う響きのごとくとなること。これはすべての人間の情が同じく欲するところであり、王者はこれら全てを保有する存在なのである。人間の情とは口は美味を好むものであって、王者の味わう味と香りは他に比類のない美味なものである。人間の情とは耳は美しい音声を好むものであって、王者の楽しむ音楽は他に比類のない盛大なものである。人間の情とは美しい映像を好むものであって、王者の見る華麗な装飾と婦女たちは他に比類のない多さを誇るものである。人間の情とは身体は安逸を好むものであって、王者の安楽で閑静なことは他に比類のない楽しさを誇るものである。人間の情とは心は利益を好むものであって、王者の得る禄は他に比類のない豊かなものである。このように王者は天下が同じく願うところを合せてこれを保有し、天下をとりまとめてこれを制することは己の子や孫を制するように容易に行うのである。頭のおかしい頑固者でなければ、このような王者の姿が楽しいと考えないものはいないだろう。このようになりたいと願う君主は数多く現れ、君主をこのようにしてみせることができる士は世に絶えないにも関わらず、千年の間に両者がめぐり会うことすらないのは、どうしてであろうか。それは、君主が公心を持たず、家臣が忠節を持たないからである。すなわち君主は賢者を捨て置いて小人をかたよって登用し、家臣は官職を争って求めて賢者に嫉妬するので、両者がめぐり会わないのである。君主はどうして広い心を持って、親しい者と遠い者とに差を付けず、また地位の貴い者と賤しい者とに差を付けず、ただただ誠実で有能な者を求めようとしないのであろうか。もし君主がこのようにすれば、家臣は官職を争うようなことをやめて賢者にこれを譲り、賢者の後に従うようになるだろう。このようになれば、聖王の禹や舜の再来となって、王業が再来することになるではないか。その功業は天下を統一し、その名声は舜・禹に匹敵するであろう。世の楽しみとして、これほどまでに美しいものはありえない。ああ、君主たるものは、これらの言葉をよく考えるべきである。かつて楊朱(ようしゅ)(注3)は、分かれ道に立って泣いて言った、「ここで半歩道を過てば、後で千里も行き先が違ってしまうことに気づくのだ!」と。こう言って、悲しんで泣いたのであった。今私が言った言葉もまた、栄誉と恥辱、安全と危険、存立と滅亡の分かれ道に他ならない。ならばこれを悲しむべきであるのは、実際の分かれ道よりも甚だしい。ああ、悲しいかな、人は千年の時間を経ても、これに気づくことがない。


(注1)羿(げい)も蠭門(ほうもん)も、伝説の弓の名手。
(注2)王良(おうりょう)も造父(ぞうほ)も、御者の名手。なお正論篇では「王梁」として表れる。
(注3)楊朱は、戦国時代の諸子百家の一。他者への善行の意義を否定し、自己の快楽を徹底的に追求する以外に人間の目的はないと考える、利己主義・快楽至上主義を説いたとされる。楊朱は、孟子が墨子と並んで最も批判攻撃する思想家である。自著は伝わっておらず、その思想については孟子の批判する内容と、晋代の『列子』にある楊朱篇から読み取るしかない。楊朱の思想のレビューは、『孟子を読む』サイトのこちらを参照。
《原文・読み下し》
百里の地、以て天下を取る可しとは、是れ虛ならず。其の難き者は人主の之を知るに在るなり。天下を取るとは、其の土地を負いて之に從うの謂に非ざるなり、道以て人を一にするに足るのみ。彼れ其の人苟(まこと)に壹(いつ)なれば、則ち其の土地且(は)た奚(なん)ぞ我を去りて它(た)に適(ゆ)かんや。故に百里の地も、其の等位・爵服は、以て天下の賢士を容るるに足り、其の官職・事業は、以て天下の能士を容るるに足り、其の舊法(きゅうほう)に循(したが)い、其の善者を擇(えら)びて明(あきら)かに之を用うれば、以て好利の人を順服せしむるに足る。賢士一に、能士官し、好利の人服す。三者具(そな)わりて天下盡(つ)き、是より其の外有ること無し。故に百里の地、以て埶(せい)を竭(つ)くすに足り、忠信を致し、仁義を箸(あら)わせば、以て人を竭くすに足る。兩者合して天下取られ、諸侯の後に同する者は先ず危し。詩に曰く、西自(よ)り東自(よ)り、南自(よ)り北自(よ)り、思うて服せざること無し、とは、人を一にするの謂なり。
羿(げい)・蠭門(ほうもん)なる者は、善く射を服する者なり。王良(おうりょう)・造父(ぞうほ)なる者は、善く馭(ぎょ)を服する者なり。聰明君子なる者は、善く人を服する者なり。人服して埶(せい)之に從い、人服せずして埶之を去る、故に王者は人を服して已(や)む。故に人主善射の遠きを射て微に中(あ)つるを得んと欲せば、則ち羿・蠭門に若くは莫く、善馭の速きに及びて遠きを致すを得んと欲せば、則ち王良・造父に若くはく、天下を調一して秦・楚を制するを得んと欲せば、則ち聰明君子に若くは莫し。其の知を用うること甚だ簡に、其の事を爲すこと勞せずして、功名大を致(きわ)め、甚だ處し易くして、綦(きわ)めて樂しむ可きなり。故に明君は以て寶(たから)と爲して、愚者は以て難と爲す。
夫れ貴きこと天子と爲り、富は天下を有し、名は聖王と爲り、人を兼制し、人得て制すること莫きは、是れ人情の同じく欲する所にして、王者は兼ねて是を有する者なり。色を重ねて之を衣(き)、味を重ねて之を食し、財物を重ねて之を制し、天下を合せて之に君となり、飲食甚だ厚く、聲樂(せいがく)甚だ大に、臺謝(たいしゃ)(注4)甚だ高く、園囿(えんゆう)甚だ廣く、諸侯を臣使して天下を一にす、是れ又人情の同じく欲する所にして、天子の禮制是の如き者なり。制度以(すで)に(注5)陳し、政令以(すで)に挾(あまね)く、官人要を失すれば則ち死し、公侯禮を失すれば則ち幽し、四方の國侈離(しり)の德有すれば則ち必ず滅び、名聲日月の若く、功績天地の如く、天下の人之に應ずること景嚮(えいきょう)の如きは、是れ又人情の同じく欲する所にして、王者は兼ねて是を有する者なり。故に人の情は、口は味を好んで臭味焉(これ)より美なるは莫く、耳は聲(せい)を好んで聲樂焉より大なるは莫く、目は色を好んで文章繁を致(きわ)め婦女焉より衆(おお)きは莫く、形體(けいたい)は佚(いつ)を好んで安重・間靜(かんせい)焉より愉なるは莫く、心は利を好んで穀祿(こくろく)焉より厚きは莫く、天下の同じく願う所を合し、兼ねて之を有し、天下を睪牢(こうろう)(注6)して之を制すること、子孫を制するが若し。人苟くも狂惑・戇陋(こうろう)(注7)ならざれば、其れ誰か能く是を睹(み)て樂しまざらんや。是を欲するの主は肩を並べて存し、能く是を建つるの士は世に絕えざるに、千歲にして合わざるは何ぞや。曰く、人主は公ならず、人臣は忠ならざればなり。人主は則ち賢を外にして偏舉(へんきょ)し、人臣は則ち職を爭いて賢を妬む、是れ其の合わざる所以の故(こ)なり。人主胡(なん)ぞ廣焉(こうえん)として親疏を卹(かえり)みること無く、貴賤に偏すること無く、唯(た)だ誠能を之れ求めざる。是の若くなれば、則ち人臣職[業]を輕んじ賢に讓りて(注8)、安(すなわ)ち其の後に隨う。是の如くなれば、則ち舜・禹還(すなわ)ち(注9)至り、王業還ち起る。功天下を一にし、名(な)舜・禹に配し、物(もの)由(な)お樂しむ可きこと、是の如く其れ美なる者有らんや。嗚呼(ああ)、人に君たる者、亦以て若(かくのごと)き言を察す可し。楊朱(ようしゅ)衢涂(くと)に哭(こく)して曰く、此れ夫(か)の舉(きょ)を過つこと蹞步(きほ)にして、跌(たが)うを覺ゆること千里なる者か、と。哀しみて之を哭す。此れ亦榮辱(えいじょく)・安危・存亡の衢(く)のみ、此れ其の哀む可きを爲すこと、衢涂よりも甚だし。嗚呼、哀しいかな、人に君たる者は千歲にして覺(さと)らざるなり。


(注4)楊注は、「謝」は「榭」と同じ、と言う。「臺(台)」は高い台地、「榭」は屋根のある展望台のこと。合せて、高い展望台のこと。
(注5)増注は、こことその下の「以」は「已」と同じという。
(注6)増注、集解の盧文弨ともに、ここの字は「皋(皐)」であるべきで、「皋牢(皐牢)」は牢籠のことと言う。とりまとめること。
(注7)戇陋は、愚かで固陋なこと。儒效篇(3)注10を参照。
(注8)原文「則人臣輕職業讓賢、而安隨其後」。集解の王念孫は、上文の「職を爭いて賢を妬む(原文:爭職妬賢)」と相反しているのであって、ゆえに「業」は衍字である、と言う。しかし新釈は通説と区切りを代えて「則人臣輕職業讓賢而、安隨其後」と読んでなおかつ「而」字と「能」字は古字通用するという于省吾の説を引いて、「則ち人臣職業を輕んじ賢に讓りて、安ち、、」と読んでいる。原文をなるべく省略せずに読もうとする新釈の姿勢は、理解できる。しかしここでは王念孫に従う。
(注9)集解の王念孫は、以下の二つの「還」は「即」であると言う。

荀子は王者が天下で最も富貴であり、最高の快楽を得る存在であることを強調する。能力に応じて身分を等級化して、身分に応じて富貴を差別化して配分する。そのことによって、人間が「性」「情」として持つ無限の欲望を能力に応じて比例配分して、秩序が保たれる。これが荀子の性悪説および社会契約説であって、その論理的帰結として、身分秩序の頂点にある王者は富貴を天下で最も多く与えられずにはいられない。同時にまた、王者は天下で最も能力のある存在が就任するべきである、という結論もまた得られるであろう。論理としてはそうなのであるが、ここでの荀子の王者の快楽への叙述は、朱子学などの後世の儒家たちが愛好するストイシズムから遠く、即物的である。これでは後世の道徳的な読者の心を掴むことはできないだろう。

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