正論篇第十八(7)

By | 2015年5月16日
子宋子(しそうし)(注1)は、「侮られることは、恥辱でない。このことが明らかになれば、人は争わなくなるであろう。人というものは、侮られることを恥辱とみなすから争うのである。だから世の人が侮られることが恥辱でないことを知ったならば、この世から争いはなくなるであろう」と言う。これに対して、「いったいあなたは人が情として侮りを憎まない、と言うのですか?」と問えば、子宋子は、「いや、人は情として侮りを憎む。しかしなおかつそれでも恥辱とはしないのだ」と答えるのだ。

子宋子のこのような説では、世の中から決して争いはなくならないであろう。そもそも人が争うのは、必ず憎しみが原因となっているのであって、恥辱が原因となっているのではない。俳優とか侏儒(しゅじゅ。小人の道化師)とか狎徒(こうと。たいこもち)とかは客に馬鹿にされても争ったりしないが、彼らが子宋子の言うところの「侮られることは、恥辱でない」という原理を知っているのであろうか?そうではないだろう。彼らが争わないのは、馬鹿にされるのが商売なのであるから客に憎しみを抱かないからにすぎない。いま、人が他人の家にくぐり穴から侵入してその家から豚を盗んだならば、家の者は得物を持って盗人を追っかけて、盗人に返り討ちに合って死傷することも厭わないであろう。これは、豚を取られたことが恥辱なのであろうか?そうではないだろう。それでも闘おうとするのは、盗人を憎んだからである。だから、俳優のように侮られるのが恥辱であることを知っていても、憎まなければ争うことはしない。逆に、たとえ侮られることが恥辱でないと知っていたとしても、憎しみがあれば必ず争うのである。つまり、争うか争わないかの分かれ目は、恥辱であるか否かではなくて、相手を憎むか否かにあるのである。子宋子は、侮られることを憎むという人の情を、解消するわけではない。それなのに、人に対して「恥辱だと思うな」と熱心に説いて回るのだ。なんというひどい誤りであろうか。その立派な舌で口が裂けるまでしゃべったとしても、何の益も得られないことであろう。無益であることに気づかないならば、すなわち不知である。無益であることを知っていながら人を欺く弁舌を行うならば、すなわち不仁である。不仁・不知であることは、恥辱の最たるものではないか。子宋子は人に益あることだと思って弁舌しているのであろうが、実際は誰の益にもならず、大恥を得て引っ込むしかないのだ。世の中にはいろいろな説があるが、子宋子の説ほどに悪い説はない。

子宋子は、「侮られても、恥辱としない」と言う。これに答えて言おう。およそ議論というものは、何が正義であるかを厳しく定義して、その後で可能となるのである。正義が定義されていないと、是非の境界が分かれず、弁論も訴訟も裁決することができない。ゆえに私はこう聞いている、「天下最大の正義とは、是非の境界が起こるところであり、身分・職掌・名義・法が起こるところであり、それは王者のなす制度である」と。ゆえに、あらゆる言論・議論・約定・法令は、ことごとく聖王をもって師となすのであり、そして聖王のなす根本区分は、何が栄光であり何が恥辱であるかを区分してこれを国制となすところにある。この栄光と恥辱には、二通りがある。「正義が与える栄光」があり、「勢威が与える栄光」があり。反対に「正義が与える恥辱」があり、「勢威が与える恥辱」がある。意志がよく修まり、徳行が厚く行われ、知慮が明らかであることは、人の内部から出る栄光である。よって、これを「正義が与える栄光」と呼ぶ。爵位の序列が高位であり、禄高が大きく、権勢が高く、高くは天子・諸侯に上り、低くは卿・士大夫に上ること、これらは人が外部から得る栄光である。よって、これを「勢威が与える栄光」と呼ぶ。行いは放埓で心は穢れ、分際を犯して道理を乱し、傲慢で暴力的で利を貪ること、これらは人の内部から出る恥辱である。よって、これを「正義が与える恥辱」と呼ぶ。罵られ侮られること、髪を掴まれてねじ伏せられること、笞(むち)(注2)で打たれること、足切りの刑を食らうこと、斬首・手足切断の刑を食らうこと、はりつけの刑を食らうこと、罪人として鉄鎖でつながれること、猿轡(さるぐつわ)を付けられて拘束されること、これらは人が外部から得る恥辱である。よって、これを「勢威が与える恥辱」と呼ぶ。これが、栄光と恥辱の両端である。ゆえに君子は「勢威が与える恥辱」を受けることはあるが、「正義が与える恥辱」を受けることはありえない。いっぽう小人は「勢威が与える栄光」を受けることはあるが、「正義が与える栄光」を受けることはありえない。この「勢威が与える恥辱」をたとえ受けたとしても、聖王の堯となることに差し障りがあろうはずがない。またこの「勢威が与える栄光」をたとえ受けたとしても、悪王の桀となることを押しとどめるべくもない。「正義が与える栄光」と「勢威が与える栄光」は、君子であってしかる後にこの両者を併せ持つことができる。「正義が与える恥辱」と「勢威が与える恥辱」は、小人であってしかる後にこの両者を併せ食らうのである。これが、栄光と恥辱の区分なのである。聖王はこの区分を法として天下に発布し、士大夫はこの区分を正道として政治を行い、官人はこの区分を守って己を律し、庶民はこの区分を習俗として自然に身に付け、この区分は万世において変えることができない不磨の法なのである。それなのに、子宋子はこの区分に逆らい、ただ一人だけ身を屈して侮りを受けながらも恥辱がないなどとうそぶき、我流の主張を説いて回るのである。そうして、一朝一夕で世の中を一変させようと夢想する。そんな主張は、絶対に行われない。これをたとえるならば、手で丸めた泥で長江と大海を塞き止めようとするようなものであり、焦僥(しょうぎょう)(注3)の頭に泰山を載せようとするようなものである。あっという間にひっくり返って、体が砕け散ることは必定である。弟子諸君(注4)の中には、子宋子の主張を善とする者がいるようだが、早急にこれから離れたほうがよい。あのような説を信じていたら、恐らく世間からひどい目にあって、自分の体を損なう結末となるであろうよ。


(注1)宋鈃(そうけい)のこと。『孟子』では宋牼、『韓非子』では宋栄子(そうえいし)と記録される。
(注2)「笞」は「むち」と訓じられるが、古代の刑罰で用いられる笞(むち)は現代にイメージされる鞭(むち)とは違って、竹の棒で殴りつけることである。竹刀で体を殴るようなもので恐ろしく痛いが、それでも笞刑(ちけい)は五刑のように体の一部を欠損させる刑よりは軽い刑罰であった。
(注3)楊注によると、焦僥は小人(こびと)。富国篇(6)注5参照。
(注4)原文「二三子」。弟子たちへの呼びかけの語として、『論語』にも見える。このテキストは、荀子の弟子たちへの講義の記録であると思われる。
《原文・読み下し》
子宋子曰く、侮ら見(る)るの辱たらざるを明らかにすれば、人をして鬭(たたか)わざらしむと。人皆侮ら見るを以て辱と爲す、故に鬭うなり。侮ら見るの不辱たるを知れば、則ち鬭わずと。之に應じて曰く、然れば則ち亦人の情を以て侮(あなどり)を惡(にく)まずと爲すかと。曰く、惡んで辱とせざるなり。曰く、是(かく)の若くならば、則ち必ず求むる所を得ず。凡そ人の鬭うや、必ず其の之を惡むを以て說と爲す、其の之を辱とするを以て故(こ)と爲すに非ざるなり。今俳優・侏儒(しゅじゅ)・狎徒(こうと)、詈侮(りぶ)せられて鬭わざる者は、是れ豈鉅(あに)侮ら見るの不辱爲(た)るを知らんや。然り而(しこう)して鬭わざる者は、惡まざるが故なり。今人或は其の央瀆(けつとう)(注5)に入りて、其の豬彘(ちょてい)を竊(ぬす)めば、則ち劍戟(けんげき)を援(と)って之を逐い、死傷を避けず。是れ豈に豬を喪(うしな)うを以て辱と爲さんや。然り而して鬭うことを憚らざる者は、之を惡むが故なり。侮ら見るを以て辱と爲すと雖も、惡まざれば則ち鬭わず。侮ら見るの不辱爲るを知ると雖も、之を惡めば則ち必ず鬭う。然れば則ち鬭と不鬭とは、辱と不辱とに亡きなり、乃ち惡(お)と不惡とに在るなり。夫れ今子宋子は人の侮を惡むを解くこと能わず、務めて人に說くに辱とすること勿からんを以てす。豈に過つこと甚しからずや。金舌にして弊口(へいこう)(注6)するも、猶お將(は)た益無きなり。其の益無きを知らざるは、則ち不知なり。其の益無きを知って直(ただ)に以て人を欺くは、則ち不仁なり。不仁・不知は、辱焉(これ)より大なるは莫し。將た以て人に益有りと爲すか、則ち與(みな)人に益無きなり。則ち大辱を得て退かんのみ、說是より病(へい)なるは莫し。子宋子曰く、侮ら見(れ)て辱とせずと。之に應じて曰く、凡そ議は必ず將た隆正を立てて、然る後可なり。隆正無ければ則ち是非分たず、辨訟(べんしょう)決せず。故に聞く所に曰く、天下の大隆、是非の封界、分職・名象の起る所は、王制是なり。故に凡そ言議・期命は、聖王を以て師と爲すに非ざるは是(な)く(注7)、聖王の分は、榮辱是なり。是れ兩端有り、義榮なる者有り、埶榮(せいえい)なる者有り、義辱なる者有り、埶辱(せいじょく)なる者有り。志意脩まり、德行厚く、知慮明(あきら)かなるは、是れ榮の中由(よ)り出ずる者なり、夫れ是を之れ義榮と謂う。爵列尊く、貢祿厚く、形埶勝り、上は天子・諸侯と爲り、下は卿・相・士大夫と爲る、是れ榮の外從(よ)り至る者なり、夫れ是を之れ埶榮と謂う。流淫・汙僈(おまん)にして、分を犯し理を亂り、驕暴(きょうぼう)・貪利(たんり)なるは、是れ辱の中由り出ずる者なり、夫れ是を之れ義辱と謂う。詈侮・捽搏(そつはく)、捶笞(すいち)・臏腳(ひんきゃく)、斬斷(ざんだん)・枯磔(こたく)(注8)、藉靡(しゃび)(注9)・舌擧(*)(ぜっきょ)(注9)なるは、是れ辱の外由り至る者なり、夫れ是を之れ埶辱と謂う。是れ榮辱の兩端なり。故に君子は以て埶辱有る可くして、以て義辱有る可からず。小人は以て埶榮有る可くして、以て義榮有る可からず。埶辱有るも堯爲(た)るに害無く、埶榮有るも桀(けつ)爲るに害無し。義榮・埶榮は、唯(ただ)君子にして而(しこう)して後に之を兼有し、義辱・埶辱は、唯小人にして然る後に之を兼有す。是れ榮辱の分なり。聖王は以て法と爲し、士大夫は以て道と爲し、官人は以て守と爲し、百姓は以て俗と成し、萬世易(か)うること能わざるなり。今子宋子は案(すなわ)ち然らず、獨り容を詘(くつ)して己が為にし(注10)、一朝にして之を改めんことを慮(おもんぱか)る。說必ず行われず。之を譬うるに、是れ猶お塼塗(たんと)を以て江海を塞(ふさ)ぎ、焦僥(しょうぎょう)を以て太山を戴(いだ)くがごときなり。蹎跌(てんてつ)碎折(さいせつ)せんこと、頃(しばらく)を待たず。二三子の子宋子を善とする者は、殆(ほと)んど之を止むるに若(し)かず、將た恐らくは得(また)其の體を傷つけんなり。(注11)

(*)原文は「糸へん+擧」。CJK統合漢字および同拡張Aにないので、やむなく代用する。

(注5)楊注は「央瀆」を中瀆のことで、人家の水を出す溝、と言う。増注は「央」は「缺」たるべく、「瀆」は「竇」と古字通じ、「缺竇」で潜踰するべきの穴、つまり人が侵入できる小さな穴のこと、と言う。増注に従う。
(注6)猪飼補注は「弊」は「敞」に作るべし、と言う。「金舌敞口」は、黄金の舌で口が裂けるまでしゃべるということ。
(注7)原文「言議期命是非以聖王爲師」。集解の王引之は、「是非」は「莫非」たるべし、と言う。これに従う。
(注8)増注は、「枯」は読んで「辜」となす、と言う。「辜磔」は、はりつけの刑。
(注9)「藉靡舌擧」を増注は未詳にして強いて説くべからず、と言う。楊注は「藉靡」を刑徒の人が鉄鎖(てっさ)以て相連繋するを謂う、と言い、「舌擧」はやはり未詳と言う。「藉靡」は楊注に従って鉄鎖で繋ぐことと解釈し、「舌擧」は漢文大系と新釈に従って猿轡(さるぐつわ)を付けられること、と一応解釈しておく。
(注10)楊注は、「独り容を屈して辱を受け、己の道を為さんと欲す」と言う。いちおうこれに従う。
(注11)猪飼補注は、ここに正論篇(6)で錯簡と思われる部分を挿入するべきと考えておられるようである。しかしながら、私は子宋子への全体への締めとして、次の正論篇(8)の末尾にあえて挿入したい。

子宋子すなわち宋鈃(そうけい)は、相当に影響力のあった思想家のようである。同時代人の孟子も言及しているし、韓非子の中にも言及がある。中でも『荀子』の中での批判が、最も組織的である。今は読み飛ばしている非十二子篇においても、荀子の前の時代に影響力のあった邪説の一として取り上げられているし、この正論篇の末尾では長大な批判文が収録されている。諸子百家の中では、墨家に分類されている。孟子の時代の墨家集団の鉅子(きょし)、つまりリーダーの一人であった可能性がある。

宋鈃の思想は、徹底的な平和主義である。しかも、物理的な抑止力による平和や会議による話し合いによる解決を目指す平和ではなく、人間の心の持ちようで平和は訪れるのだ、というものである。このような思想は歴史上繰り返し現れて、二十世紀の平和主義者や若者文化において全盛を向かえ、二十一世紀の現在でも形を変えて活動中である。だから、現代人にとって最もわかりやすい思想であろう。しかし荀子は、これを一刀両断する。ここでは宋鈃の「侮られて恥辱と思うからいけない。侮られても恥辱と思わなければ怒りも出ないのだから、争うこともなくなるよね?」と言う議論を叩きのめし、ここから後に続くところでは「人というものは、ほんとうは欲が少なくても生きていけるんだ。無理して欲を追い求めることなく、みんなが人間本来のそこそこの欲で留まっていれば、争わずに済んで平和に生きていけるんだ」というたぐいの平和論を却下するのである。現代の私から見ても、確かに宋鈃の議論はナイーブに過ぎる。人間の欲望を本気で抑えようとすれば、これは宗教に頼るしかないであろう。宋鈃が墨家であるとすると、墨家は諸子百家の中でも濃く宗教性を帯びた集団であったので、信徒の内ではこのような論はすんなり受け入れられたであろう。しかし荀子の儒家のような外部の者から見れば、その議論はナイーブすぎて話にならない、と考えられたのはこれまた当然のことであっただろう。

宗教による内面のコントロールを前提としないのであれば、荀子の説くように人間には憎悪がつきものであり、これをなくすことを考えるよりもこれを制御することを考えるのが正義である、という議論のほうがより妥当性を持つであろう。荀子にとって人間の憎悪を制御する方法とは、統一国家を作って天下全てに公正な褒賞と刑罰の法を公布し、善には比例的に栄光を与えて悪には比例的に恥辱を与えることによって行われるであろう。いわば、社会の憎悪を私的な復讐によってではなくて国家の法が代わって執行することによって回収する道といえるであろう。

後半で、是非の境界は王者のなす制度が定める、と言われる。これは、人間の正義は国家が制定した人定法によって定められなければならない、と言っているのである。荀子と同じ社会契約説に立つホッブスは、「結ばれた契約は履行すべし」という自然法を守るところに「正義」の源泉があるのだが、コモンウェルス(国家)が成立して、各人に対して契約に対する強制力を与えない限り、契約そのものが成立しないと言う。なぜならば国家がない自然状態においては、万人が万人に対する戦争状態であって、全ての人は世の中にある全てのものを力ずくで得る権利を持っているからである。

相互信頼による契約は、いずれかの側に不履行のおそれがあるところでは、、、無効であり、したがって正義の源泉が契約にあるとはいえ、そうした恐れの原因が除去されるまで、実際上不正はありえない。そうした恐怖の原因は人々が戦争という自然状態にあるかぎり除去されえない。したがって正、不正の名が存在しうるためには、そのまえになんらかの強制力が存在して、人々が契約の破棄から期待する利益よりもより大きな処罰の恐怖によって、彼らに等しく契約を履行させるものでなければならない。そして彼らが放棄する普遍的権利の代償として、相互契約(コントラクト)によって獲得する管理権を彼らに確保させなければならない。これを可能にする強制力は、コモンウェルスの設立までは存在しない。(ホッブス『リヴァイアサン』第十五章より。永井道雄訳、中央公論社)


荀子もまた、正義や栄光、恥辱の概念は、国家が制定してはじめて機能する、と言うのである。このことは、後の正名篇で徹底的に強調される。荀子にとっては、人間に正義をもたらすのも国家、公正をもたらすのも国家、なのである。それは荀子の生きた戦争と混乱の時代においては痛切な要求であったことは確かであろうが、現代に生きる私たちもまた国家に全ての正義と公正を任せてよいものであろうか、ということは再考しなければならない。人間には国家を通じない水平的な交換様式である互酬(reciprocity)の交換様式があることを、看過するべきではない。まず互酬の交換様式が豊かにある社会が先で、これを法によって国家が補強することが、最も健全な国家と社会の関係のはずだからである。

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