正名篇第二十二(1)

By | 2015年5月24日
現代の君主(注1)が定めるべき、諸物の名称について述べる。まず、国家の刑法は殷王朝の法を採用すべし。次に官爵の体系は、周王朝の規定を採用すべし。国家の礼義文飾については、周王朝の礼制を採用すべし。その他の万物に付けられる名称は、中華世界ですでに慣習的に用いられている名称を標準として、さらに遠方の風俗を異にする地方由来の文物の名称についてはこれを中華世界のものとよく照らし合わせて、適切な中華の言語に翻訳して通用させよ。

つづいて、人間の属性に関する名称について述べる。人間が生得的に持っているものは、これを「性」と名付けよ。その人間が生得的に持っているものから何らの人為も加えずに自然発生する、陰陽の調和による身体の形成(注2)・外物と絶妙に対応する五官の形成(注2)・身体が外物の刺激に反応する感覚の形成(注2)、これらもまた「性」と名付けよ。

この人間の「性」から好き・嫌い・うれしい・腹が立つ・哀しい・楽しいといった衝動が沸き起こる。これを、「情」と名付けよ。この「情」が沸き起こった後で、心がこれを取捨選択する。この理性の作用を、「慮」と名付けよ。心が「慮」して、その結果人間の能力が発動して何ごとかを行う。これを、「偽(い)」(注3)と名付けよ。「慮」を積み重ね、人間の能力を用いて習得を行い、その結果成し遂げるもの。これもまた、「偽」と名付けよ(注4)

利を期待して行うこと、これを「事」と名付けよ。義を期待して行うこと、これを「行」と名付けよ。人間が生得している認知能力、これを「知」と名付けよ。その「知」が外物と一致して知識となること、これを「智」と名付けよ。人間が生得している行為能力、これを「能」と名付けよ。その「能」が外物と一致して有用な作用を行うこと、これも「能」と名付けよ。「性」が傷ついて損なわれた状態、これを「病」と名付けよ。人間の行為の必然的結果ではなくて、その人にたまたま起こったことは天命と言える。よってこれを「命」と名付けよ。以上が、人間の属性に関する名称である。

これらが、現代の君主が定めるべき、諸物の名称である。


(注1)原文「後王」。王制篇(4)注3およびコメント参照。
(注2)それぞれ原文読み下し「和生ずる所にして」「精合(がっ)し」「感應(おう)じ」。ここは前の「性」と名付けられたものが生命そのものを表しているのに対し、生命が作動してなす身体と感覚の形成を表している。これらもまた人間が理性を用いることなく自然に形成されるものであるから、「性」なのである。よって、荀子は「性」という語を人間の動物レベルの活動とみなしていることが分かる。いっぽう孟子は、「性」という語を人間の生得的倫理感覚を指す語として用いている。両者の「性」の解釈がかみ合わないのは、単なる語の定義の違いにすぎないことになる。
(注3)偽(にせもの)ではなくて、人為のこと。「偽」の概念は、性悪篇で展開される。
(注4)前の「偽」は人間の人為的活動そのもの、後の「偽」はそれが成し遂げた成果である。
《原文・読み下し》
後王の成名は、刑名は商(注5)に從い、爵名は周に從い、文名は禮(注6)に從う。散名の萬物に加わる者は、則ち諸夏の成俗に從い、遠方・異俗の鄉に曲期すれば、則ち之に因りて通を爲す。散名の人に在る者は、生の然る所以の者は之を性と謂い、性(せい)(注7)の和生ずる所にして、精合(がっ)し感應(おう)じ、事せずして自然なる、之を性と謂う。性の好惡(こうお)・喜怒・哀樂、之を情と謂う。情然(しか)しくして而(しか)も心之が擇を爲す、之を慮と謂う。心慮(おもんぱか)りて而も能之が動を爲す、之を僞(い)と謂う。慮積み、能習いて、而る後に成る、之を僞と謂う。利を正(あて)にして(注8)爲す、之を事と謂う。義を正(あて)にして(注8)爲す、之を行と謂う。知る所以の人に在る者、之を知と謂う。知りて合する所有る、之を智と謂う。[智](注9)能くする所以の人に在る者、之を能と謂う。能くして合する所有る、之を能と謂う。性傷(そこな)う、之を病(へい)と謂う。節(たまたま)(注10)遇(あ)う、之を命と謂う。是れ散名の人に在る者なり。是れ後王の成名なり。


(注5)「商」は殷王朝のこと。
(注6)楊注は、文は節文威儀を謂い、禮はすなわち周の儀礼なりと言う。
(注7)集解の王先謙は、この「性」は「生」に作るべし、と言う。
(注8)猪飼補注は荻生徂徠を引いて、「正」は期待の意、と言う。
(注9)集解の盧文弨は、「智」字は衍と言う。
(注10)楊注は、「節」は時なりと言う。集解の王先謙は、「節」はなお「適」のごとし、と言う。王先謙に従い、読みがなは金谷治氏に従う。

【この篇は、「解蔽篇第二十一」の後に読んでいます。】

正名篇は、まず単語の定義から始まる。まず儒家の主張する「正しい」単語の定義を出して、ここから外れた邪説を攻撃するための下準備である。荀子の「正しい」単語の定義は、(1)国家の制度については歴史的な用法を継承し、(2)諸物の名称は中華世界で慣習的に通用するものを採用し、(3)抽象的概念は後王すなわち現在の為政者が定義するべし、というものである。この篇が「正名篇」と名付けられているのは、漢文大系も指摘するとおり、孔子の「名を正す」という言葉にならったものである。

「名を正す」とは、論語子路篇の以下の問答について言う。

子路曰く、衛の君、子を待ちて政を爲さば、子將(まさ)に奚(いずれ)をか先にせん。子の曰(のたまわ)く、必ずや名を正さんか。子路曰く、是れ有る哉(かな)、子の迂なるや。奚(なん)ぞ其れ正しくせん。子の曰く、野なる哉、由や。君子は其の知らざる所に於て、蓋(けだ)し闕如(けつじょ)す。名正しからざれば、則ち言(こと)順(したが)わず。言順わざれば、則ち事(わざ)成らず。事成らざれば、則ち禮樂(れいがく)興らず。禮樂興らざれば、則ち刑罰中(あた)らず。刑罰中らざれば、則ち民手足を措(お)く所無し。故に君子は之に名づくること必ず言う可し、之を言うこと、必ず行う可し。君子其の言に於て、苟(いやしく)もする所無きのみ。

《現代語訳》
孔子の弟子の子路(しろ)が言った、「衛国の君主が先生をお引止めして政治を任せようとしたら、先生はまず何から着手なさいますか?」と。それに対して孔子が言われた、「必ず『名を正す』ところから始めよう」と。子路が言った、「これだから困りますよ、先生はなんとも迂遠だ!いったい、何を正しくすると言われるか?」と。孔子が言われた、「由(ゆう)(*)、お主は野卑であるのう。君子は自分が知らないことについては、沈黙するものであるぞ。名が正しくなければ、言語が不明瞭となる。言語が不明瞭となれば、政治は成功しない。政治が成功しなければ、礼楽が盛んとならない。礼楽が盛んとならなければ、刑罰の公正さが破れる。刑罰の公正さが破れたならば、人民は手足の置き所もなくなるであろう。ゆえに、君子とは事物に名を付けるときには必ず言葉で明確に示し、示された言葉は、必ず実行しなければならない。君子は、言葉を用いるときには、これをゆめゆめ軽率にしないものなのだ」と。

(*)由(ゆう)は、子路の名。姓は仲(ちゅう)、名は由、字(あざな)は子路。『論語』においては地の文では「子路」と呼ばれ、孔子が話しかけるときには「由」と呼ばれる。


これに対する、貝塚茂樹氏の注釈は以下のとおりである。

子路と孔子とのこの会話は、いつ行われたか。ここに出てくる衛君がだれをさしているか問題である。前四九七年、孔子は魯国を逃げて衛国に亡命した。前四九三年に衛の霊公が死ぬと、夫人南子(なんし)が公の遺命によるとして、公子郢(こうしえい)を立てようとしたが承諾しない。ついに南子に反対して亡命していた後の荘公蒯聵(そうこうかいかい)の子で、霊公の孫にあたる出公輒(しゅっこうちょう)を即位させた。蒯聵は大国の晋の後援を得て衛の要地の戚(せき)の城に潜入し、ここを根拠地として内乱を起こした。(中略)この衛の君は衛の出公をさしている。これに対して孔子の立場は、荘公蒯聵は亡父霊公から追放されているが、父子の縁は切れていないし、また太子の地位は失っていないから、出公は父である蒯聵に位を譲らねばならないと考えた。「名を正さん」とはこのことをさしている。子路はそんなことを出公が承知するはずはないかから、孔子の言は理論としては正しいが、現実的でないとして非難したのである。孔子はしかし、自己の「名を正す」という立場が絶対に正しいことを確信して、子路を説得しようとした。「名」つまりことばと、「実」つまり実在とが一致せねばならないという「名実論」は、これ以降中国の知識論の基本となってる。(中略)しかし、孔子が「名実論」をはっきり意識していたかどうかについては若干の疑いがある。孔子のもとの発言が、弟子たちにより、「名実論」「大義名分論」の立場で解釈され、発展させられてこの形となったのであろう。
(貝塚茂樹訳注『論語』中公文庫より)


オーソドックスな解釈は、君主という「名」と君主にふさわしい人間という「実」は一致させなければならない、というものである(朱熹『論語集注』「程子曰く、名実相須(ま)つ。一事を苟(いやしく)もすれば、則ち其の余は皆苟もす」)。孔子は上の問答で、「名を正す」ということが礼楽を支え、法律を支える基盤となるという。すなわち「名を正す」ことは国家の行政が実効力を持つために絶対必要である、と孔子は考えていたことに他ならない。いったい孔子は、「名を正す」ことの政治的意義をどのように考えていたのであろうか?

この正名篇は、孔子の末流にあった儒家である荀子が、孔子の「名を正す」ということの解釈を開陳したものである。それは、国家が言語を定義して、正統のイデオロギーを定義して、それ以外の言語と思想を排斥するべし、といった政策主張であった。儒家が理想とする「正しい言語」「正しい名義」が国家において唯一許されることによって、政策者が発する法令はあいまいな解釈が排斥され、ただ一つの意味として受け止められる。こうして政策者の法令が効果的・効率的に施行されることによって、国家が人民を感覚によって操作する政策である礼楽は盛んとなり、国家が人民を暴力によって操作する政策である法律は公正さを得ることになる。荀子は、「名を正す」ことの政策的効果を、このように考えていたと私は考えたい。当然ながら荀子は、世界に唯一の正しい意味が実在し、理想的な言語を用いるならば世界の意味を言語で完全に表現することができる、というプラトニズムに立つ。荀子のプラトニズムは、前の解蔽篇で十分に展開されたところである。

これをもう少し現代思想的に言い換えることをあえて試みるならば、「名を正す」とは人間同士のコミュニケーションにおいて一切のあいまいさを排除して、心中のロゴス(Logos)が過不足なく言語として表明されるロゴス―言語の理想的対応関係を作ることを目指す、ということになるだろうか。すなわちジャック・デリダが言うロゴス中心主義(Logocentrism)、音声中心主義(Phonocentrism)の思想である。

Derrida believed that the fields of philosophy, literature, anthropology, and linguistics had become highly phonocentric. He argued that phonocentrism was an important example of what he saw as Western philosophy’s logocentrism. He maintained that phonocentrism developed due to the human desire to determine a central means of authentic self-expression. He argued that speech is no better than writing, but is assigned that role by societies that seek to find a transcendental form of expression. This form of expression is said to allow one to better express transcendental truths and to allow one to understand key metaphysical ideas. Derrida believed that phonocentric cultures associate speech with a time before meaning was corrupted by writing. He saw phonocentrism as part of the influence of Romanticism, specifically its belief in a time in which people lived in harmony and unity with nature. Derrida did not believe that there was any ideal state of unity with nature. He also argued that speech suffers from many of the same inherent flaws as writing.
(英語版Wikipedia “Phonocentrism”, 2015/5/24現在の表記より。)

《日本語訳》
デリダは、哲学・文学・人類学・言語学の諸分野はきわめて音声中心主義的(phonocentric)であると確信していた。彼は、音声中心主義は彼がみなす西洋思想のロゴス中心主義(logocentrism)の重要な一典型であると論じた。彼は、音声中心主義は人間が「自己のほんとうのことを表現したい」という欲望から発展したものである、と主張した。彼は、スピーチは文書よりも優れているというわけではなく、そうではなくてスピーチは単に超越的な表現形式としての役割を社会によって割り振られているにすぎない、と論じた。一般には、スピーチという表現形式は、人間が超越的な真理を表現するためにより適しており、人間が核心的な形而上学的概念を理解することへと導く、と捉えられている。デリダは、音声中心主義的な文化はスピーチのことを、文書に記録されることによって「ほんとうの意味」が堕落してしまう前の段階にあって、より「ほんとうの意味」を保持しているものだ、とみなすと論じた。彼は、音声中心主義はロマン主義の影響の一部であるとみなし、とりわけロマン主義の「人類はかつて自然との調和と統一の中に生きていた時代があった」という信仰の影響の一部であるとみなした。デリダは、人間と自然とが統一された理想的状態などは存在しないと考えた。彼は同じく、スピーチは文書と全く同質に、多くの錯誤を内在的に含んでいる、と論じた。
(直訳ではなく、意味が通りやすいように語を追加して訳した。)

難解なデリダの思想を私なりに解釈するならば、ロゴス中心主義者・音声中心主義者は、世界には唯一「ほんとう」の姿があり、人間には唯一「ほんとう」の自分がある、と信じる。そしてそれらを言語で完全に表現することができる、ということを信じる。よって、人間が口で語るスピーチがその「ほんとう」を表現するために最も近いのであり、取捨選択されて書かれる文書は「ほんとう」から遠い、と信じる。プラトニストがロゴス中心主義・音声中心主義に陥るのは、明確なことである。彼らは「ほんとう」の自然と人間を表現できる「ほんとう」の言語がある、と信じるからである。だがそれはロマン主義的な錯覚であり、スピーチであろうが文書であろうが、「ほんとう」を表現することなど決してできないし、そもそも「ほんとう」などは存在せず、「差延」(différance)があるだけなのだ、とデリダは指摘するのである。

荀子の主張は、デリダの用語を用いるならばロゴス中心主義者・音声中心主義者が、その理想的状態を担保するために国家権力を介入させることを露骨に示唆する。それによって、「正しい言語」「正しい名義」と国家権力が不可分に結びついていることを戯画的なまでに明確に示す。荀子の思想は、言語と国家権力の関係を明示する点で古代思想において、よくも悪くも重要である。以下、読んでいきたい。

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