楽論篇第二十(3)

By | 2015年11月11日
音楽の、象徴的意味について述べる。鼓(こ。たいこ)は、その大きな音でリズムを刻み、合奏の各パートをリードする役割を持つ。鐘(しょう。かね)は、その太く響く音で合奏の開始を告げて、音楽全体を支える役割を持つ。磬(けい。大小の石板を並べて音階をつけた打楽器)は、そのはっきりとした音を鳴らして合奏を断ち切る役割を持つ。竽(う。おおきなしょうのふえ)と笙(しょう。ちいさなしょうのふえ)は、その静かな音を粛然と唱和させるものである。筦籥(かんやく。竹製の縦笛)は、たけだけしい大音を発するものである。塤(けん。オカリナ型の土笛)と篪(ち。竹製の横笛)は、広々としてゆったりと深い音を出すものである。瑟(しつ。おおごと)は、温和な音を奏でるものである。琴(きん。こと)は、たおやかな音を奏でるものである。歌声は、清らかさを尽くすものである。舞の動作の意味は、天道の姿と一体となることである。さて、鼓とは音楽の君主というべきであろうか。ゆえに、鼓は天に似ている。鐘は、地に似ている。磬は、水に似ている。竽・笙と筦籥とは、星と太陽と月に似ている。鞉鼓(とうこ。柄が付いた鼓で、振ると脇に着けた玉が鼓面に当たって音を出す「ふりつづみ」。でんでん太鼓のような打楽器)・拊鞷(ふかく。なめし皮の中に糠を入れた単純な打楽器)・椌(こう。「柷」と同じで、下の注8参照)に楬(かつ。虎の形に作った木製の楽器で、背中に付けた刻みを木でこすってギロのように音を出す)は、万物に似ている。では舞の動作の意味が天道の姿と一体となることは、どうやって知ることができるだろうか?目でその形が見えるわけはないし、耳でその音が聞こえるわけでもない。だが体を伏せたり起こしたり、縮こまらせたり伸ばしたり、進んだり退いたり、ゆっくり動かしたり早く動かしたり、これらの舞の動作を音楽の決まりにことごとくきちんと合わせて、筋骨の力を尽くして鐘と鼓の鳴らすリズムに綺麗に合わせて、誰も調子を外すことをしない。舞の意味はこうして積み上げた鍛錬の中に表れてくるのであり、繰り返して教えて習得すればこそ天道と一体化した意味が示されるのである。
《原文・読み下し》
聲樂(せいがく)の象。鼓(こ)は大麗(たいれい)(注1)、鐘(しょう)は統實(とうじつ)(注2)、磬(けい)は廉制(注3)、竽笙(うしょう)は簫和(しゅくわ)(注4)、筦籥(かんやく)は發猛、塤篪(けんち)は翁博(おうはく)(注5)、瑟(しつ)は易良(いりょう)、琴(きん)は婦好(ふこう)、歌は清盡(せいじん)、舞の意は天道を兼ぬ。鼓は其れ樂の君なるか。故に鼓は天に似、鐘は地に似、磬は水に似、竽笙・[簫](注6)筦籥は星辰・日月に似、鞉柷(とうこ)(注7)・拊鞷(ふかく)(注8)・椌楬(こうかつ)は萬物に似たり。曷(なに)を以て舞の意を知るや。曰く、目は自ら見ず、耳は自ら聞かざるなり、然り而(しこう)して俯仰(ふぎょう)・詘信(くつしん)・進退・遲速(ちそく)を治むる、廉制せざること莫く、筋骨の力を盡(つ)くして、以て鐘鼓俯會(ふかい)(注9)の節を要して、悖逆(はいぎゃく)する者有ること靡(な)し。衆積の意にして謘謘乎(ちちこ)たればなり(注10)


(注1)宋本は「天麗」に作る。集解の王先謙は「大」に作る版本を是とする。これに従う。増注は荻生徂徠を引いて、「鼓は群音の附麗する所にして、万象の天に麗(つ)くがごとし」と言う。すなわち、太鼓の音は合奏が付き従う音であって万物をまとめてつなぐ天の力に似ている、という意味であろう。要は、太鼓の拍子に合わせて演奏が行われる様子を言っていると思われる。
(注2)集解の王先謙は、「鐘は楽の統象にして君となす」「実は成実なり」と言う。鐘はその厚く太い音で音楽を君主のように統べる、ということ。孟子萬章章句下、一には「金声なる者は条理を始むるなり」の語があって、金声すなわち鐘は当時の音楽において合奏を開始させる役割を持っていたようである。
(注3)集解の王先謙は、「制は裁断なり」と言う。廉制は、はっきりした音で音楽を断ち切る様子を言う。孟子萬章章句下、一には「これを石振するは条理を終うるなり」の語がある。
(注4)増注および集解の王引之は、「簫」はまさに「粛」に作るべしと言う。これに従う。ただし「簫(しょう)」も楽器を示す字であり、竹製の縦笛の一種を指す。楽器を列挙する前後の文に釣られて「簫」字に誤写してしまった、というのが通説の解釈である。
(注5)「翁」について増注は未詳と言い、集解の兪樾は、「滃(おう。雲や霧がわきおこる様子)」に作るべし、と言い、新釈は劉師培を引いて「泱」に通じて舒緩深遠の意、と言う。新釈を取る。
(注6)テキストによって字の異同がある。底本としている漢文大系は「竽笙簫(和)筦籥」に作る。「和」字は集解本にあって増注本にない。集解の王先謙は簫和は衍、増注は簫は衍、と言う。これらに従い削る。
(注7)集解の郝懿行は、「拊鞷」は礼論篇の「拊膈」と同じと言う。増注の久保愛は「鞷」は誤りでまさに「革」に作るべし、と言う。
(注8)「柷」は、上蓋のない木箱状の楽器を指す。槌で中を叩いて、雅楽の開始を告げるという。「鞉」は、柄の付いた「ふりつづみ」を指す。増注は、後に出てくる「椌」が「柷」を指しているので、ここの「鞉柷」はまさに「鞉鼓」に作るべし、と言う。これに従う。
(注9)増注は、「俯」は「附」なりと言う。
(注10)原文「衆積意謘謘乎」。「謘謘」を増注は諄諄(じゅんじゅん)なり、と注する。じっくりと説き伏せる様子。集解の郝懿行は、「此れ舞の意、衆音と繁く会して節に応じ、人の語を告ぐるの熟、謘謘然たるがごときを論ず」と注する。金谷治氏は「積み上げられた舞の精神が、よくねんごろに行き届いているからのことである。[ここに舞の精神が自然な天道に合致していることが分かるのである。]」と訳している。藤井専英氏は「これは聚積の意であって、よくねんごろに教え込まれたものであるから、大自然に則ることができるのである」と訳している。舞が音楽のリズムによく応じるまで鍛錬されて、舞者に人の教えがじっくりと説き伏せられた果てに、おのずから舞者の肉体が天道と一体化した舞の意味を表現する、というぐらいの意味であろうか。増注は「衆積意謘謘乎」について誤りがあると言い、解釈を留保している。

古楽に用いられた楽器の解説が置かれている。古代中国には管・弦・打の各楽器があり、歌舞があった。ヴァイオリンなどの弓で弾く擦弦楽器とオルガンなどの鍵盤楽器は西洋由来であり、古代中国ではまだ知られていなかった。ゆえに二胡や胡弓のような東アジアの擦弦楽器は、後世に西方から伝わった楽器の種類である。

ビデオは、伝説の聖王である帝堯の作と伝えられる曲である。

《神人暢》伝・帝堯作

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