性悪篇第二十三(5)

By | 2015年6月5日
「礼義とか、積偽(せきい。努力を積み重ねること)とかは、人間の『性』ではないか。だから聖人は己の『性』に従ってこれらを成し遂げることができるのではないのか?」と質問する者がいるならば、「そうではない」と答えよう。そもそも陶器職人は、陶土を成型して瓦を作る。ならば、陶土を瓦に作るのは、陶器職人の「性」に由来するわけではないだろう。木工職人は、木を削って木器を作る。ならば、木を木器に作るのは、木工職人の「性」に由来するわけではないだろう。聖人と礼義との関係は、たとえるならば陶器職人が陶土を成形して瓦のような道具を作るようなものである。ならば礼義とか積偽とかもまた、人間本来の「性」であるはずがない。そもそも人間の「性」というものは、聖人の堯(ぎょう)・舜(しゅん)であろうが、極悪人の桀(けつ。伝説の悪王)・盗跖(とうせき。伝説の大盗賊)であろうが、すべて同じなのである。礼義とか積偽とかが人間の「性」であるならば、どうして聖人の堯や禹(う)をわざわざ貴ぶ必要があるだろうか?またどうして、世の君子を貴ぶ必要があるだろうか?堯・禹・君子が貴ぶべきである理由は、これらが己の「性」をよく馴化して、「偽(い)」をよく起こして、「偽」が起こった結果として礼義を制定することに成功したからである。つまり、聖人と礼儀や積偽との関係は、陶器職人が陶土を成型して道具を作るようなものなのである。これを見れば、礼儀や積偽が人間の「性」であるはずがないだろう。桀、盗跖、それに世の小人どもが賤むべきである理由は、これらが己の「性」に従い、己の「情」に従い、勝手な行動をするところに開き直り、それによって利をむさぼって争奪を行うからである。よって、人の「性」は悪であることは明らかであり、その善なるものは「偽」なのである。天は、曾参(そうしん)(注1)・閔子騫(びんしけん)(注2)・孝己(こうき)(注3)にだけえこひいきして、一般人を除け者にしたわけではない。なのに曾参・閔子騫・孝己だけが孝行を真に全うし、孝行者の名声を全うしたのは、どうしてだろうか?それは、彼らが礼義を極めたからゆえである。また天は斉人・魯人にえこひいきして、秦人を除け者にしたわけではない。なのに父子の義の倫理において、夫婦の別(注4)の倫理において、斉人・魯人が父への孝行と夫婦の別を尊重することについて秦人の追随を許さないのは、どうしてだろうか?それは、秦人が己の「情」「性」に従い、勝手な行動に開き直り、礼義をおろそかにするからである。魯人・斉人と秦人との間に、「性」が異なっているはずはない(注5)

(注6)「では、『市井の人間(注7)でも禹となることができる』という言葉は、どういう意味なのか?」と質問する者がいるならば、以下のように答えよう。すなわち、およそ禹が禹であるゆえんは、彼が仁義と公正な法を成し遂げたところにある。つまり、仁義と公正な法は、これを知識として得てかつ実行するべき道理がそこにあるのだ。いっぽう市井の人間は、仁義と公正な法を理解できる資質を皆が持っているし、これらを実行することができる力も潜在的には持っているのである。ゆえに、彼ら市井の人間ですら、禹となることができるのは、明らかなことである。もし仁義と公正な法というものが、人間にとって到底知りうる理ではなくて、また実行できる理ではないとしたら、どうであろうか。そうであれば禹ですら仁義と公正な法を知ることができなかったであろうし、これを実行することもできなかったであろう。(だがそうではない。ゆえに、仁義と公正な法は、人間ならば知って実行できるものなのだ。)またもし市井の人間たちが、仁義と公正な法を理解できる資質を持っておらず、これらを実行することができる力を持っていないとしたら、どうであろうか。そうであれば市井の人間たちは家の中では父子の義すら理解することができず、家の外では君臣の正道すら理解することができなかったであろう。だが、そうではない。市井の人間たちは、家の中では父子の義を理解できているし、家の外では君臣の正道を理解できている。ならば、市井の人間にも理解できる資質があり、実行できる力があることは、明らかなことであろう。いま、市井の人間に、その理解できる資質と実行できる力を用いさせて、あの禹が理解して実行した仁義の道理に基づかせたら、彼らの資質と力ですら禹となることができるのは、明らかなことなのである。彼ら市井の人間に、正道を修める術に服させ学を修めさせて、心を学ぶことに集中して意志を専一にさせて、思索して熟考させて、毎日の精進を長く継続させて、善を積んで中断させなければ、彼らですら神明な智恵にまで達し、天地の万物を統御する能力を得ることであろう。つまり、聖人というものは、人間が積み上げて極めた存在なのである。

「では、『聖人の地点には、どんな人でも積み上げて極めることができる。しかしながら、誰も聖人の地点まで積み上げて極めることはできない』という言葉は、どういう意味なのか?」と質問する者がいるならば、以下のように答えよう。すなわち、可能性はあるのだが、そうさせることができないのである。小人は、君子となれる可能性がある。しかし、君子となろうとしない。君子は、小人となれる可能性がある。しかし、小人となろうとしない。人間は、小人から君子になることがいつでもできるし、その逆もそうである。なのに誰もそうなろうとしないのは、可能性はあるのだが、そうさせることができないからである。ゆえに、市井の人間は、禹となることは可能である。しかしながら、市井の人間が現実に禹となることができるかといえば、必ずしも容易なことではない。禹となることができないといっても、禹となることに絶対的な障害があるわけではない。人間は、足をもって天下全てを回ることは可能である。だが実際に天下全てを回った人間は、いまだかつていない。また工匠と農民と商人は、それぞれが別の職業の仕事を行うことは、可能である。だが実際に自分の職業以外の仕事をやりおおせた者はいない。これらを見れば、可能性はあったとしても、実際にはできないのである。できないとしても、行うことに絶対的な障害があるわけではないのである。よって、可能性があるか否かと、実際にできるか否かとは、非常に違うのである。市井の人間でも聖人になる可能性があるが、実際には誰も聖人になれないということは、これで明らかである。


(注1)曾子(そうし)と尊称される。孔子晩年の有力な弟子。父への孝行で有名であり、『孝経』の作者に仮託される。
(注2)孔子の弟子の一。論語先進篇で「孝なるかな、閔子騫」と孔子に称えられている。
(注3)殷の高宗武丁の太子で、賢明で孝行な人物であったという。
(注4)夫婦の別は儒家の五倫の一で、夫婦は家の秩序に従い区別されるべきである。五倫については天論篇(2)注6を参照。
(注5)以上、この性悪篇では、荀子は儒家の本拠地である魯国・斉国が礼義に優れていて、秦国が礼義に劣っていると位置づけている。彊国篇における荀子の秦国への観察と比べて、荀子が秦国をいかに捉えていたかどうかは、読む者がよく考えるべきであろうと私は思う。
(注6)猪飼補注は、ここから以下に訳した議論は「人間には皆善なる資質がある」という孟子の議論と一致するものであって、この性悪篇における性悪説と矛盾している。よっておそらく他の篇からの混入であろう、と推測している。しかしながら、この議論が性悪説への疑問への回答として置かれているとみなせば、性悪篇のここに置かれていることに矛盾はないと私は考える。
(注7)原文「塗之人」。塗(みち)にいるごく普通の人間、という意味。勧学篇には、同じ意味で「塗巷(とこう)の人」という語がある。
《原文・読み下し》
問う者曰く、禮義・積僞(せきい)なる者は、是れ人の性なり、故に聖人能く之を生ずるなり、と。之に應じて曰く、是れ然らず。夫れ陶人は埴(しょく)を埏(う)ちて瓦を生ず、然れば則ち埴を瓦とするは、豈に陶人の性ならんや。工人は木を斲(き)りて器を生ず、然れば則ち木を器とするは、豈に工人の性ならんや。夫れ聖人の禮義に於けるや、辟(たと)うれば亦(また)陶の埏ちて之を生ずるなり。然れば則ち禮義・積僞なる者は、豈に人の本性ならんや。凡そ人の性なる者は、堯・舜之(と)桀(けつ)・跖(せき)と、其の性一なり。君子之(と)小人と、其の性一なり。今將(まさ)に禮義・積僞を以て人の性と爲さんとするか、然れば則ち有(また)曷(なん)ぞ堯・禹を貴ばん、曷ぞ君子を貴ばんや。凡そ堯・禹・君子を貴ぶ所の者は、能く性を化し、能く僞を起し、僞起りて禮義生ずればなり。然れば則ち聖人の禮義・積僞に於けるや、亦猶お陶の埏ちて之を生ずるがごときなり。此を用(もっ)て之を觀れば、然れば則ち禮義・積僞なる者は、豈に人の性ならんや。桀・跖・小人に賤む所の者は、其の性に從い、其の情に順い、恣睢(しき)に安んじ、以て貪利(たんり)・爭奪に出ずればなり。故に人の性の惡なること明(あきら)かなりて、其の善なる者は僞なり。天は曾・騫(けん)・孝己(こうき)に私して、衆人を外にするに非ざるなり。然り而(しこう)して曾・騫・孝己のみ獨り孝の實に厚くして、孝の名に全き者は、何ぞや。禮義を綦(きわ)むるを以ての故なり。天は齊・魯の民に私して秦人を外にするに非ざるなり。然り而して父子の義、夫婦の別に於ける、齊・魯の孝具(こうきょう)(注8)・敬父(けいぶん)(注9)なるに如かざる者は、何ぞや。秦人の情性に從い、恣睢に安んじ、禮義を慢するを以ての故なり。豈に其の性異ならんや。
塗(みち)の人以て禹と爲る可しとは、曷(なん)の謂(いい)ぞや。曰く、凡そ禹の禹爲(た)る所以の者は、其の仁義・法正を爲すを以てなり。然れば則ち仁義・法正は、知る可く能くす可きの理有り。然り而して塗の人や、皆以て仁義・法正を知る可きの質有り、皆以て仁義・法正を能くす可きの具有り。然れば則ち其の以て禹と爲る可きこと明かなり。今仁義・法正を以て、固(もと)より知る可く能くす可きの理無しと爲さんか。然れば則ち禹と唯(いえど)も(注10)仁義・法正を知らず、仁義・法正を能くせざるなり。將に塗の人をして、固より以て仁義・法正を知る可きの質無くして、固より以て仁義・法正を能くす可きの具無からしめんとするか。然れば則ち塗の人や、且(まさ)に內は以て父子の義を知る可からず、外は以て君臣の正を知る可からざらんとす。然らず。今塗の人なる者は、皆內に以て父子の義を知る可く、外に以て君臣の正を知る可し。然れば則ち其の以て知る可きの質、以て能くす可きの具は、其れ塗の人に在ること明かなり。今塗の人なる者をして、其の以て知る可きの質、以て能くす可きの具を以て、夫(か)の仁義の知る可きの理、能くす可きの具に本づかしむれば、然れば則ち其の以て禹と爲る可きこと明かなり。今塗の人をして、術に伏し學を爲(おさ)め、心を專(もっぱら)にして志を一にし、思索・孰察(じゅくさつ)し、日を加え久しきに縣け、善を積みて息(やす)まざらしむれば、則ち神明に通じ、天地に參せん。故に聖人なる者は、人の積んで致す所なり。曰く、聖は積んで致す可し、然り而して皆積む可からざるは何ぞや、と。曰く、以てす可くして使(せし)む可からざるなり。故に小人は以て君子と爲る可くして、君子と爲るを肯(がえ)んぜず、君子は小人と爲る可くして、小人と爲るを肯んぜず。小人・君子なる者は、未だ嘗て以て相爲す可からずんばあらざるなり。然り而して相爲さざる者は、以てす可くして使む可からざるなり。故に塗の人は以て禹と爲る可し。然り則(しこう)して(注11)塗の人の能く禹と爲るは、未だ必ずしも然らざるなり。禹と爲ること能わずと雖も、以て禹と爲る可きに害無し。足以て天下を徧行す可し、然り而して未だ嘗て能く天下を徧行する者有らざるなり。夫(か)の工匠・農賈は、未だ嘗て以て事を相爲す可からずんばあらざるなり。然り而して(注12)未だ嘗て能く事を相爲さざるなり。此を用て之を觀れば、然れば則ち以て爲す可きも、未だ必ずしも能くせざるなり。能くせずと雖も、以て爲す可きに害なし。然れば則ち能・不能之(と)可・不可とは、其の同じからざること遠し。其の以て相爲す可からざること明かなり。


(注8)集解の王念孫は、「具」は「共」の字の誤りと言う。増注は「具」は「且」に作るべしと言い、猪飼補注は「孝具敬父」は「孝敬具文」に作るべし、と言う。増注に従えば「孝にして且つ父を敬う」であろうし、猪飼補注に従えば「孝敬にして文を具う」であろう。ここは、王念孫に従っておく。
(注9)楊注は、「敬父」は「敬文」たるべし、と言う。
(注10)楊注は、「唯」は「雖」と読むべし、と言う。
(注11)底本の漢文大系では、「則然」。すなわちしかるも、と読み下している。宋本に拠る新釈では「然則」であり、藤井専英氏は後の注12と同じく「然而」の誤りであろうと言う。宋本に従って「然則」に戻し、藤井氏に従って読み下す。
(注12)原文「然而」。宋本では「然則」となっている。上の注11参照。

続く二つの問答は、二つのことを言っている。一つは、人間の「性」はすべて等しい、という資質の平等性である。もう一つは、人間の格差は「偽」によってのみ生じる、という努力の結果の不平等性である。

もし禹と凡人とでは資質が違うのだ、と言ってしまうならば、これは人間の「性」が不平等であることを言うことになる。これは孟子も否定したところであるし、荀子も上で見るように同じく否定する。儒家思想は、統治階級の君子と被統治階級の小人との間に現実的な身分差別を設けるが、君子と小人との間に資質的な差別を認めるものではない。君子となる道は万人にオープンである、という原則が儒家思想の根本にある。これが儒家思想の強みであり、儒家思想を採用した中華帝国が支配下の臣民からあまねく有能な人材をリクルートして国家に吸い上げることを肯定する、その思想的背景になった(その最終的に洗練させた制度が、科挙の試験による高級官僚の選抜制度である)。孟子の「人は誰でも堯・舜になれる」(告子章句下、二)というテーゼを、荀子もまたとりあえずは受け継ぐのである。

だが荀子は禹と市井の凡人とでは資質が変わらないのだ、と言いながら、市井の凡人は現実的には決して禹のような聖人になることはできない、と言う。その理由とは、君子となろうとする継続的な努力をすることは誰にでもできることではないからだ、と言う。荀子性悪説の第二のテーゼである「偽」は(現実的には)聖人しか作成することができず、君子しか身に付けることができない、その理由を荀子はここで説明するのである。

しかしながら、以上の説明は、彼の性悪説への疑問にとっての最終的な回答となりえるだろうか?

「性」が悪であるならば、人はどうして「性」から離れて「偽」を身に付けようとするのか?その動機はいったい「性」のどこに存在しているのか?この疑問について、荀子はついに解決していない。心中のどこに、「偽」を身に付けようと志す動機があるのか。それは、「性」に属するのか。もし属するのであれば、それは単に「偽」を身に付ければ国家の統治者となることができて凡人よりも富貴を得ることができるからという、利己的な動機なのであるか?彼の性悪説に忠実に従えば、そのように結論せざるをえない。しかしながら、荀子は勧学篇などで、君子は富貴を目的としないところに偉大さがある、と言う。もしそうであるならば、君子が「偽」を身に付けようとする動機は、彼の性悪説の範囲内では説明できない「X」から由来することとなってしまう。しかし荀子は、「X」など存在しないと言う。これは、荀子の性悪説の最大の弱点である。そしてここに、孟子の性善説の側から荀子へ反撃する穴が生じることになる。人間が向上して君子を目指すのが利得のためでないのであるならば、人間の「性」にはやはり他人に善を施したいという善なる動機が隠されているのではないのか?「X」とは、「四端」なのではないのか?こうして、荀子の性悪説は未解決の問題を残すのである。

荀子が自らの性悪説の範囲内で君子が向上する動機を説明できないことが、『荀子』書中においても勧学篇などにおける君子への励ましの叙述と、富国篇などにおけるマクロの国家統治術を論ずる叙述とで、人間への視点が変化してしまうところにも表れている。そのねじれの原因は、古代中国思想史における個人倫理思想と社会統治思想との相克にあるはずである。そのような『荀子』の内部にあるねじれを読むこともまた、『荀子』を読む面白さであるに違いない。

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