勧学篇第一(3)

By | 2015年3月30日
ものごとが起こるときには必ずその原因があり、また人が栄光あるいは恥辱をこうむるときには、必ずその人の持てる徳に応報するものなのだ。肉が腐れば、虫が沸く。魚がしなびても、やはり虫が沸く。そして人が怠慢して己のことを忘れると、わざわいがやってくるのだ。固い木は斬られて、柱に使われる。柔らかい木は刈り取られて、束ねて綱にされる。そしてよこしまなことが己にあれば、怨みを買って木のように叩き斬られるのがオチだ。薪(たきぎ)を一律に並べて火をつけたら、乾いた側に燃え広がっていく。地面を一面の水平にしてみたら、水は湿った箇所に溜まっていく。草木は群がって繁茂し、動物は群れをなして行動する。このように、物はそれぞれが持てる性質に応じて動くのである。性質に応じた因果関係があるために、的が立てられたら弓矢が飛んでくるのであり、林木が茂ったら木こりがやってくるのであり、樹木が陰をなせば鳥たちが休むのであり、貯蔵肉が酸敗したら蚋(ぶよ)が集まるのである。言葉が悪かったら、どうなるか?禍を招く結果がありえるのである。行いが悪かったら、どうなるか?恥をかく結果がありえるのである。君たちは、己の立つ状況をよく理解して、言行を慎まなければならない。

土が積もって山になれば、自然と風雨を呼ぶという。水が溜まって淵となれば、自然と龍が住み着くという。そして善が積み重なって大きな徳となれば、いつのまにか高度な理性の人(注1)となり、最高な心の持ち主(注1)となるであろう。一歩一歩を積み重ねなければ、千里の先に届くことは決してない。小さな川の流れを積み重ねなけれな、大河や大海を作ることはない。駿馬であっても一躍だけでは十歩(13.5m)も跳ぶことはできないが、駄馬であっても十日馬車を引っ張り続けることができる。成果は、継続にあるのだ。鑿を入れても途中でやめたら、朽木を折ることもできない。しかし鑿を辛抱強く入れ続けたら、金属や石にも彫り込むことができる。地下の蚯螾(みみず)を、見たまえ。奴らは爪も牙もなく、強い筋骨も持っていない。それでも地面近くで土を食らい、地下深くで水を飲んで、地中に自在に穴を掘り進める。これは、奴らが心を専一にして頑張っているからなのだ。それに比べて蟹は足が八本ハサミが二丁あるのに、ヘビあたりが作った穴を借りなければ、自分で穴を掘って隠れることすらできない。これは、奴らが心せっかちで集中できないからなのだ。だから、心ひそかに志を継続する者でなければ、名声が高らかに広がることはない。陰ながら努力を継続する者でなければ、赫々たる功名を挙げることはないのだ。交差点で迷っている者は、目的地に着くことはない。二人の君主に同時に仕官する者は、どちらの君主にも受け入れられない。人間の目は二つの方向を同時に見ることはできないが、見る力は完全だ。人間の耳は二つの音を同時に聞き取ることはできないが、聞く力は完全だ。竜は、足がなくても雲に乗って自由に飛ぶことができる。だがムササビは、飛んだり穴を掘ったり走ったりと器用に見えるが、簡単に追い詰められてしまう。『詩経』には、この言葉がある。:

筒鳥(つつどり)が、桑木(くわき)にありて
雛鳥(ひいなどり)、七羽育てぬ
親鳥は、君子のごとく
育て方、迷わず一つ
迷わずに、一つであるは
固き心の、現れなりき
(曹風、鳲鳩より)

そうだ、君たち君子は、迷わず一つのことに集中する固き心を持たなければならないのだ。

むかし、瓠巴(こは)という楽人が瑟(しつ。おおごと)を奏したら、泳ぐ魚が飛び出して聴いたという。また伯牙(はくが)という楽人が琴を奏したら、馬が首を伸ばして聴きながら秣(まぐさ)を食ったという。(このように魚や馬ですら、音楽を聴く耳を持っているという。ならば人間の耳目はなおさらであり、)どんなに小さな声でも聞こえないことはなく、どんなに隠れた行為であっても露見しないことはないのだ。玉(ぎょく)が埋もれている山は、草木が艶めく。珠(たま)が沈んでいる淵は、岸辺が乾かない。(玉や珠が見えなくても、周囲に影響を及ぼして分かってしまうのだ。)どうして善をなしながら、それを積み上げずにあきらめるのか?この世の中、善が聞こえずに終わることなど、どうしてありえようか?


(注1)原文は「神明」および「聖心」であるが、荀子は超越的な神を理論に想定しない。なので、あくまでも人間の精神の高度な段階を意味するように訳した。
《原文・読み下し》
物類の起る、必ず始まる所有り、榮辱の來る、必ず其の德に象(かた)どる。肉腐れば蟲(むし)を生し、魚枯るれば蠹(と)を生じ、怠慢身を忘るれば、禍災乃ち作(お)こる。强は自ら柱を取り、柔は自ら束を取り、邪穢(じゃあい)身に在るは、怨の構うる所なり。薪(たきぎ)を施(し)くこと一の若くなれば、火は燥に就く、地を平にすること一の若くなれば、水は溼(しつ)に就く。草木は疇生(そうせい)し、禽獸は羣(ぐん)す。物は各(おのおの)其の類に從う。是の故に質的張りて弓矢至り、林木茂りて斧斤至る、樹蔭を成して衆鳥息(いこ)い、醯(けい)酸にして蚋(ぜい)聚(あつ)まる。故に言は禍を招くこと有り、行は辱を招くこと有り。君子は其の立つ所を愼まんかな。
積土山を成せば、風雨興り、積水淵を成せば、蛟龍(こうりゅう)生じ、積善德を成せば、神明自得し、聖心備わる。故に蹞步(きほ)を積まざれば、以て千里に至ること無し、小流を積まざれば、以て江海を成すこと無し。騏驥(きき)も一躍して、十步なること能わざれども、駑馬(どば)も十駕すれば、功は舍(お)かざるに在り。鍥(けつ)して之を舍けば、朽木も折れず、鍥して舍かざれば、金石も鏤(ちりば)む可し。蚯螾(きゅういん)は爪牙の利、筋骨の强無きも、上埃土(あいど)を食い、下黃泉(おうせん)を飮む。心を用いること一なればなり。蟹は六跪(注2)して二螯(にごう)なるも、蛇蟺(だせん)の穴に非ざれば、寄託する所無きは、心を用いること躁なればなり。是の故に冥冥の志無き者は、昭昭の明(注3)無く、惛惛(こんこん)の事無き者は、赫赫(かくかく)の功無し。衢道(くどう)を行く者は至らず、兩君に事(つか)うる者は容れられず。目は兩視すること能わずして明に、耳は兩聽すること能わずして聰なり(注4)。螣蛇(とうだ)は足無くして飛び、梧鼠(ごそ)は五技にして窮す。詩に曰く、尸鳩(しきゅう)桑に在り、其の子七つ、淑(よ)き人君子は、其の儀一なり、其の儀一なれば、心結ぶが如し、と。故に君子は一に結ぼる。
昔者(むかし)瓠巴(こは)瑟(しつ)を鼓して、流魚出でて聽き、伯牙琴を鼓して、六馬仰ぎて秣(まぐさ)う。故に聲は小として聞こえざること無く、行いは隱として形(あらわ)れざること無し。玉山に在りて草木潤い、淵珠を生じて崖枯れず。善を爲して積まざるか、安(いずく)んぞ聞こえざる者有るや(注5)


(注2)集解は、「六」は「八」の誤写であると言う。
(注3)増注は荻生徂徠の説を引き、「明」の字は「名」の誤りかと言う。
(注4)宋本には「能」字が二回あり、元刻にはない。ここは宋本に合わせる。
(注5)大戴礼記勧学篇と一致する文は、ここまでである。大戴礼記はこの後に若干の孔子の言葉が置かれて結句となる。その一つは、宥坐篇(3)の最初にある孔子が水を称えた言葉とほぼ一致する。

善行を積む努力を続ける者には、幸福がやって来る。荀子は必ずそうだと説く。
耳に心地よい激励ではあるが、『論語』や『孟子』をこれまで読んできた私の目には、荀子の楽観には陰影がなさすぎるように見える。
孔子や孟子は、善人が必ずしも幸福を得られない可能性があることを、想定している。だから孔子は富貴などは君子の楽しみにはないのだ、と言うのであり、貧窮に生きてしかも愚痴を言わない高弟の顔回を、こよなく愛したのである。孟子は、「殀寿貮わず、身を脩めて以て之を俟つ、命を立つる所以なり(寿命の長い短いなど気にするな。ひたすら自分自身を修めて命尽きるのを待て。それが、天命を損なわずにまっとうするということなのだ。)」と言うのであり、現世での幸福などは度外視して、ひたすら己を研鑽して命を燃やせ、と勧めるのである。彼らの人生観に比べて、荀子の人生観は軽いと言わずにはいられない。荀子には、善人が報われないというテーマを正面から論じた聖書の『ヨブ記』は、遠くに離れた世界であろう。

善行が必ず報われる、ということを根拠付けるために、儒家の宿敵である墨家は「鬼神」の人間への介入を想定した。墨家は、この世の存在を超えた超存在である「鬼神」が善人を助けてくれるはずだ、と期待したのである。こうでも考えなければ、命を賭して縁もゆかりもない小国の防衛を引き受けて、その行為に何の見返りも得られない墨家集団たちは、日々を生きていくことができなかったのであろう。

だが儒家である荀子は、「鬼神」の介入など想定できない。だから同じ儒家の孟子は、命を粗末にせず無駄死にはするな、と勧めるのである。なるたけ災厄は避ける、という賢い生き方で生き延びるのが、不遇に会った時の知恵というわけである。
しかし荀子は、善人が必ず報われる、と言う。
それを可能とするためには、善人が報われる社会を作り上げなければならない、ということとなるであろう。
後の諸篇で見るように、荀子は政治を行う有能者が高い地位と富を受け取ることは自然な秩序であり、この秩序が国家の礼なのである、と主張する。荀子は戦国時代にありながら、すでに後世の中華帝国を見ているのである。科挙の試験は、よくも悪くも有能者が相応に報いを得る制度として、極めて洗練されている。中華帝国では、地位と名誉と富を得る道が、科挙の試験に及第すること一点に絞られて、きわめて分かりやすくなった。荀子の理想を現実の社会で実現させようとすれば、結局試験で有能者を選んで高い地位に就ける、という制度が最終的な結論だったのであろう。もとよりその弊害として、人間の価値が科挙に及第することだけに絞られて狭くなってしまった。試験のために論語や孟子を丸暗記したからといって、その人が本当に善人だといえるかどうか。

もちろん私は、善人が報われる社会であってほしい、と荀子と同じく思っている。しかし現実は、必ずしもそうではない。科挙の試験があったとしても、完全ではない。
私は、善人が必ず大きな成功を得ることができなくても、社会の中で何がしかの居場所を見つけることができてそれなりに納得できる人生を送ることができたならば、そのような社会こそが最上であると考える。懐の深い社会だけが、できることであろう。日本の社会は、まだ辛うじてそれが可能であると私は思っている。近年は競争原理ばかりが強調されるが、勝者には報いを与え、かつ敗者にもそれなりの居場所を与えることができる社会が、強い社会であると私は考える。

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