不苟篇第三(3)

By | 2015年7月7日
君たちが他人の徳を称え、他人の美点を誉めたとしても、それはへつらいではない。君たちが正しい議論を行って率直な指摘を行い、他人の誤りを数えあげたとしても、それは誹謗中傷ではない。自らの美点を言って聖王の舜・禹になぞらえ、自らを天地の万物を統御する存在だ(注1)と言ったとしても、それは大言壮語ではない。時宜に応じて身を伸ばしたり縮めたりして、蒲(がま)や葦(あし)のように腰を低く垂れたとしても、それは怖気づいているのではない。剛強猛毅で伸びて進まぬところなき様であっても、それは驕って強暴となっているのではない。なぜそうあることができるかといえば、確固とした義が基準にあるがゆえに状況に応じて臨機応変に行うことができるからであり(注2)、また明晰な知があるがゆえに正と不正を正しく見抜いて進退を間違えないからなのだ。『詩経』に、この言葉がある。

左に行かば、左に行きませ
君子(そなた)の車、宜しく行かん
右に向かわば、右に向かいませ
君子の車、宜しく進まん
(小雅、裳裳者華より)

君たちは、心中の義と知をしっかりと身に付けよ。そうすれば、時に応じた進退を確信を持って右に左に臨機応変に行うことができるだろう。

君たち君子は、小人の対極なのだ。君子は、心の大きな人ならば天与の性質を上手に生かして自己を伸ばし、正道を進むであろう(注3)。しかし心の細心な人ならば、義を畏れ謹んで礼節をよく守るであろう。知ある人ならば明察で万事に通じて法の類推判断(注4)が的確であろうし、愚鈍な人ならば正直であって法を誠実に守るであろう。登用されたときには恭しくして居るべき位に止まり、疎んじられたときには恐れ謹んで己を正しくすることに努めるであろう。喜ぶときには和やかでありながらも端正であり、憂うときには物静かでかつ居住まいを正す。物事が好調に運んでいるときには礼義を守って明朗であり、物事がうまく運ばないときには身を慎んで礼義を慎重に守るであろう。だが小人は、このようではない。心の大きな人ならば散漫粗暴であり、心の細かな人ならば乱れ狂って常軌を逸する。知ある人ならば利をかすめ取って悪知恵を膨らませ、愚鈍な人ならば他人を攻撃して乱暴する。登用されたときにはちょこまかと奔走して驕り高ぶり、疎んじられたときには逆恨みして陰険な仕返しを企む。喜ぶときには軽薄で落ち着きがなく、憂うときには意気消沈して恐れ震えるばかりしかしない。物事が好調に進んでいるときには驕って偏った行動に走り、物事がうまく運ばないときには自暴自棄となって下劣な行動に走る。言い伝えに、「君子は両進し、小人は両廃す」とあるが、まさに君子は順境でも逆境でも前に進むが、小人は順境でも逆境でも腐っていくのだ。

「君子は治を治める。乱を治めるのではない」という言葉は、どういう意味であろうか。その意味は、こうである。すなわち、礼義があることを、「治」と呼ぶ。礼義がないことを、「乱」と呼ぶ。ゆえに、この言葉の言うこころは、「君子は、礼義がある社会を治めるのである。礼義がない社会を治めるのではない」というものである。ならば君子は国が乱れたら、これを治めることをあきらめるのだろうか?決してそうでない。「国が乱れたらこれを治める」というときに、乱の原因を放置してこれを治める、と取ってはならない。国から乱の原因を除去して、国に治を加えるのである。「人が汚れたらこれを清める」というときに、汚れの原因を放置してこれを清める、というわけでは決してなく、汚れの原因を除去して代わりに体を清める。これと同じである。ゆえに、乱の原因を除去するのであって乱をそのままにして治めるのではなく、汚れの原因を除去するのであって汚れをそのままにして清めるのではない。つまり、「治」の言葉の意味は、「君子は治を治める。乱を治めるのではない。清めることを為(おさ)める。汚れを為めるのではない」のように解釈しなければならない。(統治とは、乱の原因を取り除いて治を加えるものなのである。その方法は、社会に礼義を加えること以外にありえず、礼義を加える以外に乱が治められるという考えはすべてまちがいである。そのことは、わが一門に学ぶ君たちならば知っていることであろう。)


(注1)原文読み下し「天地に參す」。天・地の間に人間が立って三者相並ぶ、という意味であるが、天論篇で「參」が論じられたとき、人間は天地のはたらきを所与としながら己の才覚で天地が生み出す万物を統御して利用することが強調された。荀子は、天論篇の論議に見えるように人間が万物へ働きかける力の至上性を論じる思想家である。なので、性悪篇と同様に、天地の万物を統御する、と訳した。
(注2)原文読み下し「義を以て變應し」。増注の久保愛、集解の王先謙はともにこの「義」の注釈として論語里仁篇の「君子の天下に於けるや適(てき)も無く莫(ばく)も無く、義にこれ與(とも)に比(した)しむ」を引用する。王先謙はまた孟子離婁章句下の「言必ずしも信ならず、行必ずしも果さず、惟(ただ)義の在る所のままにす」を引用する。王先謙は、「義は本より定まり無し、応ずる所に随い通変を為す、故に変応と曰う」と言う。
(注3)原文読み下し「君子大心ならば天にして道」。集解の盧文弨は「天にして道」は文義不明であり、『韓詩外伝』の引用に依って「天を敬して道」となすべし、と言う。新釈の藤井専英氏は、「天すなわち自然のままで人道に適」すると訳す。藤井氏の訳はあえて「大心」と整合させた訳といえるが、他方で天与の「性」は悪であり「偽」によってのみ君子となると考える荀子の性悪説との整合性が悪いように思われる。しかし『韓詩外伝』のように天を敬する、と解するのは一方では性悪説との衝突を回避するが、他方で「大心」の意とうまく整合しない感がする。両方を折衷して、天の与えた自然的性を上手に生かして自己を伸ばす人、ぐらいに訳してみた。
(注4)原文「類」。ここの「類」字は後の「法」の対義語で、法の条文にない事項に対して類推判断すること。
《原文・読み下し》
君子は人の德を崇び、人の美を揚ぐるも、諂諛(てんゆ)に非ざるなり。正義(せいぎ)(注5)直指して、人の過(あやまち)を舉(あ)ぐるも、毀疵(きし)に非ざるなり。己の光美を言いて、舜・禹に擬し、天地に參(さん)すも、夸誕(かたん)に非ざるなり。時と與(とも)に屈伸し、柔從なること蒲葦(ほい)の若きも、懾怯(しょうきょう)に非ざるなり。剛强猛毅にして、信(の)び(注6)ざる所靡(な)きも、驕暴(きょうぼう)に非ざるなり。義を以て變應し、知曲直(きょくちょく)に當るが故なり。詩に曰く、之を左し之を左にす、君子之を宜しくす、之を右し之を右にす、君子之をす、と。此れ君子の能く義を以て屈信・變應するを言うなり(注7)
君子は小人の反なり。君子は大心なれば則ち天にして道、小心なれば則ち義を畏れて節あり、知なれば則ち明通にして類、愚なれば則ち端愨(たんかく)にして法あり、由(もち)い(注8)見(ら)るれば則ち恭にして止、閉せ見(ら)るれば則ち敬にして齊あり、喜べば則ち和にして理、憂うれば則ち靜にして理あり、通ずれば則ち文にして明、窮すれば則ち約にして詳なり。小人は則ち然らず。大心なれば則ち慢にして暴、小心なれば則ち淫に流れて(注9)傾なり、知なれば則ち攫盜(かくとう)にして漸(せん)(注10)、愚なれば則ち毒賊にして亂なり、由(もち)い見るれば則ち兌(えい)にして倨、閉せ見るれば則ち怨みて險なり、喜べば則ち輕にして翾(けん)、憂うれば則ち挫して懾(しょう)なり、通ずれば則ち驕りて偏(へん)、窮すれば則ち弃(き)にして儑(がん)なり。傳に曰く、君子は兩進し、小人は兩廢す、とは、此を之れ謂うなり。
君子は治を治む、亂を治むに非ざるなり、とは、曷(なん)の謂(いい)ぞや。曰く、禮義を之れ治と謂い、禮義に非ざるを之れ亂と謂う。故に君子なる者は、禮義を治むる者なり、禮義に非ざるを治むる者に非ざるなり、と。然らば則ち國亂るれば將(は)た治めざるか。曰く、國亂れて之を治むる者は、亂に案(よ)りて(注11)之を治むるの謂に非ざるなり、亂を去りて之に被(こうむ)らしむるに治を以てす。人汙(お)にして之を脩(しゅう)する(注12)者は、汙に案(よ)りて之を脩するの謂に非ざるなり、汙を去りて之に易(か)うるに脩を以てす。故に亂を去りて亂を治むるに非ず、汙を去りて汙を脩むるに非ざるなり。治の名爲(た)る、猶お君子は治を爲(おさ)めて(注13)亂を爲めず、脩を爲めて汙を爲めずと曰うがごとし。


(注5)集解の王念孫は、案ずるに「義」は読んで「議」となす、と言う。
(注6)楊注は「信」は読んで「伸」となす、と言う。
(注7)宋本には「應」の下に「故」字があり、「此れ君子の能く義を以て屈信・變應する故(ゆえ)を言うなり」と読み下せる。増注の久保愛は「故」字有るは非なり、としてこれを削っている。
(注8)楊注は「由」は「用」なり、と言う。
(注9)宋本は「流」字がある。新釈の藤井専英氏は、ここは上の「小心なれば則ち義を畏れて節」に比せられるべきであるので宋本が正しい、と言う。藤井氏に従い「流」字のある宋本に戻す。
(注10)増注は「漸」について脩身篇の知慮漸深に解す、と言う。集解の王引之は「漸」は詐欺なり、と言う。合わせれば、悪知恵が深すぎて人をあざむくの意と取れるだろう。新釈の藤井専英氏は、「漸」をすすむ、の意に解して攫盜がひどくなっていく、という意に取っている。増注・王引之の意で訳す。
(注11)楊注は「案」は「據(拠)」なり、と言う。よる。
(注12)集解の兪樾は、「脩」は「滌」と読むべし、と言う。ここでの「脩」は洗浄する意。
(注13)新釈は、「爲」はオサムと読むが「なす」の意、と言う。

最後の問答は、「治」「乱」という語の意味を明確にすることを目的としたものであろうか。荀子の性悪説にとって最も押さえて置くべきポイントは、人間の「性」のままに社会を置くならば「乱」すなわちカオスしか結果することはなく、「偽(い)」を採用して礼義を身につけて「性」を統御することを通じて社会は「治」に移行する、というものであった。「乱を治む」という言葉はふつう乱世を治める、という意味にとって何の問題もなかろうが、あえて言葉にこだわることによって荀子学派における「治」「乱」の言葉の定義を再確認したのがこの問答の主眼点であったと言えるだろうか。荀子の性悪説は、富国篇の社会契約説と性悪篇の性・偽(い)の定義との両方を眺めて理解しなければならない。

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