栄辱篇第四(2)

By | 2015年7月14日
犬や豚の勇気があり、商人や盗賊の勇気があり、小人の勇気があり、士・君子の勇気がある。食い物や飲み物のために戦い、廉恥を知らず、是非の分別を知らず、そのようなことのために死も傷も避けず、敵の数や力の大きさも恐れず、ガツガツとしてただ食い物や飲み物を得ることばかりに目が向いている。人がこのようであるならば、勇気は勇気であっても犬や豚の勇気である。利益を得るがために財貨のために戦い、謙譲の心なく、果敢に争って敵対し、猛烈に貪って敵対し、ガツガツとしてただ利益を得ることばかりに目が向いている。人がこのようであるならば、勇気は勇気であっても商人や盗賊の勇気である。死を軽んじるが、義を重んじることなくただ暴虐なだけである。人がこのようであるならば、勇気は勇気であってもしょせん小人の勇気である。義のためには権力にも屈することなく、利害を顧みることなく、国人が全て反対側に味方したとして心を変えることなく、死を重んじるが義を保ってゆるむことがない。人がこのようであるならば、これが士・君子の勇気である(注1)

鯈(ちゅう。川魚のハヤ)とか䱁(きょう。ナマズ?下の注5参照)とかは、水中でよく浮き上がる習性を持つ魚である。このような魚がふと砂の中に埋もれてしまって水に戻れなくなったら、どんなに水が欲しくてももはや戻ることはできないだろう。人間も同様に、困難に行き当たってしまったときになってようやく行いを改めて謹もうとしても、もはや益を成さないであろう。己のことを知る者は、たとえ困難に行き当たったとしても他人を怨むことはない。天の偶然があることを知る者は(注2)、たとえ困難に行き当たったとしても天を怨むことはない。他人を怨む者は窮するばかりであり、天を怨む者は思慮に欠けている。なすべきはどんな状況でも己の努力を重ねるだけであるのに、無作為であるからこそ今の己の失敗があるのだ。それを他人のせいにするのは、原因をよく知らないというものだ。

栄光と恥辱を分けるもの、および安全と危険、利益と損害の法則について。義を先にして利を後にする者は結局栄え、利を先にして義を後にする者は結局辱められるだろう。栄える者は常に前に向かって通じるが、辱められる者は常に前に困難があって窮する。前に向かって通じる者は常に人を制し、前に困難があって窮する者は常に人に制せられる。これが、栄光と恥辱を分けるものである。謹直な者は常に安全でかつ利益を受け、放埓でたけだけしい者は常に不安定で損害を受けるだろう。安全で利益を受ける者は常に安楽で温和であるが、不安定で損害を受ける者は常に憂いて苦しむであろう。安楽で温和な者は常に長寿を得られるだろうが、憂いて苦しむ者は常に長生きできないであろう。これが、安全と危険、利益と損害の法則なのである。

そもそも天が地上にもろもろの人間を発生させたとき、人間秩序のそれぞれの身分が保たれるべき条件は、自ずから設定されている。意志は人間の中で最もよく修められ、徳行は最も篤く、知慮は最も明察であることは、天子が天下を保有するために持つべき条件である。出す政令には法があり、動く物腰は時宜に正しく、訴えを聴いて判断するには公正であり、上はよく天子の命令に従い、下はよく人民の生活を維持することは、諸侯が諸国を保有するために持つべき条件である。意志と行動はよく修まり、職務に就けばこれをよく治め、上はよく上官に従い、下はよく役職を務めおおせることは、士大夫が封地を保有するために持つべき条件である。法律、規則、度量衡、刑罰、地誌、戸籍に精通し、それら法規の精神への理解は足りないものの、謹んでこれらの条項を守り、法規を恣意的に増やしたり減らしたりする解釈などせずよく自制して、これらの法規を父から子に相伝えることによって王公の制度を維持する。彼らのために、これまでの歴史で夏・殷・周の三代がそれぞれ興亡を経たが、いまだに過去から現在まで統治の法が伝えられて残っている。この役目を担うことは、官人・百吏が秩禄を保有するために持つべき条件である。親には孝、兄には悌を尽くし、謹直であり、力を尽くして己の生業に励んでこれをよく行い、怠けるようなことを決してしないことは、庶人が暖衣飽食して長く生を楽しみ、刑罰処刑から免れるための条件である。邪説・姦言を飾り立て、奇怪の事を行い、他人をそしってでたらめを言い、他人を押しのけて利益を奪い、放埓にしてたけだけしく、おごって粗暴のふるまいをなし、これによって乱世の中で生を盗んで諸方を渡り歩くことは、姦人が危地に追い詰められて辱められて、死刑の罰を受けるための条件である。その思慮が深くなく、その選択を謹まず、その取捨の基準を定めることに怠慢であることは、その身を危うくする原因を作るのである。


(注1)勧学篇(5)末尾の論述も参照。小人の勇と士・君子の勇の比較は、孟子の「匹夫の勇」(梁恵王章句下、三)の議論にも通じる。
(注2)原文読み下し「命を知る者は」。これを「天命を知る者は」と訳すと孟子の議論のようになってしまう。荀子の天は人間に偶然をもたらすが、天が人間を愛したり見捨てたりする意志を持つことはない。人間は天の偶然があることを所与として人力で最善を尽くさなければならない、と天論篇において主張されているところである。なので、ここではあえて「命」を天の偶然、と訳して孟子の議論と区別した。
《原文・読み下し》
狗彘(こうてい)の勇なる者有り、賈盜(ことう)の勇なる者有り、小人の勇なる者有り、士・君子の勇なる者有り。飲食を爭いて、廉恥無く、是非を知らず、死傷を辟(さ)けず、衆强を畏れず、恈恈然(ぼうぼうぜん)として惟(ただ)飲食を利することを之れ見るは、是れ狗彘の勇なり。事利の爲に貨財を爭い(注3)、辭讓無く、果敢にして振(もと)り(注4)、猛貪(もうたん)にして戾(もと)り、恈恈然として惟利を之れ見るは、是れ賈盜の勇なり。死を輕んじて暴なるは、是れ小人の勇なり。義の在る所、權に傾かず、其の利を顧みず、國を舉(あ)げて之に與(くみ)するも、改め視ることを爲さず、死を重んじて義を持して橈(たわ)まざるは、是れ士・君子の勇なり。
䱁(*)(ちゅうきょう)(注5)なる者は、浮陽の魚なり。沙に胠(さえぎ)られて水を思えば、則ち逮(およ)ぶこと無し。患に挂(かか)りて謹まんと欲すれば、則ち益無し。自ら知る者は人を怨まず、命を知る者は天を怨まず。人を怨む者は窮し、天を怨む者は志無し。之を己に失いて、之を人に反するは、豈(あ)に迂ならずや。
榮辱の大分、安危・利害の常體。義を先にして利を後にする者は榮え、利を先にして義を後にする者は辱しめらる。榮ゆる者は常に通じ、辱しめらる者は常に窮す。通ずる者は常に人を制し、窮する者は常に人に制せらる。是れ榮辱の大分なり。材愨(ざいかく)なる者は常に安利にして、蕩悍(とうかん)なる者は常に危害なり。安利なる者は常に樂易にして、危害なる者は常は憂險なり。樂易なる者は常に壽長(じゅちょう)にして、憂險なる者は常に夭折す。是れ安危・利害の常體なり。
夫れ天の蒸民(じょうみん)を生ずる、以て之を取る所有り。志意脩(しゅう)を致(きわ)め、德行厚(こう)を致め、智慮明(めい)を致むるは、是れ天子の以て天下を取る所なり。政令法あり、舉措(きょそ)時あり、聽斷公にして、上は則ち能く天子の命に順い、下は則ち能く百姓を保つは、是れ諸侯の以て國家を取る所なり。志行脩まり、臨官治まり、上は則ち能く上に順い、下は則ち能く其の職を保つは、是れ士大夫の以て田邑を取る所なり。法則・度量、刑辟(けいへき)・圖籍(とせき)を脩め(注6)、其の義を知らざるも、謹みて其の數(すう)を守り、愼みて敢て損益せず、父子相傳えて、以て王公を持す、是の故に三代亡ぶと雖も、治法猶お存するは、是れ官人・百吏の以て祿秩を取る所なり。孝悌・原愨(げんかく)、軥錄(こうろく)・疾力にして、以て其の事業を敦比(とんひ)して、敢て怠傲(たいごう)せざるは、是れ庶人の以て煖衣・飽食を取り、長生・久視して、以て刑戮を免るる所なり。邪說を飾り、姦言を文(かざ)り、倚事(きじ)を爲し、陶誕(ようたん)(注7)・突盜(とつとう)、惕悍(とうかん)・憍暴(きょうぼう)にして、以て亂世の間に偷生(とうせい)・反側するは、是れ姦人の以て危辱・死刑を取る所なり。其の慮の深からざる、其の擇の謹まざる、其の取舍を定むるの楛僈(こまん)なる、是れ其の危き所以なり。

(*)原文は「魚へん+本」。CJK統合漢字および同拡張Aにないので、やむなく代用する。

(注3)新釈は「事利を爲し、貨財を爭い」と読み下している。
(注4)集解の王引之は、「振」は「很」の字の誤りであり、「果敢にして很(もと)り」と「猛貪にして戾(もと)り」と二句一意相承ける、と言う。これに従う。新釈は増注が引く古屋鬲説の「振は奮なり」を取って、「振(ふる)う」と読んでいる。
(注5)「䱁」字について。底本は「魚へんに本」であるが今字になく、「䱁」字で代用する。「䱁」字はCJK統合漢字拡張Aにしかない。この字は何の魚を指しているのかについて、各説がある。(1)郝懿行は「鱧」字の可能性を指す。「体」の本字が「體」であることから、「鱧」字の略記体として「魚へんに本」であろう、という推測である。「鱧」は日本語ではハモのことであるが、漢字本来の意味ではオオナマズのこと。(2)王念孫は「魾(ひ)」字の誤りであることを疑う。「魾」はナマズの一種。
(注6)「脩」字について、宋本はこれを「循」とする。「循」ならばシタガウ、と読み下す。
(注7)集解の郝懿行は、「陶誕」はすなわち「謠誕(ようたん)」であり毀謗誇誕、と言う。他人をそしってでたらめを言うこと。

最初の段落および三つ目の段落について。儒家思想においては、「利」は「義」の対義語として用いられる。「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る」(論語、里仁篇)「利を見ては義を思い、危を見ては命を授く」(同、憲問)「王何ぞ必ずしも利と曰わん、亦仁義有るのみ」(孟子、梁恵王章句上)。三段落目にある荀子の「義を先にして利を後にする者は榮え、利を先にして義を後にする者は辱めらる」の語もまた、これら儒家の用語を踏襲したものである。そもそも荀子は性悪説に立つので、人間の「性」・「情」が「利」を求める存在であることを認める。「夫れ利を好みて得を欲する者は、此れ人の情性なり」(性悪篇)。しかし国家を指導するエリートである君子だけは、学んで身につけた「偽(い)」がもたらす「義」によって「性」・「情」から発する「利」をコントロールし、これを後回しにしなければならない。荀子の思想はこうして「利」を必然としながら、「利」を抑えるべきとする儒家思想と自らの主張を整合させようとするのである。

「利」は利益・便利の意であり、また刃物の先がするどい意もある。つまり、平常平凡から離れて突出して役に立つ状態を言う。その突出した状態を儲ける機会とみなして利益を狙うのが、商人である。他方、君子は社会の統治者として、社会を平常状態に保つことを心がける。社会が平常状態にあることが社会が正義にある姿であり、したがって「義」なのである。儒家思想が商人の「利」を盗賊と同列に扱うのは、それが社会の平常状態から突出した利益を狙うことに専念して、社会を平常状態に落ち着けることを顧みないからである。荀子は、身分による経済格差を社会秩序の不可欠の要素とみなす(富国篇を参照)。だが荀子から見れば、これは「義」の範疇にあるはずだ。荀子のような儒家にとって、身分格差・経済格差は社会の平常状態においてあるべき正統な秩序であり、したがって「義」なのである。荀子たち儒家思想には、官尊民卑の視点がある。

最後の段落について。荀子は、王の下に諸侯が封建される封建国家を理想とする(王制篇の官職表を参照)。いっぽう弟子の李斯は荀子の封建国家を否定して、全ての地方を郡県に分けて中央から長官を派遣して統治する郡県制を断行した。王・諸侯・士大夫の下に、法を守ってこれを継承する官人百吏がいる。彼ら官人百吏が、夏・殷・周の各王朝は交替しても、過去から現在まで法制度を変えることなく受け継がせてきたという。荀子は、法の歴史的な連続性を維持してきた担い手として、名もなき末端の実務官吏たちの継続的な力があったことを指摘するのである。この考えは、現在の王朝の法は過去の王朝の法と連続しているという荀子の後王思想を裏付ける考えである、とみなすことができるだろう。王朝や体制が変わっても実務官僚の法は連続している、という荀子の指摘は、歴史を英雄豪傑のエピソードとして見る史観ではなくて、人間社会の生存運営の連続として見る史観を切り開く道に繋がるであろう。ここでの荀子の歴史を通じた連続性を捉える視点は、近代史学と同一のものを持っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です