儒效篇第八(4)

By | 2015年7月31日
「私はいま身分賤しいが、尊貴となりたい。愚かであるが、知者となりたい。貧困であるが、富を得たい。可能であろうか?」と問うだろうか。ならば答えよう、そのためには、学ぶことが唯一の道であると。学問とは、これをとりあえず実践すれば、士(し)(注1)となることができる。これを厚く慕って努力すれば、君子(くんし)(注1)となることができる。これを完全に理解すれば、聖人(せいじん)(注1)となることができる。上には聖人にまでなれるだろうし、下でも士・君子になれるだろう。これを禁じることなど、誰にもできはしない。これまでは頭のぼやけた街中の一般人であったのが、学問によってにわかに聖王の堯・禹にすら並ぶ智を身に付けるのだ。これぞ、賤しい者が尊貴となることではないか?これまでは家の門と家の部屋との区別すら考えても分からなかったのが、学問によってにわかに仁義に基づいて是非を分かち、天下を手のひらの上で回すことを白と黒とを見分けることぐらい簡単に行えるようになるのだ。これぞ、愚か者が知者となることではないか?これまでは何も持っていない人間であったのが、学問によってにわかに天下を治める道具(注2)がすべて自らに備わるようになるのだ。これぞ、貧困なる者が富裕となることではないか?いまここに人がいて、この者が突然千溢(せんいつ。二万両。重さで言えば320kg)の宝を持つようになれば、たとえこの者が見た目では物乞いをして食っていたとしても、世の人はこの者を富者と言うであろう。天下を治める道具という宝は、しかしながらこれを着ることもできず、これを食うこともできず、これを売ろうとしてもにわかに売ることもできないものである。なのに、世の人はこの宝を持つ者もまた、富者と言うであろう。それはどうしてであろうか?そのわけは、天下を治める道具という大富の器がまことに我が身にあるからでなくて何であろうか。これもまた、巨大なる富人と言うしかない。これぞ、貧困なる者が富裕となることではないか?

ゆえに君子は爵位がなくても貴く、禄がなくても富み、発言がなくても信じられ、怒りを見せなくても威厳があり、隠退して貧しい暮らしをしていても安らかに栄え、ただ一人で暮らしていても楽しむのである。これは、我が身の内に貴さ・富・重厚さ・厳格さの実質が極限まで積み上がっているからなのである。ゆえに「貴い名声は、仲間と徒党を組んで争うことによって得ることはできず、誇大な大言をもって有することはできず、重い権勢によって脅かすことはできず、必ずまずは己を誠にして、その後に自ずから成るのである」と言うのである。貴い名声とは、これを争えばすなわち失い、これを譲ればすなわち得られ、退いて譲ればかえって積み上がり、誇大に大言すればかえって虚しくなるだろう。ゆえに君子は努めて己の内を修め、外に向けて謙譲し、努めて徳を身に積んで、退いて譲ることを持って世に対処していくのである。このようにすれば、貴い名声が挙がることは日月のように明らかとなるだろうし、天下が己の名声に呼応する声は雷のように大きくなるであろう。『詩経』に、この言葉がある。:

深沢の奥に、鶴鳴かば
その声高く、天に聞こゆ
(小雅、鶴鳴より)

このように、なるであろう。だがつまらぬ人間は、この反対である。仲間と徒党を組んで、栄誉はいよいよ少なくなる。つまらぬ争いをして、名はいよいよ恥を受ける。安泰と利益を求めようとしてわずらわしく苦労しても、その身はいよいよ危うくなるのだ。『詩経』に、この言葉がある。:

不良なる人民どもは、
相手のことを考えもせず、相(たが)いに怨むことばかり
爵を頂戴したとても、人に譲るを知ることなし
その果てに、己を亡ぼさん
(小雅、角弓より)

このように、なるであろう。


(注1)荀子の言う士・君子・聖人は、学問の理解の段階でありなおかつ国家における身分の格差でもある。現代的に言い換えれば「士」はノンキャリアの実務官僚、君子はキャリアの政策官僚、聖人はその頂点にある国家元首であろう。解弊篇(6)脩身篇(4)非相篇(5)の議論を参照。
(注2)原文読み下し「天下を治むるの大器」。つまり、仁義の正道、礼法の体系のことであり、前の(3)注1の「止まる所」のことである。
《原文・読み下し》
我賤にして貴、愚にして智、貧にして富まんことを欲す、可ならんや。曰く、其れ唯(ただ)學か。彼の學なる者は、之を行えば、曰(いわ)く士なり(注3)。焉(これ)を敦慕するは、君子なり。之を知るは、聖人なり。上は聖人と爲り、下は士・君子と爲る、孰(たれ)か我を禁ぜんや。鄉(さき)には混然たる涂(みち)の人なり、俄(にわか)にして堯・禹に並ぶ、豈に賤にして貴ならずや。鄉には門室(もんしつ)の辨を效(かんが)うるも、混然として曾(すなわ)ち決すること能わざるなり、俄にして仁義に原(もと)づき、是非を分ち、天下を掌上に圖回(えんかい)(注4)すること、黑白を辯ずるが而(ごと)し、豈に愚にして知ならざらんや。鄉には胥靡(しょび)(注5)の人なり、俄にして天下を治むるの大器舉(みな)此に在り、豈に貧にして富ならざらんや。今此に人有り、屑然(せつぜん)として千溢(せんいつ)の寶を藏せば、行貣(とく)して食すと雖も、人之をを富めりと謂わん。彼の寶なる者は、之を衣(き)るも衣る可からざるなり、之を食すも食す可からざるなり、之を賣るも僂(と)く售(う)る可からざるなり、然り而して人之を富めりと謂うは何ぞや、豈に大富の器、誠に此に在るがためならざらんや。是れ杅杅(うう)として亦富人のみ。豈に貧にして富ならずや。
故に君子は爵無くして貴く、祿無くして富み、言わずして信あり、怒らずして威あり、窮處して榮え、獨居して樂しむ。豈に至尊・至富・至重・至嚴の情、舉(みな)此に積むがためならざらんや。故(ゆえ)に曰く、貴名は比周を以て爭う可らざるなり、夸誕(かたん)を以て有す可らざるなり、埶重(せいじゅう)を以て脅す可からざるなり、必ず將(まさ)に此に誠にして然る後に就(な)らんとす、と。之を爭えば則ち失い、之を讓れば則ち至る。遵道(しゅんじゅん)(注6)なれば則ち積み、夸誕なれば則ち虛し。故に君子は務めて其の內を脩めて、之を外に讓り、務めて德を身に積みて、之に處するに遵道(しゅんじゅん)(注6)を以てす。是(かく)の如くなれば則ち貴名の起ること日月の如く、天下の之に應ずること雷霆(らいてい)の如し。故(ゆえ)に曰く、君子は隱にして顯、微にして明、辭讓にして勝つ、と。詩に曰く、鶴九皋(きゅうこう)に鳴きて、聲天に聞こゆ、とは、此を之れ謂うなり。鄙夫は是に反す。比周して譽(ほまれ)(注7)俞(いよいよ)少く、鄙爭(ひそう)して名俞(いよいよ)辱しめられ、煩勞(はんろう)以て安利を求めて、其の身俞(いよいよ)危し。詩に曰く、民の良無き、一方を相怨む、爵を受けて讓らず、己斯(ここ)に亡するに至る、とは、此を之れ謂うなり。


(注3)原文「曰士也」。「曰」の読み方には各説あり、(1)増注は、「曰」字を衍字とみなす。(2)物を列挙するときに添える語として、「いわく」と読む。藤井専英氏は別見解として「いわく」と読む例を示す。(3)語助として「ここに」と読む。藤井専英氏はこのように読み下す。(4)「すなわち」と読む。金谷治氏はこのように読み下す。どれでも構わないと考えるが、(2)が日常的な読み方と同じなのでこれに従いたい。
(注4)集解の兪樾は、「圖」の隷書字は「㘣」字と似ているのでこれを誤ったのであろう、と言う。「㘣」は「圓(円)」である。「圓回(円回)」は、円転の意。兪樾説に従う。なお漢文大系は字を改めず、「天下を掌上に回(めぐ)らすを圖(はか)る」と読み下している。
(注5)楊注は、「胥靡は刑徒の人なり」と言う。集解の王引之は楊注に反対して、「胥」は疏、「靡」は無、と言う。空っぽで何もないこと。王引之説を取る。
(注6)集解の王念孫は、「道」はまさに「遁」となすべし、遵遁は逡巡なり、と言う。しりぞき、ゆずること。王念孫説に従う。
(注7)集解の王念孫は、「譽」はすなわち「與」字なり、と言う。與(与)は党与、すなわち仲間・同志のこと。新釈は素直に名誉の意に取って、「ほまれ」と訓ずる。新釈を取っておく。

ここは、勧学篇以下の各篇において説かれる、学んで君子となり人間を完成させることへの勧めと一致した内容である。ここだけ取り出して読めば、孟子の議論と何ら変わることがない。荀子の独自な点といえば、百王の礼法への理解の程度によって聖人・君子・士の三段階を分ける議論がある。この三段階論は国家システムの中の身分秩序と対応させた議論であって、孟子にはない国家制度の具体的な構想を論じたものである。続く叙述において、さらに展開される。

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