哀公篇第三十一(2)

By | 2016年2月18日
孔子が、哀公に言われた。
孔子「人間は五つの等級に分けることができます。庸人(凡人)・士・君子・賢人・大聖です。」
哀公「あえて質問したい、庸人とはどのような人物を言うのであるか?」
孔子「いわゆる庸人とは、その口は善言を言うこともできず、その心は不満憂悶することを知らず、賢人・善士を選び我が身をそれに託して知恵の足りない自分の苦境を助けてもらうことも知らない。己の行動を修める努力も知らず、己の立ち留まるべき所を定めることも知らず、日々あれかこれかと目移りして真に貴ぶべきものを知らず、いろいろな外物に定見なく従って帰する原理を知らない。感覚器官が外物に働いたら、それを受け取った心は感覚の奴隷となって崩れてしまう。このようであるならば、庸人と言うべきです。」
哀公「なるほど。さらにあえて質問したい、士とはどのような人物を言うのであるか?」
孔子「いわゆる士とは、正道を治める術を完全に使い切ることまではできないが、必ず正道に従うことはできる。あらゆる点を美善に成し遂げることまではできないが、必ず美善の道に留まることはできる。このゆえに、その知は博覧であることを務めずに、己が知る狭い範囲の知を詳しく究めることに専念する。その行動は多様なことを行うことを務めずに、己が依拠する狭い範囲のことを隅々までやり遂げることに専念する。このゆえにその知は知るべきことをすべて知り、その言葉は言うべきことを全て言い、行動は行うべきことを全て行うので、それらが生命や皮膚のように取り替えできないほど身に付いている人物である。こうして(狭い範囲ながらも完成しているので)、たとえ富貴の境遇にあってもこれに加えるものはなく、卑賤の境遇に落ちてもこれが欠けることもない。このようであるならば、士と言うべきです。」
哀公「なるほど。さらにあえて質問したい、君子とはどのような人物を言うのであるか?」
孔子「いわゆる君子とは、言葉は忠信でありながらも、心はそのことで自らを徳とすることはない。仁義が身にありながらも、顔色はそのことを自ら誇る様子がない。思慮は明通しながらも、言葉は己の知によって他人と争うことはない。ゆえに、ゆったりとした様子であって、一見誰でも届きそうなくらい平凡に見える(だが実際には決して到達することができない)。このようであるならば、君子と言うべきです。」
哀公「なるほど。さらにあえて質問したい、賢人とはどのような人物を言うのであるか?」
孔子「いわゆる賢人とは、行動は礼義の基準によく当たりながらも、しかも我が身を傷つけることはない。発する言葉は天下の法度たるにふさわしいが、しかも我が身を傷つけることはない。富は天下を保有するほど大きいが、しかも財を溜め込むことはない。そして天下に富を分け与えるが、しかも貧しくなることを憂うことはない。このようであるならば、賢人と言うべきです。」
哀公「なるほど。さらにあえて質問したい、大聖とはどのような人物を言うのであるか?」
孔子「いわゆる大聖とは、知は大いなる正道に精通し、あらゆる変化に見事に対応できて尽きることがなく、万物の情性を理解し尽くす者である。大いなる正道とは、万物を変化させ成し遂げさせる自然の原理である。情性とは、万物が是非と取捨を行う自然の原理である。ゆえにこれらを知り尽くした存在は、その偉大なる働きが天地にあまねく行き渡り、その明らかな知は日月よりも輝き、万物を統括することは風や雨が行うがごときとなるのである。深遠でありながらも純粋であり、その者の行いに常人は付いて行くことすらできず、まるで天の子のごときであり、その者のなす事業を知覚することすらできない。人民は何も知ることもなく、どこからどこまでがこの者のなしたことであるのかを知ることもない。このようであるならば、大聖と言うべきです。」
哀公「なるほど。」
《読み下し》
(注1)孔子の曰(のたま)わく、人に五儀(ごぎ)(注2)有り。庸人(ようじん)有り、士有り、君子有り、賢人有り、大聖有り、と。哀公曰く、敢て問う、何如(いか)なる斯(これ)を庸人と謂う可きか、と。孔子對えて曰わく、所謂(いわゆる)庸人なる者は、口は善言を言うこと能わず、心に色色(ゆうゆう)(注3)を知らず、賢人・善士を選びて其の身を託して、以て己が憂を爲(おさ)むることを知らず(注4)、勤行(どうこう)(注5)に務むる所を知らず、止交(しりつ)(注6)に定まる所を知らず、日(ひび)に物を選擇して貴ぶ所を知らず、物に從うこと流るるが如くにして、歸する所を知らず。五鑿(ごさく)(注7)正(せい)(注8)を爲せば、心從うて壞(くず)る。此の如くなれば則ち庸人と謂う可し、と。哀公曰く、善し、と。敢て問う、何如なる斯を士と謂う可きか、と。孔子對えて曰わく、所謂士なる者は、道術を盡(つ)くすこと能わずと雖も、必ず率(したが)うこと有り、美善を徧(あまね)くすること能わずと雖も、必ず處ること有るなり。是の故に知は多きを務めずして、其の知る所を審(つまびら)かにするを務め、言は多きを務めずして、其の謂う所を審かにするを務め、行は多きを務めずして、其の由る所を審かにするを務む。故に知は旣(すで)に已(すで)に之を知り、言は旣に已に之を謂い、行は旣に已に之に由れば、則ち性命・肌膚(きふ)の易(か)う可からざるが若きなり。故に富貴も以て益すに足らず、卑賤も以て損ずるに足らざるなり。此の如くなれば則ち士と謂う可し、と。哀公曰く、善し、と。敢て問う、何如なる斯を君子と謂う可きか、と。孔子對えて曰わく、所謂君子なる者は、言は忠信にして而(しか)も心は德とせず、仁義は身に在りて而も色は伐(ほこ)らず、思慮は明通にして而も辭は爭わず、故に猶然(ゆうぜん)として將(まさ)に及ぶ可からんとするが如きの者は(注9)、君子なり、と。哀公曰く、善し、と。敢て問う、何如なる斯を賢人と謂う可きか、と。孔子對えて曰わく、所謂賢人なる者は、行は規繩(きじょう)に中(あた)りて、而も本を傷つけず、言は天下に法たるに足りて、而も身を傷つけず、富は天下を有して、而も怨財(うんざい)(注10)無く、天下に布施(ふせ)して、而も貧を病(うれ)えず。此の如くなれば則ち賢人と謂う可し、と。哀公曰く、善し、と。敢て問う、何如なる斯を大聖と謂う可きか、と。孔子對えて曰わく、所謂大聖なる者は、知は大道に通じ、應變して窮せず、萬物の情性を辨ずる者なり。大道なる者は、萬物を變化・遂成(すいせい)する所以にして、情性なる者は、然不・取舍(しゅしゃ)を理(おさ)むる所以なり。是の故に其の事の大なることは天地に辨(あまね)く(注11)、明なることは日月より察(あきら)かに、萬物を總要することを風雨の於(ごと)し(注12)、繆繆(ぼくぼく)・肫肫(じゅんじゅん)(注13)にして、其の事循(したが)う可からず、天の嗣(し)の若く、其の事識る可からず、百姓淺然(せんぜん)として其の鄰(りん)(注14)をも識らず。此の若くなれば則ち大聖と謂う可し、と。哀公曰く、善し、と。


(注1)前章と同じく、本章もまた大同小異の問答が大戴礼記哀公問五義篇および孔子家語五儀解篇に見える。また韓詩外伝四には本章の「庸人」のくだりと一致する格言が見える。
(注2)集解の郝懿行は、「儀は匹(ひつ)なり、匹はなお儔類のごときなり」と言う。範疇、分類の意。
(注3)大戴礼記は、「邑邑」に作る。集解の郝懿行は「色色」は「邑邑」の誤りであるとみなし、「邑邑は悒悒と同じ。悒悒は憂逆短気の貌」と言う。「悒悒」に取るならば、不満で憂悶する様子と解釈できるだろう。新釈の藤井専英氏は劉師培を挙げて、「邑は挹(ゆう)に同じく、退・損の意」と言う。ならば、自制して謙遜する様子と解釈できるだろう。郝説に従っておく。
(注4)原文「不知選賢人・善士、託其身焉、以爲己憂」。二通りの読み方が提出されている。楊注は、「賢に託することを知らず、但(ただ)自ら憂うのみ」と注する。この場合の読み方は「以爲己憂」を前句から切り離して「賢人・善士を選びて其の身を託することを知らず、以て己が憂いと爲す」と読み下し、意味は「賢人・善士を選んで己の身を託することを知らずに、ただただ自分一人で憂っている」がごときとなるであろう。いっぽう新釈の兪樾は全体が一句であり、「爲は癒の義あり」と注する。金谷治氏・新釈は「爲(為)」字を「おさむ」と読み下して、全体を一句として読んでいる。兪樾説に従っておく。
(注5)集解の郝懿行は、大戴礼記および韓詩外伝が「勤」字を「動」字に作ることを引いて、疑うは形の誤りと言う。これに従う。
(注6)集解の郝懿行は、大戴礼記および韓詩外伝が「交」字を「立」字に作ることを引いて、同じく形の誤りと言う。これに従う。
(注7)楊注は、「五鑿は耳・目・鼻・口および心の竅(きょう)なり」と言う。竅(きょう)とは、人体の穴の意であり、感覚器官のことである。新釈の藤井専英氏は、「七竅」(両目・両耳・二つの鼻の穴・口)の誤りであることを示唆する。また楊注或説は、「五鑿は五情」と言う。五情は視・聴・味・嗅・触の五感であり、意味的にはこちらのほうがわかりやすい。郝懿行・王念孫は楊注或説を是とする。楊注本説は心にも感覚を受け取る穴がある、とみなしているようであるが、そのような考えが古代に実際にあったのかどうか、私は寡聞にして知らない。ともかく、上の訳は人間の五つの感覚器官とみなしておく。
(注8)集解の盧文弨および増注は、大戴礼記で「正」が「政」に作られることを引いて、「政」となすべしと言う。五つの感覚器官が働くこと。
(注9)原文「如將可及者」。猪飼補注は、家語がここのくだりを「若(如)將可越、而終不可及者(まさに越ゆるべくして、しかもついに及ぶべからざるが如し」に作ることを引いて、「而終不可及」の五字が脱落していることを言う。大戴礼記もまた、家語と同様の表現となっている。ともかくも、一見誰でも届きそう(だが実際には届くことができない)なのが君子である、という意味を指している。
(注10)集解の郝懿行は、「怨」は「蘊」の転と言う。たくわえること。これに従う。
(注11)増注および集解の王念孫は、「辨」は読んで「徧」となすと言う。これらに従う。あまねく。
(注12)増注および猪飼補注は、この句に脱誤があることを疑う。新釈は劉師培説を引いて、「於は如」と注する。新釈に従っておく。
(注13)猪飼補注および集解の郝懿行は、大戴礼記に「穆穆・純純」に作ることを指摘する。穆穆・純純は、「深遠純粋の貌(猪飼補注)」「和にして美、精にして密(郝懿行)」のこと。
(注14)猪飼補注は、「鄰は以て畔界に喩う」と言う。境界・輪郭のこと。

本章は、大戴礼記および家語においても前章からの問答の続きとして編集されている。大戴礼記の哀公問五義篇と重なるテキストは、本章までである。いっぽう家語の五儀解篇には、本章の後にさらにこの哀公篇と重なるテキストが収録されている。

本章の問答は、人間を知徳の程度で庸人・士・君子・賢人・大聖の五ランクに分別する議論である。同様のランク付けが荀子の他篇にも見える。解蔽篇(6)注4、非相篇(5)注2、礼論篇第(6)注1を参照。これを国家の官僚組織に当てはめると、庶民(庸人)・下級官僚(士)・上級官僚(君子)・宰相クラスの最上級の官僚(賢人)・君主(大聖)の各段階に人間を等級分けする規準とみなすことができるだろう。知徳の最高段階にあるべき大聖を形容する言葉がほとんど具体的な表現を欠いた空疎なレトリックに終始していることもまた、荀子の他篇と共通している。儒家の国家官僚組織における君主の役割は賢人・君子を役職に任命してこれに仕事をさせることに尽きるのであって、君主じたいは具体的な仕事を何も行う必要がない。君道篇ほかで説かれているとおりである。

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