大学章句:経(5)-八条目・続-

投稿者: | 2017年6月30日
大きな太字は、『礼記』大学篇の原文を示す。
細字は、『礼記』大学篇に朱子が付け加えた書き下ろし文を示す。
小さな茶字は、朱子が書き下ろした注解を示す。
《読み下し》
物格(いた)りて后(のち)知至る。知至りて后意誠(まこと)なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身脩(おさ)まる。身脩まりて后家齊(ととの)う。家齊うて后國(くに)治まる。國治まりて后天下平(たいら)かなり。
治は去聲(きょせい)、後(のち)も此(これ)に放(なら)う。
物格(いた)るとは、物の理(り)の極まる處(ところ)にして到らざる無きなり。知至るとは、吾が心の知る所、盡(つ)くさざる無きなり。知旣(すで)に盡くせば、則ち意得て實(じつ)にす可(べ)し。意旣に實なれば、則ち心得て正しくす可し。身脩まることより以上は、明德を明(あきら)かにするの事なり。家齊うることより以下は、民を新(あらた)にするの事なり。物格り知至れば、則つ止まる所を知る。意誠なること以下は、則ち皆止まる所を得るの序なり。

天子(てんし)より以て庶人(しょじん)に至るまで、壹是(いつし)に皆身を脩むるを以て本(もと)と爲(な)す。
壹是は、一切なり。心正しくするより以上は、皆身を脩むる所以(ゆえん)なり。家齊うことより以下は、則ち此(これ)を舉(あ)げて之(ここ)に錯(お)くのみ。
其の本亂(みだ)れて末(すえ)治まる者は否(あら)ず。其の厚くする所の者薄くして、其の薄くする所の者厚きは、未(いま)だ之(これ)有らざるなり。
[※以下に続く文、章句に従って後の伝五章に移す]

本は、身を謂(い)うなり。厚くする所は、家を謂うなり。此の兩節(りょうせつ)は、上文(じょうぶん)兩節の意を結ぶ。

右は經(けい)一章。蓋(けだ)し孔子の言にして、曾子(そうし)之を述べしならん。
凡(およ)そ二百五字。


《用語解説・本文》
天子天から天命を受けて地上を統治することを任された君主のこと。古代中国の宗教観に基づいている。
[※以下に続く文、章句に従って後伝に移す]漢代の原テキストである『礼記』大学篇では、この後に「此を本を知ると謂う、此を知の至と謂うなり」の文が続く。しかし朱子は『大学章句』を著すに至り、先行する二程子の説を承けて、この文は置かれている箇所がまちがっている錯簡(さくかん)であると判断した。よって、朱子はこの文を後ろの伝五章にあえて送り下げている。当該のページ参照。
右は經一章。蓋し孔子の言にして、曾子之を述べしならん。この文は、朱子が書き加えた文である。朱子は二程子の説を承けて、『大学』本文のここまでのくだりを孔子の遺書とみなし、曾子がそれを聴き取って述べたものであるという見立てを取った。朱子はここまでを『大学』の「経」すなわち主文とみなし、後に続く箇所を「経」に加えた曾子と門弟たちの解説として「伝」とみなした。これは宋代になって朱子が行った分類であって、『大学』が編纂された漢代(朱子より約一二〇〇年前)にあった分類ではない。二程子の説に対する朱子の『大学或問』における見解は、次のページで説明する。
曾子曾参(そうしん)のこと。孔子の弟子。朱子は『大学』を曾参とその門弟の作とみなす。序(4)参照。

《用語解説・朱子注》
去聲きょせい。中国語の四声の一。
民を新にする朱子は、原文の「親民」を「新民」の意と解釈するので、この注となる。経(2)参照。
其の厚くする所の者薄くして、其の薄くする所の者厚きは、未(いま)だ之(これ)有らざるなり孟子盡心章句上に「厚かるべき所に於て薄くする者は、薄くせざる所無し」の語がある。

《現代語訳》
物事(ものごと)の真実に到達できたのちに、ようやく知能のなしうることを究め尽すことができた。知能のなしうることが究め尽されたのちに、ようやく心の意志を誠(まこと)にすることができた。心の意志が誠となったのちに、ようやく心を正しくすることができた。心が正しくなったのちに、ようやく自分自身の精進を完成することができた。自分自身の精進が完成したのちに、ようやく自分の家庭をよくすることができた。自分の家庭がよくなったのちに、ようやく自分の国をよく治めることができた。そして自分の国がよく治まったのちに、ようやく天下を平和に落ち着かせることができたのであった。
「物格る」とは、ものごとの理を極めた極致に届き着いた状態である。「知至る」とは、自らの心の知るところが極限にまで届いた状態である。知識が極限にまで届いたならば、心の意志はひたむきに善に専一して自分にうそをつかずにいられる状態(=「実」の状態)となることができるだろう。心の意志がそのような「実」の状態となったならば、心を正しくすることができるだろう。「身脩まる」より以前(=格物・致知・誠意・正心・脩身)は、さきの三綱領の「明徳を明らかにする(経2参照)」に当たる。「家斉う」より以下(=斉家・治国・平天下)は、三綱領の「民を新(あらた)にする」に当たる。ものごとの真実に到達して(格物)知能のなしうることを究め尽せば(致知)、すなわち止まるべき地点を知るだろう。格物・致知に続く「意誠なり」から「天下平かなり」までは、すべて「止まる所」を得るための順序なのである(言い換えれば、格物から平天下までの八条目は「止まる所」を知って得る過程を述べているのであって、その全体が三綱領の「至善に止まる」を示しているということができる)。
天子から庶民にいたるまで区別なく、みな自分自身を精進することを人としての根本としたのであった。
「壹是」とは、一切すべてである。「心正し」より以上(=格物・致知・誠意・正心)は、すべて自分自身を精進する方法を指す。また「家斉う」より以下は、ただにこれ(脩身)を取り上げてこれ(家・国家・天下)にあてはめるにすぎない(つまり、自分がなすべきはひたすら自分自身の精進に励むことであって、外界の家・国家・天下はその精進した自分をそこにあてはめて治める以外になすべきことは何もないのだ。)
根本が乱れて末節が治まるものなど、ありはしない(つまり、自分自身が乱れているのに家や天下国家を治めることなど決してできない)。厚くするべきところを薄くしながら、薄いところが厚くできたものなど、いまだかつていなかったのだ(つまり、厚くするべき家庭をないがしろにしながらより遠い天下国家をよくすることができたものなど、いまだかってなかった)。
「本(根本)」とは、わが身のことを言っているのだ。「厚き所」とは、家を言っているのだ。この両節は、上に挙げた両節の文の意味を結び付けている。

以上は、経(けい)一章である。これは思うに孔子の遺した言葉を、曾子(そうし)が後で述べたものである。
全部で二百五字である。

《原文》
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
治去聲、後放此。
物格者、物理之極處無不到也。知至者、吾心之所知無不盡也。知旣盡、則意可得而實矣。意旣實、則心可得而正矣。脩身以上、明明德之事也。齊家以下、新民之事也。物格知至、則知所止矣。意誠以下、則皆得所止之序也。

自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本。
壹是、一切也。正心以上、皆所以脩身也。齊家以下、則舉此而錯之耳。
其本亂而末治者否矣。其所厚者薄、而其所薄者厚、未之有也。
本、謂身也。所厚、謂家也。此兩節、結上文兩節之意。

右經一章。蓋孔子之言、而曾子述之。
凡二百五字。

大学章句で言う「経一章」は、以上である。朱子が書き下ろした末尾の文は、さらに「伝十章」のための前文が続く。だが、文意を取ってここでいったん切ることにしたい。

上で後伝に移した文は、章句に従った順序で改めて出すことにしたい。朱子は章句を書くに当たって、二程子の『大学』錯簡脱字説を受け継いだ。その趣意とは、『大学』という書物は孔子の遺書である「経」の一語一語に対して、曾子とその門徒が「伝」で解説した書物である。なので、「経」と「伝」とが順を追ってピタリと対応しているように前後を入れ替えるのが、より孔子と曾子の趣意に沿っているのである。朱子は二程子のそのような問題提起を承けて、章句で『大学』原文の順序をあえて入れ替えたのであった。そして「格物」の伝がどうしても欠けているので、朱子はあえて自らの筆でその伝を補うことを試みたのであった。朱子が章句の校訂をその死の直前まで試み、「私が章句に費やした労力は論語・孟子の注釈よりもずっと大きかった」と述懐したのも、彼が章句でここまで大胆な創造的解釈を展開したからに他ならなかった。

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