『大学』を読もうと思った理由

『孟子』『荀子』に続いて、新しい読書サイトを始めました。
朱子(朱熹)の『大学章句』を序から少しずつ読んでみることにしました。今回の読書は、いままで私が儒学について学んできたことを踏まえて、朱子学の思想を確認しながら読むことになると思います。

私のような戦後時代を生きてきた読者にとって、朱子学は縁遠いものでした。
漢学が必須の教養であった時代などは遠い昔となり、わずかに残された学校教育の漢文の授業においても取り上げられるのは諸子百家までで、漢代以降の思想については触れられることすらありませんでした。人気作家の司馬遼太郎氏は、戦前の日本がリアリズムを捨てて無謀な戦争に突き進んだ思想的遠因は朱子学であった、と論じました。また彼は朝鮮が近代化に失敗したのは朱子学のイデオロギーで頭の中が凝り固まってしまっていたからだ、と嘆じました。そんな読書環境で、私は朱子学に触れるきっかけも乏しく、ただ歴史にマイナスを及ぼした思想であるという先入主で、素通りしてきたところです。

しかし、最近になって、私の中で朱子学への見立ての地図が変わってきました。
それは、人と国家という問題を考えなければならないのではないか、という問題意識が、私の中に見えてきたからでした。

現在の世界の中で、私は国家というものを自らの意識にのぼせずにはおられなくなってきました。
以下は、私の見解です。
これまで長い間続いてきたいわゆる戦後時代は、この国に生きる生活者にとっては国家を考えないほうがむしろしたたかな考えであった。そのような時代であったと私は思います。
振り返って戦後時代を考えると、わが国が置かれていた当時の国際情勢は、独自の判断で国を進めていく選択の余地などありませんでした。西側諸国の一員として動かないという自らの固定位置からもし外れていたならば、わが国は必ず悲惨な境遇となっていただろう。だから、国の方針を動かすなどは為政者にとって論外であり、それならばこの国の住民はただただ経済成長の果実だけを考えていたほうがずっと幸福であった。じじつ、当時のわが国は十二分の経済成長を実現させることができました。経済が成長して生活水準が向上すること、それだけが民の望みとなりました。人や家族、郷里はどうあるべきかという問いなどは、生活の目まぐるしい移り変わりの中で投げ出すよりほかはありませんでした。戦後時代のわが国の人々の考えには、国や郷里や家族を考えないコスモポリタニスティックな雰囲気が支配していました。それは、わが国に住む人々が置かれていた状況から言って、重いテーマを忘れて日々の生業に専念したほうが賢明に生きていくことができる、という状況から民が巧みに選び取った産物であったのだろう、と私は思います。

いま、かつての戦後時代を実現させた条件が、全て反転している。私は、そのように捉えています。周知のとおり、いま世界では国際情勢が揺れ動いています。その中で、わが国は隣国との関わり方に頭を悩ませています。わが国に生きる者は、否応なしに国家と他国との関係というものを考えずにはいられなくなりました。ひるがえって国内では、もはや無条件の経済成長はありえず、生活向上への渇望は人々から消え失せています。働く理由がはっきりしなくなってしまい、結果として何もせず社会とも接点を持たない人間が大挙して登場するようになりました。経済成長の時代を経た果てのいま、家族は壊れ、郷里は荒廃しています。

このような時代に、素人ながらもこれまで読書をしてきた私は、人と国家のことを正面から捉えた書物に向き合ってみよう、と考えるようになりました。
戦後時代の流行りの読み方は、朱子学を避けて『論語』を読むことでした。『論語』に登場する孔子とその弟子たちの生き生きとした活動を楽しんで読むことがよいのであって、朱子注の堅苦しい道徳的読み方は無粋で偏狭で嘲笑の対象でしかない。私もまた、そのように読んできました。
だが、朱子学とは、人と国家についてトータルな道筋を示す思想であり、そのための読書のガイドラインまで定められていたものです。朱子はそのために『論語』の前に『大学』という古代文献を取り上げて、朱子学流読書の入門に指定しました。朱子学的読書から見れば、『大学』によって人と国家の大枠を受け容れてこそ、『論語』あるいは『孟子』を筋道立てて読むことができる。そもそも『論語』は断片的な語録集であり、それを最初から通して読んだところで、まとまりのある見解を手に入れることができる書物ではない。だからこそ『論語』は気に入った警句だけ取り上げて読むことができるのだが、見方を変えればそのような読書はただ趣味で漢文を読むことにすぎないのではないか。朱子は、大学を読んでまだよく理解できていないのににわかに論語を読もうとする学生たちに対して、その読書は不可であると言った。「私が人にこの書(大学)を読むことを勧める理由は、この書は分量少ないが学問の骨格があまねく備わっているからなのだ」(朱子語類、 大学一 綱領より)。朱子は、学問の骨格(原語は「規模」)をまず理解することが正しい読書である、と言ったのです。その意図は、よく分かるでしょう。

江戸時代の読者たちは、幕府前期の山崎闇斎から幕末の吉田松陰まで、朱子学流読書を大前提にして儒学を学んでいました。江戸の昌平黌や大坂の懐徳堂といったオーソドックスに朱子学を採用した学校は当然であり、朱子学を批判した伊藤仁斎や荻生徂徠もまた彼らの前半生にはいったん朱子学に深く傾倒した時期があったものです。戦後時代には、仁斎や徂徠の朱子学批判ばかりが江戸期独自の思想として称えられてありました。だが、ここで視点を変えたい。江戸期の読者は、闇斎から松陰まで飽きることなく朱子学に取り組んで、受け容れ続けた。それだけ、朱子学は江戸期の読者に人と国家の道理として納得のできる解答を示していたという、思想的力を持っていた証拠なのではないか。

小倉紀蔵先生のような論者は、日本は明治時代になってついに朱子学を本格的に体化した国家となった、と言われています。国民が学ぶことに平等とされて、そこから選良を抽出して国家の運営を担わせ、国民は道徳的人間となることを期待されて、国家への忠節を信条とする。それは、『大学』の中で構想された理想国家のあり方を忠実になぞっていると確かに言うことができる。戦後時代に学校教科から廃止された「修身」の科目では、人の道徳が教えられた。そもそも「修身」という言葉じたいが、『大学』に典拠を持っていた。

いま、時代の変化を感じながら、私の戦後時代の読書を反省したいと考えます。
それで、これまでおざなりに済ませてきた朱子学の読書を行ってみたい。そのために、人と国家を正面から考えるテキストであり江戸時代と明治時代に大きな影響を及ぼした『大学』を、その朱子の解釈に従って読んでみようと思います。なので、『大学』の原テキストではなくて朱子の『大学章句』を読みます。原テキストとの違いは、読んでいく中で取り上げたいと思います。

読書サイトのタイトル「大学を読まずして儒学を語るなかれ」とは、ゆえにこの私の自戒の言葉であります。

衝動的なナショナリズムに陥らず、人と国家のあり方を再考するために読んでみたいと思うところです。

二〇一六年九月

河南殷人